イヴェールは二回目の溜息をついて、あの男の相手は疲れる、そう零す。全く同感で、俺は悪くないのだけれどイヴェールに謝った。まことに面目ない。

「もう二度とすんなって、ちゃんと殴ってくるから。巻き込んでごめん」

しかし素直に謝ったと言うのに、イヴェールは何故か眉を吊り上げた。その反応に首を傾げると、イヴェールは唐突に俺の片手を引いて、自身も立ち上がり胸倉を掴んできた。

「こんなの送りつけられておいて、よくあいつの所へ行けるね」

当然ながら、イヴェールと俺との距離は近くなる。間近で睨みつけてくる二色の視線は意外にもぎらぎらしていて、思わず仰け反ってしまう。それが気に入らなかったのか、イヴェールは俺のシャツを余計に締め上げてきたので、喉が締まって声が出そうになった。以前に比べると格段に力の付いた両腕に驚く。前はエペノワすらまともに持てなかったもんな。

なんて、現実は逃避しても必ず後から追い付くものだ。目と声だけで怒りを表現する相方は、俺が目を逸らすことを許してはくれない。

「だって、ついでにこれを投げ返さなきゃ、一体どこへ置いておくつもりなんだよ。まさか売るわけにもいかないし。ずっと持ってるの嫌だし」
「んなもん川に流してこい」
「ちょ、罰当たる」
「罰が当たるなら、僕たちもうとっくに此処にはいないと思うけど」
「それはそうだけど……、っ」

そろそろ呼吸が苦しくなり、身体を捩って無理矢理離れようとする。途端にイヴェールはその動きに合わせてぱっと手を離した。勿論、俺の身体はバランスを取れずそのまま床に尻もちをつく。勢いも手伝い強かに腰を打ちつけて、周囲に何個もの星が散った。衝撃で手を離したアレは、鈍い音を立ててつま先の向こうに転がっていく。燃えるような痛みに歯を食いしばると、イヴェールはすとんと無表情で、俺の膝を割ってしゃがみ込んできた。同時に男にしてはやけに柔らかい匂いが、重力に従って俺の鼻に落ちてくる。

「実はこれ、使ってみたかったとか?」
「ないない」

すかさず反論すると、イヴェールは本当か?と視線で問い詰めてくる。失礼な、俺はそんなに欲求不満でもないし、アレを使うほど男としての機能は衰えていないし。口の中でぶつぶつ漏らしていれば、イヴェールは徐に事態の元凶に手を伸ばした。改めて上から下まで眺めている姿を見て、不意に悪魔の囁きにも似た変な感情が浮かぶ。

貧乏な生活で固くて荒れているけれど、日に焼けない肌とほっそりした指。手入れをしたらもっと綺麗になりそうなイヴェールの手が、卑猥なものを握っている。あまつさえ人差し指で突いたり撫でたり、興味深そうにそれを観察している。
――エロい。そこに直視できない絵面を見つけてしまった気がして、俺は無意識に唾を嚥下していた。さっきまで気にならなかった、低い体温とか細やかな息遣いとかの人間一人分の質量感がありありと、俺の目の前に圧し掛かっている。

成人を越した男二人が向かい合って、アレをじっと見つめ合う。どう考えても寒い光景だ。にも関わらず、首から耳元まで熱くなってきた。そんな俺にイヴェールは呆れて、肩をすくめる。

「今更顔赤くしてどうするんだ」
「そういうお前が、涼しい顔すぎるの」
「まあ、自分にもついてるとはいえ、気持ち悪さは否めないけど」
「ついてるついてないとか、やめてくれ。生々しいから」

顔から火が出そう。以前にちょっとしたはずみで身体を重ねた時の、シャツの後ろ側事情が掘り起こされる。イヴェールは顔も手も、それ以外も白い。折角忘れていたのに。ひとつ思い出すと他がぽんぽん出てくるので、必死に今まで気づき上げてきた男の履歴をひっくりかえした。あそこの子は胸が好みの大きさだった。笑顔が可愛い子はあの子だっけ。最後に遊んだのはスレンダーな……。

急にイヴェールの顔が生温かい目つきになった。生温かいというか、微妙なものに出くわした時のような、それだけにしては熱っぽいような。兎に角中途半端な目つきだ。我に返った俺は訝しんで、相方の名前を呼ぶ。

「イヴェ?」
「ローランサン。あのな、非常に言いにくいんだけど」

言いにくいからとご丁寧に指まで差されたそこには、イヴェールの膝に若干あたっている俺の――局部。

相方と顔を見合わせると、オッドアイが数回瞬いた。

「あはは、イヴェール今日の晩御飯何が良い?何でもいいって?じゃあちょっと買いもの行ってくるから待っててな。今日は確か坂下りたとこの通りの市場が安いから早く行かないと。ということでじゃっ」
「待て落ちつけローランサン。まだお昼前だから」

逃げ出そうと本能的に立ちあがりかけた身体が、再び相方に腕を引かれて沈み込む。頭は混乱の渦中にいて、身体のコントロールがまともに出来る筈もなく、俺はじたばた暴れた。

「離せよ離してくれイヴェール、離さないと爆発してやる!」
「いたたまれないのは分かるけど、このまま家出すると物の数分もしないうちにとっ捕まるぞ。その……、そんな状態だと」
「……躊躇うぐらいだったら、言わないで分かってるから」

もう半泣きだった。

とうとう暴れる気力も尽きてきた俺は、せめても相方に背を向けた。今度はイヴェールも止めない。気まずい空気がイヴェールと俺の背中の間に停滞する。もしここで奇跡が起こって俺の願いがさらりと叶うなら、どろどろに 溶けて空気になってどこかへ飛ばしてくれ。恥ずかしすぎる。

勿論そんな願いは天に聞き届けられることもなく、何秒何分という空白が数時間の地獄にも感じられた。その空気を俺は結局壊すことができなかった。イヴェールは藪から棒に咳払いをして、いつの間に体の向きを変えたのか俺と背中合わせになっていた。おずおずと掛けられる体重にやっと混乱が去って行って、今しがたは緊張しか覚えなかった体温が俺を正気に戻していくよう。しかし納まりのつかない箇所は、結局どうしようにもならない。ここは意を決し、羞恥の山を登ってお花を摘み取ってくるべきか。出すもん違うけど。口を開きかけると、イヴェールの「なぁ、」という呼びかけが被さった。

「抜いてやろうか?」

晩御飯はオムライスが良いって俺には聞えた。それくらい奴は普通に言ってのけたのだった。その後は、天のみぞ知る。というか頭が真っ白になりすぎて、あんまり覚えていない。ただ、あの時外へ出て捕まるってた方が、心臓にとって絶対優しかったのは事実だ。





「で。どうなったんだよ。俺も当事者なんだ、教えてくれたっていいだろ?」

今はあれから数週間後、結局例のアレは流しても埋めても捨てても見つかった時が面倒くさいため、頑丈にくるんだ布ごと地下倉庫の中で眠っている。そしてプレゼントした本人は今になって、まるで長年の知己のような気やすさで俺の方を組んでいた。何でここにいるのか問い詰める労力を、費やすつもりはなかった。どうせ暇だからだろう。近くにあったフォークで長い赤毛を巻き取ろうとしたら、寸での所で気づかれて避けられた。ここは素直に刺されてりゃあいいのに。

「どうにも。あんたにはすぐにでも一発入れたかったけど、イヴェールに止められたからな」

酒場の喧騒に紛れて、遠くでイヴェールが店主と話しこんでいる。俺のとは違って、白に近くて輝くような銀髪は、ここからでも際立って見えた。唐突に現れたこいつと相方が鉢合わせなくて良かったと思う。フランボウは酒場なのに酒も飲まず、煙草を豪快に燻らせ、俺と同じ方向を見てにやりと笑った。

「……そうかそうか、以前にも増して仲がよろしくなったようで」

引っかき回した甲斐があったぜとのたまったフランボウに、俺は相方の分もこめて思い切り脛を蹴飛ばしたのだった。









ごめんなさい今ならこんなネタでも許されると思ってしまったことが犯行動機です。よしもう悔いはない井戸に飛び込んできますせぇぇいっ
















\ 暗転
井戸











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