act.4





テニスコートに蝉の声が木霊する。じりじりと刺すような暑さを一身に受けながら、白石は最早水滴さえもまとっていないドリンクを一口飲んだ。例年通り猛暑と宣言された気象は相変わらず容赦がない。
熱した鉄板のような地面に座り込むと、更に暑さが増したような気がして首が自然と垂れていく。吐く息は未だ浅い。
練習試合終わりの体にこの天気は些か酷であった。ユニフォームの首元をつまんでパタパタと風を送りながら、白石は無意識に暑い、と呟く。

そう、暑い。ひたすら、暑い。

気を抜けば最後、存在感を遺憾なく発揮している太陽に意識をもっていかれそうな程である。気休めに被ったタオルの下から伺うように空を見上げれば、ぺたり、冷気をまとった何かが火照った頬に押しつけられた。予期せぬ冷たさに思わずびく、と肩をすくめれば、上から笑いを含んだ声が降ってきた。


「お疲れさん」


驚きながら見上げた先には少しだけ息の切れた謙也の姿があった。ああ、そういえば謙也も練習試合をしていたんだった。
試合表を思い返しながら手を頬へ伸ばす。大方保冷剤か何かだろうと高を括っていたら、それは今朝彼が奢ると言っていたアクエリで、なんだかんだ律儀な奴だなあと思いながら俺は謙也に礼を述べた。


「どうやった?」
「4−6。そっちは?」
「7−5。スタミナきれそうやったわ」


手でパタパタと風を送りながらそう言った謙也は、やはりこの暑さに参っているようで、犬のように舌をだしてぜーぜー言っている。先ほどのスナミナが切れそうだったというのもあながちウソではなさそうだ。お前こそアクエリ必要そうやけどな、と思いながらごくりとそれを仰ぐように飲めばきん、とした冷気が喉から内に入り込んでくる。よくお風呂上りや仕事終わりにサラリーマンが冷えたビールを飲んで生き返る、と口に出す理由が分かる気がした。確かにこれは生き返る。あまり体を冷やしすぎないようにアクエリを2,3口だけ飲んで、残りは謙也にやろうとキャップを閉めたのと同じくらいに、余程体力を奪われたのか謙也がふらふらと俺の横に来た。かと思うと、そのまま後ろにバタン、と倒れたものだから、熱中症かとぎょっとして体を親友の方に向けると、今度は予想以上の地面の暑さに驚いた謙也の奇声に鼓膜がさけそうになる。なんだ今日は。本当に厄日か。


「熱い!!!!死ぬ!!!!!!!」
「・・・考えたら分かるやろ」


ぐわんぐわんと謙也の奇声が反響している脳内を落ち着かせながら、俺は呆れを交えつつそう告げる。すると、謙也は教えてくれな分からんやろ、とか、ホンマに熱かったんやで、などと不満げにぶつぶつ言ってきて、その上じとりとした目でこちらを見てくる。癪に障ったのでその頬にさっきやられたようにアクエリを押し付けてやるとまたしても奇声があがる。本日2回目の鼓膜破れだ。もう余計なことはしないでおこうと、白石は体育座りした膝に顔をうずめながら思った。


「あ、そや、結局どないなった?まだ見えとる?」
「・・・見えとるけど」
「うわー、大変やなぁ・・・」


クラスメイト達に言われたら愛想笑いで済ますような言葉も、謙也が言う事によってそれは本物に変わる。なにしろ本当に、大変そうだな、大丈夫かな、と顔にでてしまっているのだ。きゅっと少し眉根を寄せながらこちらを見やるその瞳はやはり澄んでいて、どこか既視感を覚える。なんだろう、と逡巡してからあぁ、そうだと思い出す。確か入学した時もこいつこんな顔して俺に話しかけてきたっけ。最初こそ土足でどかどか踏み込んでくるような彼の態度が鬱陶しくて、気付かれないように少し避けていた時もあったが、それでも容赦なく俺に話しかけてくる彼は気付けば隣にいて笑いあってくれる親友になっていた。そのおかげで俺は自分を偽る機会がぐっと減ったのだった。今まで無理をしていた自覚はなかったのだが、本音で話せる機会が多くなったのは間違いなく目の前の親友のおかげだ。今回も例に漏れず気にかけてくれているようで、その顔が2年前のまだ幼かった謙也の面影と重なる。また懐かしいことを思いだしてしまったな、と一人ごちて、白石は心配させないように小さく謙也に笑いかけた。


「まだ見えるけど、大分慣れたで」
「慣れたて・・・いや、まぁなんかあったら言うんやで」


どこか腑に落ちない顔をさせつつも渋々納得した謙也は首にかけていたタオルで流れ出る汗を拭う。じっとしているだけでもたらりとこめかみから汗が流れ出るので、タオルはその役割を遺憾なく発揮し、その代償に水分を吸って重くなってしまっている。暑いなぁ、と話の折々にお互い零せば、むわっとした熱気がリアルに肌を滑る。湯気が出そうな程熱い地面に置かれてしまったアクエリはもう常温になってしまっているに違いない。
そんな頃合いに、それは唐突に訪れた。


「おーおーようやくかい。白石、お偉いさんのおでましやで」


少しの嫌味と冗談が混じった謙也の声が遠い。一つ膜を隔てた向こう側で聞こえるような、そう、例えるなら水中にいる時に聞こえるようなそれだ。あぁ来てしまった。朝に感じたあの絶望的な感情が胃の底からじくじくと浸食してくる。視界にいれたくない。ぐっと目をつむり頭からタオルを被ってしまえば、それでいい。とにかく視界をシャットダウンしなければ。いや、いっそトイレに行くふりでもしてしまおうか、なんて。普段の己からは考えもつかない行動ばかりが思いつき、実行したら最後、謙也や他のレギュラー陣たちにいらぬ心配をかけてしまうだろう。それも嫌だった。
悩んだ末、結局俺は飲み物を取りに行くという無難な選択肢を選んだ。こちらから接触することがなければ千歳との会話など連絡事項以外ほぼ無いに等しいので、地面だけ見て歩いていれば彼が視界に入る確率は低いはずだ。いや、頼むからどうかこのまま視界に入らないでいてくれ。そう願いながら白石は頭から被ったままのタオルを両手でぎゅっと握りしめた。


部活が終わるまで後1時間。それは同時に、白石が千歳を視界に入れてしまうまでのタイムリミットであった事を、この時の彼はまだ知らなかった。




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