拍手ログの続き



千歳、つい先日教えて貰ったばかりの彼の名前をなんとはなしに呼べば、常より幾分丸い瞳と視線がぶつかる。なんだ、そんなに驚くような事があるか。普段は呼べ呼べとうるさい癖に。


「何そんなにビックリしてんねん」
「え、やって名前……白石が名前呼んで…うわ、嬉しか!」


満面の笑みを向け今にもこちらに突進してきそうな千歳を片手で制す。危ない、背骨が粉々に砕ける所だった。これからは悔しいけれど体格差というものを意識してもらわなければ。腰に手を当てながら恒例の説教タイムに入ろうとした矢先、目の前で急停止した千歳の瞳が曇る。どうやら俺が制止をかけたのが気に食わなかったようだ。流石に怒ったかな、と様子を窺うと、眉間にしわを寄せた憎たらしい顔をしつつも千歳はどうやらまだこちらに耳を傾けてくれているようだった。
こういう所が憎めないんだよなあ、白石は心の中でだけ思って、くしゃりとボリュームのある黒髪を撫ぜた。


「あ、せや。今日の猫の餌、ちょお少なくやってくれん?」
「…どげんして。節約?」
「アホ、こない節約してどないすんねん。違うくて、なんか最近体調崩してるみたいやから」


ととと、と足元に寄ってきた猫の頭をしゃがみこんで撫でる。嬉しそうに鳴いてはいるもののやはり常より元気のないその声に自然と眉尻が下がった。


「それじゃあ餌も食べやすいのにした方が良かね」


俺の言いたいことが伝わったのか、千歳もしゃがみこんで子猫の耳の辺りをくりくりと触る。その顔は酷く悲しそうで、心配なのは何も自分だけではないのだと思った。途端、脳裏に親友との会話がフラッシュバックする。久々にかかってきた電話でつい長話をしてしまった時のこと、そういえばまだ話していなかったと思いあたり彼に千歳と猫の話をしたのが悪かった。なんや同棲みたいやな。悪気のないその一言に俺の中で大きな変化が起こった。違うとは思いつつも順を追って考えれば同棲と言われるのも仕方がない暮らしぶりであった。洗い物をしてやったり、ご飯を作ってやったり、休日を一緒に過ごしたり。話だけ聞いていれば恋人と過ごしているようにしか聞こえない。そして俺も、それに悪い気はしなかった。


「…なんでやろなあ」
「え…?」


膝に手をつきながらよしよし、と子猫を撫でる千歳を見つめながら白石はぼんやりと呟いた。丸い目がこちらを向く。俺ははっとして口を閉ざして、千歳もまた何も言わずに俺を見つめている。流れる沈黙の中、真っ黒な千歳の瞳から逃げるように顔を背けると、じり、と何かが膝をついて近寄ってくる感覚がした。


「白石」


覗き込みながら甘えた声で名前を呼ばれる。どうしたらいいか分からない。子猫のように甘えられればいいのに、それを俺の男というプライドが阻止する。どうしようもない意地っ張りだ。けれど、目の前でとろけるように笑うこいつは、そんな俺でもいいと言ってくれた。こつり、こめかみに千歳の髪の毛の感触。太陽の光を一杯に浴びたような匂いに誘われるように、俺はほんの少しだけ千歳の方へ身をよせたのだった。