act.1




湯上りで火照った体を冷やすように、窓から入ってきた風がゆるりと肌をなでる。少し長湯をしすぎたせいだろうか。のぼせる一歩手前のようなけだるさが体全体の皮膚を覆うような感覚がする。ふらふらと覚束ない足取りでベッドまで近寄った白石は、そのまま力尽きたかのようにぼふんと体を白いシーツへ吸い込ませる。いつもはサラサラに乾かす髪の毛も、今日は少しだけ湿ったままだ。

(今日くらいは良えか…)

心の内でそうごちて、白石は今度は仰向けになるようにごろりと寝転がった。さらりと枕に流れる鷲色の髪の毛は男にしては細く柔らかいもので、寝癖が付きやすい。そのせいもあって、白石は滅多なことがない限り髪の毛は必ず完璧に乾かしていた。けれど今日はそれさえも億劫だった。ほんのり甘いシャンプーの匂いが鼻を掠める中、白石は何かを考え込むような色を瞳に湛えてじっと天井を見つめた。


それから数十分後、けだるさから脱却した白石は何かに突き動かされるようにそっと自室の蛍光灯に手のひらをかざした。爪も長さも他の指より小さい小指を見つめて、時折何かを確かめるかのように曲げては伸ばしてを繰り返す。それを数回続けて、諦めたかのようにまたぽふんと腕をベッドに戻す。
我ながらとんだメルヘン思考だが、まあたまにはこんな夢物語に想いを馳せるのも悪くない。そう思いながら白石はくすりと今日の夕飯の時間を思い出し口端をあげた。


(…赤い糸、か)







あれはちょうど、俺が今日の夕飯のビーフシチューをスプーンで掬った時の事だった。向かいに座っていた妹が意気揚々と赤い糸の話を持ちかけてきたかと思うと、身振り手振りでその素晴らしさやロマンチックさを説いてきたのだ。それに圧倒されるように母親と姉がうんうんと相槌をうち、父親は視線だけを妹にやって食事を続けていた。
赤い糸はね、運命の相手へ繋がってるんだって、少々興奮気味に話していた彼女にもとうとう春が訪れようとしているのかもしれない。そんな幼いながらも女性として一歩を踏み出した妹に、姉はまだまだ子供なんだから、と冷ややかで生ぬるい視線を向けていた。しかしこちらから言わせてもらえばそういう姉自身も非常にロマンチストで、記念日に指輪がないから始まり、告白の捻りがいまいちだ、ムード作りが下手だ、まで。口を開けばいつも恋愛に対する愚痴ばかりで、俺からしてみたら姉も妹と同レベルな位置関係だ。
しかしここで日頃の鬱憤を晴らそうと軽々しく「姉ちゃんもやろ」、などとバカ正直に言ったら最後、痛い目を見ることは確実だ。それをきちんと学習済みな俺は、リンカーンも真っ青な妹の力説にへえ、と一つだけ相槌をうって、掬ったシチューに舌鼓を打ったのだった。


こんな経緯があって、俺は今現在自分の小指を見ていたわけだが、やはりいまいちピンとこない。見えるはずのない赤い糸を信じるだなんて、本当に女という生き物はよく分からないものだ。
もう一度確認するように手のひらを天井にかざした白石は、やはり依然として何も絡まっていない小指を眺めた。
しかし、まあ自分の赤い糸が仮に誰かへと繋がっているのなら、それはそれでちょっと知りたいかもしれない。誰かと家庭を築いて子供が生まれて幸せに笑い合ってる図は、15歳の自分には全く現実味を伴わない妄想だけれど。いつか自分の隣に立ってくれる人はどんな雰囲気なのだろう。
兄弟や姉妹がいたりするんだろうか。どんな風に笑って、どんな風に泣くのだろう。優しい人だといいな。それで、料理が上手で、休日は一緒に買い物したり、映画を見に行ったりして、最後は彼女を家まで送って、次のデートの約束をして。



しん、と静まり返った部屋に細いため息が落ちる。どうしてだかちらちらと千歳の顔がちらついて、運命の人との妄想デートどころではなかった。大体あいつの笑顔なんて人を小馬鹿にしたような皮肉っぽいものしか見たことないし、優しいというよりかは掴み所のない奴という印象が強い。まして料理上手かだなんて、まず俺たちは互いの日常生活を把握している程親しくない。


けれど、そんな自分の理想からかけ離れている千歳に、なぜだか俺は恋をしているらしい。それに気付いたのはつい最近の事で、正直動揺と不安が頭を占めているのが現状だ。恋をしたのが男な時点で常識の範囲外なのに、よりにもよって相手があの千歳とくれば葛藤は更に激しいものへとなる。
けれど、こうして頭の中では折り合いがつかずに苦しんでいるのに対して心臓だけは正直なものだから、いよいよもって面倒くさい。
こんな気持ちは良い意味でも悪い意味でも白石にとって初めての経験だった。


今日に至るまでの15年間、特に不自由なくそれなりに楽しんで人生を過ごしてきた。人並みにときめいて、人並みに付き合って、人並みに甘酸っぱい青春を謳歌して。それがどうだ、つい2ヶ月前にふらっと来たあいつのせいで俺の順風満帆な青春はどろどろのぐちゃぐちゃに成り下がってしまった。何故あんな奴なんかに心やら頭やらをかき乱されなくてはならないのだ。
ああ、面白くない。不愉快だ。俺をこんなに引っ掻き回してペースを狂わせる千歳も、気付けばあいつのことで頭が一杯になっている自分も。本当に救いようがないほどの馬鹿だ。

むしゃくしゃした感情のまま手のひらで目を覆えば当然視界は真っ暗闇に包まれる。
ああ、そういえば明日の部活のメニュー表まだ作っとらんかった。千歳はどうせサボリやろうから昼休みに渡しに行くかな。また昼寝でもしとるんやろうか。
瞼の裏、明日のことを考えていた白石の脳内にぼんやりと傷んだ癖毛が浮かび上がる。優しい瞳と、その下にある少しだけ薄い唇。それがゆっくりと動いて自分の名前を呼ぶ。白石、とあいつに呼ばれただけで、情けないほどに様々な感情が俺の胸に沁み渡るのだ。




(…堪忍、)

ほんのちょっと千歳を思い浮かべただけで心臓が早鐘のように脈打つ。それを服の上からぎゅっと手で抑え込んで、言い聞かせるように何度も心の内で繰り返した。おさまれ、おさまれ。ほんのりと色づいた頬を枕に押し付け、白石は行き場のない想いに強引に蓋をする。いつか言える日が来るのだろうか。この想いも、この辛さも。意識を奥へ奥へと押しやる中で、白石はぼんやりとそう思った。



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