もうすっかり鼻の頭が赤くなる季節がきた。
白石はそう思いながらすんっと鼻をすすって、遠くの空を見上げた。夏よりも星が生き生きと煌めいている冬の空が、千歳は好きだと言っていたっけ。ずっと一緒にいたせいでいつ言っただとかそういう事はいちいち覚えていないけれど。
強めの風がびゅう、と前髪を崩す。それを片手で直しながらこんな日は熱々の紅茶に限ると、白石はバイト帰りの寒空の下、その歩を少しだけ早めた。
いそいそと黒いトレンチコートから冷たい金属を取り出すと、それをドアノブに突き刺す。かちり、と音が鳴ったのを確認して勢いよくドアを開けると、暖かい空気が頬を包んでくれると思っていたそこはなぜか今まで自分が居た所とそう大差のない温度だった。思わず「寒っ」と大きい声で言ってしまった白石に、開け放たれたリビングの扉のずっと奥、ベランダの方から間延びしたおかえりーという声が聞こえた。一体あの馬鹿は何を考えているんだ。ボタンを外しかけていたコートを再び着込み大股でずかずかと進んでいくと、辿り着いた広い背中を平手でばしっと叩いた。


「何してんねん、風邪ひくで。ってか俺がひくわ」
「たまには良かばい。冬の空ってのも綺麗っちゃろ?」
「なんで帰ってまでこんな寒い中に居らなあかんねん。風邪引いても看病せえへんぞ」
「けちやねえ」


そう言ってへらり、と笑った千歳はジーンズの尻ポケットからくしゃくしゃのマルボロを取り出して口にくわえた。しゅぼっと音をたてて燃えたライターの火を、手をかざしながらタバコの先端につける様子はどことなくまだ不慣れであるように白石の目に映った。


随分不味そうに吸うものだ。白石はそう思うのと同時に珍しい、とも思った。
いつもは自分が口うるさく言うせいもあってあまりタバコを吸わない千歳なのだが、ごくたまにこうやって俺の目につきにくい所で吸う事がある。その原因はまだよく分からないけれど、何故だか俺はこれが千歳から発信されるある種の「信号」のように思えて仕方がない。
けれど、「どうかしたのか」だとか、「力になりたいから話してほしい」だとか、そういうものは俺たちの間にはない。お互い口に出して言いにくいものはある。それを喋ってほしいだなんてずうずうしいにも程があるというものだ。極論を言ってしまえば、俺たちは恋人同士でお互いに大事な存在であるけれども、所詮他人は他人。つまり、同棲する上でもそうだが、お互いに踏み込まれたくない領域もあるという事だ。だから俺はこういう時、だまって千歳の隣に立つと決めている。話したくなったら話せばいいと、そう思う。辛い時に寄りかかってもらえる支えであると同時に、彼から吐きだされる愚痴や不満にじっと耳を傾ける事が恋人としての自分の役目だと白石は思っている。別の人から見たら大変自己満足な行為ではあるが、それで現状うまくいっているのだから結果オーライだ。問題ない。


「蔵?」
「ん?」


ぼうっとしていた思考を名前を呼ばれた事で引き戻した白石は、いつもよりどこか少しだけ頼りない千歳に視線を向けた。


「寒かね」
「・・・せやな」
「うん、寒か」


ふぅ、と吐きだした煙を夜風にのせて、千歳は遠くを見つめた。少しかさついた唇からは相変わらず確信めいたものは何も零れないけれど、最初のおどけたような雰囲気はなくなった。そんな彼の横顔に白石はひたり、と手の甲を押し付けた。ずっとコートのポケットに入れておいた手は千歳の頬より幾分か温かいはずだ。
はっと驚いた千歳の両目が白石を捉え、沈黙が落ちる。千歳の人差し指と中指に挟まったタバコがじりじりと灰の領域を増やしていく中、白石はするりと千歳の目元を親指で撫でた。


「寒いなら、俺が紅茶いれたるわ」


そう言って薄く笑ってからくしゃり、と彼のもじゃもじゃした癖毛をかき回して背中を向ける。紅茶はアールグレイがいいかな、などと考えていると、一呼吸おいてからどん、と後ろから衝撃が走った。思わず前のめりになった体をつま先で耐えながら、肩口にあたる生温かい吐息に目線を向けると、普段は見る事のない千歳のつむじが目に入った。背中越しから伝わる彼の鼓動に意識を向けながら白石はじっと千歳の言葉を待った。


「・・・、ミルクたっぷりで」
「はいはい、ハチミツもやろ」
「ぬるめにしてくれると嬉しか・・・」
「贅沢やなー、今日だけやで」


笑いながらそう言うと、うん、とくぐもった声が聞こえて、先程まで肩口に埋まっていた口元がゆっくりと白石の耳へと移動した。耳たぶ、首筋、髪、瞼、頬、そして唇の順に暖かな感触が落ちてくる。じゃれるようなそれを笑いながら受け入れ、ほんのりと苦いものがまた唇に落ちてきた時そっと目を瞑った。唇の皺と皺をぴったりと合わせるような暖かいキスに、白石は段々と背中に体重をかけ千歳に寄りかかっていく。前に回っていた千歳の手が白石の頬をさらり、と撫で上げた時、それに促されるようにうっすらと白石が目を開けると、千歳もこちらを見ていた。その瞳の色はどこまでも優しい漆黒だった。


「おおきに」


伝えられた一言に心の隅々までじわじわと暖かさが広がっていく。どうやら俺は彼の支えになれたようだ。いつも世話になっているので、こうやって少しでも借りが返していけたらいいのだけれど、いかんせん俺の方が沢山支えてもらっているので全てを返せるのは千歳が死んでしまう頃になってしまうかもしれない。
そんな事を思いながら白石は、寒いと悪態を吐いていた部屋の中で少々場違いな幸せを噛みしめた。



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