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補足説明とか後書きとかと見せかけて歴史語ってるだけです↓


対ナポレオンのロシア総大将はクトゥーゾフという老将軍でした。ボロディノでの撤退後、モスクワの明け渡しを提案します。
「モスクワを失ってもロシアを失うわけではない。しかし軍隊が全滅すれば、モスクワとロシアが滅びる」という彼の台詞は有名です。文中ではろったまに言っていただきました。
↑理屈では理解できますし戦略的には尊敬しますが、本当にモスクワを生贄にしちゃうのは凄いと思う。この恐い感じが実にロシアクオリティーですね。


モスクワ撤退が決定され、27万人の大都市の住民は2周間のうちに疎開。残ったのは1万人ほどでした。

ナポレオン軍が、モスクワ占領した夜、大火事が起こります。当時のモスクワ県知事にして総督のラストープチン伯爵の命令だそうです。
↑敵の手に落ちるくらいならいっそ自分の手で…!って感じですかね。


ナポレオン軍はもともと夏に侵攻を始め、追跡のスピードを上げるために食料もあまり持っていませんでした。また、脱落した兵士を保護せずに見捨てていたので、一度も戦闘らしい戦闘をしないまま60万人の兵が15万人になっていて、モスクワ入城の時にはたったの11万人でした。
↑ロシアの焦土作戦もドエスだと思いますが、この時期のフランスの鬼畜っぷりには絶対勝てない。そもそもロシアに攻めたのだって、「ロシア、おまえ勝手にイギリスの野郎と貿易しやがって!アイツは絶対無視しろって言ったろ!」ですから。露はある意味英仏対立に巻き込まれたとも言える。

モスクワを占領したナポレオンは、ロシア皇帝アレクサンドル帝に和平交渉を求めます。が、そのお返事が「わたしは祖国の恥に調印するよりは、髭をのばして、わが農民たちと一緒にジャガイモを食べることに同意する方がマシだ。」これも文中でなんとなくろったまに言っていただきました。

それでもナポレオンは負けじとモスクワ占領を続けますが、10月半ばにして、冬将軍がやってきます。そもそも夏装備のナポレオン軍は冬支度などなく、ただでさえ食糧不足なのに、占領継続は不可能と考えて撤退を開始。

けれど、そんな彼らを待受けていたのは、ロシア軍とパルチザンと冬将軍のトリプルコンボでした。
↑勝てる気なんてするはずもないコンボ。WW2独ソ戦でも冬将軍のお力添えがあっての勝利ですから、ロシア最強の将は冬将軍だって言ったイギリスに拍手。

ナポレオンは軍を見捨ててパリに帰還しますが、60万人だった兵はほぼ壊滅します。
どれくらい酷かったかと言うと、当時フランス軍の軍服(デザインのカッコよさが凄いフランスらしい)のボタンがスズで出来てたのですが、温度変化が激しいので割れたり壊れちゃうのだそうです。冬将軍が猛威を振るう氷点下30度にもなる中、ボタンもつけられない状態だったらしい。
ロシア語で「乞食」や「ペテン師」を意味するシャロムイジニク(шаромыжник)は、フランス語の cher ami (「親愛なる友」)に語源があり、尋常でない冬の寒さに兵士が地元住民に物乞いをしたことから来ている(wiki先生より)


何がしたかったかというと、ろったまに台詞を言わせたかった+ウスペンスキー大聖堂に行きたいという気持ちを発散させたかっただけです。
お粗末さまでした。

タイトルの「どこへ去って行ったのか、 わが春の黄金の日々よ」はこの時期に生きていた、ロシア最大の詩人プーシキンの作品からお借りしました。




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