※本人はバリバリちとくらのつもりで書いてますが千歳がヘタレすぎてリバっぽいです。それでも大丈夫な方はどうぞ






帰り道、ひゅうと鳴きながら吹く風に思わず肩をすくめる。乾燥した空気はこちらの都合も考えずに容赦なく髪の毛や肌を撫ぜ、そしてまたすぐに去っていく。閑静な住宅街にいるとより一層寒さが身に沁みるのは自分だけではないだろう。ぞわり、背筋からのぼってくる寒気を歯を食いしばって耐えれば、それに比例して体のあちこちが強張るのを感じる。季節は秋と冬の境目。落ち着いた深緑の生地にチェックをあしらったマフラーだけでは少々心もとない時期にさしかかってきた。
肩に下げたラケットバックを持ち直しながら白石はすでに暗くなり始めた空を仰いだ。朱、薄紫、紺で形成されたマーブル模様の空はとても幻想的で、白石のお気に入りでもあった。ああ綺麗だ。手前の紺にはすでにいくつか星も煌めきだしているというのに、端に追いやられた朱は未だに赤く燃えるように存在を主張している。そんな夕方と夜の狭間の色を白石はほぅ、と息を吐き出しながら見つめた。それから綺麗だな、そう言ってこの景色を隣にいる男と共有しようと思った。けれど視線をやった先には鼻の頭をほんの少しだけ赤く染め、自分と同じように体中をぐっと強張らせた千歳がいた。容赦ない空っ風に負けじと俯きながら立ち向かってる様がなんだかおかしくて少し笑ってしまった。
寒さのせいでいつも以上に口数の少ない会話の中で、それでも寒いな、と互いにポツポツ言い合いながら歩いていると、すぐに千歳のボロアパートが見えてくる。千歳のアパートは築50年以上の木造で、よくまあ人が住めたものだと感心してしまう程のボロさだ。近所の子供たちからはおばけ屋敷と呼ばれているそのアパートの、今にも崩れ落ちそうな赤錆だらけの階段の前で白石はいつも千歳と別れる。その後、ほんの少しだけ千歳の事を思い返しながらいつも帰路につくのだ。今回も、「窓開けっぱなしで寝るなよ」と。そう一言注意してから帰ろうと思っていた白石を、千歳は歯切れ悪く呼び止めた。


「最近冷え込んできたけん、…あー、その」


どこか言いにくそうに口元をまごつかせる千歳の言葉はとても聞き取りづらかった。ともすれば風の音でかき消されてしまいそうなそれを、白石はなんとか拾おうと千歳に歩み寄る。すると、まるでそれが合図だったかのようにいきなり千歳が手首をむんずと掴む。ぎょっとして視線をあげた先にはしまった、どうしようという感情が前面にでた表情をした千歳。この様子では何か用があるのだろう。そう思って千歳の言葉を待っていると、彼はくるりと白石に背を向け階段を上り出す。手首は掴まれたままだ。


「お、おい、おい千歳!」


乱雑に階段を上る背中を必死に追いかけながら、白石は千歳に何度も声をかける。反応は相変わらずない。時折掴まれた腕をふりほどくように振ってみても、ぐっと掴まれたそれは予想外の強さでもって繋がれたままだ。一体なんなのだ。予測不能な千歳の思考についていけなくなった白石は、もうどうにでもなれと素直に千歳に従うことに決めた。
ただでさえ長い階段を千歳は一心不乱にのぼる。それにひっぱられる形でなんとかついていきながら、白石は呼吸もままならない状態で浅く息を繰り返した。顔をあげているのも辛くなり思わず顔をさげると、こちらの股下事情を一切考えていないだろう千歳の嫌みな位長い足が視界の端に映った。





冷え切っていた体にうっすらと汗がにじんできた頃、白石はようやくドアの前で掴まれていた腕を解放された。どうやら地獄のような階段のぼりは終わりを迎えたようだ。束の間の休息の時間を無駄にすまいと、白石は胸に手を置いて酸素を取り入れる。浅く息を繰り返せば久方ぶりの酸素に肺がきゅうと締め付けられた。部活後のように早い脈拍を刻む白石とは打って変わって、千歳はとくに変わった様子もなく今も鈍く光るドアノブに鍵を差し込もうとしている所だ。

(…結局、なんやったんや…)

事情も説明されないまま腕を掴まれ、ぎょっとしていたら今度は息つく暇なく階段を上らされ。全く読めない千歳の意図を探るように、白石は千歳を見上げる形で視線を送った。

(……、それにしても)

千歳の様子を伺いながら白石はそう前置いて、彼の手元に視線を移した。寒さのせいか、それともはやる気持ちがそうさせるのか、先ほどから千歳はドアノブに鍵を差し込めずがちゃがちゃと耳障りな音をたてている。せっかちな男だ。そんな焦らずともここに来てしまった以上逃げ帰るだなんて選択肢は、もう自分の中にはないのに。そう思いながら白石が乾燥した喉に唾液を押し込んだ時、ようやくドアが開いたのか少しだけ隙間が見えた。立てつけの悪いドアなようでぐ、ぐ、と何度か力を込めてやっと開くのである。がたん、少し大きな音をたててドアが完全に開いたのを確認してから、白石は何気なく千歳の肩越しに薄暗い部屋を見た。そして、ある事に思いあたった。


もしかして、これは連れ込もうとしているのか?
とうとう一線を、越えてしまうのか?


そんな考えが一瞬で頭を巡った。途端、不覚にも手足が動かなくなった。
何を隠そう白石蔵ノ介と千歳千里は、付き合って3カ月目の、いわゆる恋人同士であった。どうせ手が早い千歳のことだ、すぐに体を求めてくるに違いない。そう思っていた白石は体を繋げる覚悟を早い段階でつけていた。ところが予想外に千歳が中々手を出してこないものだから、白石としては肩透かしを食らった気分だ。
そして同時に安堵もしていた。千歳を受け入れるのに恐怖感がない訳ではない。勿論繋がりたいという気持ちはあったが、冷静に考えてあれがあそこに入るなど最早スプラッタだ。だから白石自身、千歳が手を出してこない現状に甘えてまた今度でいいかとその時期を先延ばしにしていった。その結果、月日だけがゆるやかに流れていったのだった。
3か月。千歳と付き合って3か月だ。その間にやけくそ気味に固めた覚悟はあっという間にバラバラになって、今ではもう跡形もない。そんな時に不意打ちでこんな状況に陥るだなんて、一体誰が予想しただろうか。困った。非常に困った。
白石の思考は、もはや手を付けられない程に荒れていた。どうにかして打開策を練ろうと考えを巡らせるも結局は脳内が更にぐちゃぐちゃになって終わりだ。

(ここまで来て、逃げる訳にもいかんし…)

無意識にこくりと喉を鳴らせば、今まで背中を向けていた千歳がくるりとその身を反転しこちらに向き直った。


「あの、白石」
「な、なんや…」
「その、…いきなりやけど…」
「…なんや!い、言うとくけどなあ!俺最初にシャワー派やから!」


自分でも何を言っているのだろうと思いながら己の自暴自棄な発言を白石は真っ白な頭の中で後悔した。死にたい。いっそのことここから身を投げてしまいたい。そんな今にも紐なしバンジーをきめようとしている白石の心情を知ってか知らずか、千歳は顔をきらめかせてこう言うのだ。


「鍋ば食べったい!」


欲の色などまったくない瞳でこちらを見やる千歳に、白石はぼんっと頭が爆発した音をどこか遠くで聞いた。





冷静さを欠くなど自分らしくない。どこか憮然とした心持ちで白石はどすどす、と板を踏み鳴らしながら千歳の後についていった。先ほど自分が何を口走ったのかはもう考えたくもなかった。ちらつく己の愚行を思考の隅に追いやり、未だ赤い頬のまま白石は通された千歳のワンルームの部屋に足を踏み入れる。
第一印象は、なにもない部屋。よく言えば綺麗、悪く言えば必要最低限の物しか置いていないこの部屋は、それでもしかれたままになっている布団が千歳らしさを垣間見せた。促されるままにすっかり色の抜けた畳に腰を下ろすと、部屋の隅に荷物を置いた千歳が振り向きざま「じゃあ俺鍋作ってくるけん、白石はそこに居なっせ」と言って薄暗い台所へ向かって行く。


「お、俺も手伝うで?」
「いや、誘ったんは俺やけんね」


ばたばたとステンレスを叩く水の音を背に千歳は早速とんとん、と軽快に野菜を切っていく。少し猫背気味な後姿が狭い台所の中を窮屈そうに移動しているのを、低いちゃぶだいに肘を乗せて観察する。存外手際よく料理をしている千歳は、今まで白石が知る事のなかった彼の一面を覗かせる。そんな後姿を見ていると、ちゃんと一人暮らししているんだなあと思ってしまう。今までどうにも千歳が料理をする姿というものが想像できなかった。はっきり言ってしまえば今だって本当にちゃんとできているのだろうかだとか、食べられる所まで包丁で切って捨てていないだろうかとか、思う所は色々あるのだがここは黙って見守っておくことにしよう。
そう心に決めたものの、結局美味しそうに湯気をあげる鍋が目の前にくるまで白石はそわそわとして落ち着かなかった。





「ふー、うまかった…」
「お粗末様でした」
「いやいや。ほんま、意外やったわ」


常より幾分か膨れた腹を片手でさすりながら白石は苦笑交じりに言う。いやー本当に、面倒くさがりなお前がまさか料理だなんて。思わず勢いに任せてこぼれ出そうになった言葉を慌てて飲み込み、白石は満更でもなさそうな千歳を見やる。


「これでいつでもお嫁にいけるばい」


締めに作ったおじやの残りを千歳が掬う。
千歳が、嫁。一瞬想像してないな、と思った白石は脳裏に浮かんだ割烹着姿の千歳を早々に消し去った。


「嫁の貰い手が居ると良えな」
「引く手あまたばい」


軽口で返され思わず息を漏らして笑う。しかし、実際の所こんなバカでかい嫁を貰うだなんて物好きか酔狂しかいないだろう。なんせこいつは甲斐性なしのさぼり魔で、こっちが言った事などすぐに忘れてしまうし、その上それを少しも悪いと思っていないのだ。

(…って事は俺も物好きか酔狂に入るんやろか)

ぼんやりとちゃぶ台に肘をつきおじやを食べている千歳を見やる。男子中学生らしい豪快な食べっぷりに目を細めていると、いつもより幼く見える瞳と視線がかち合う。お、と思って口端をあげてやればすぐに目線は外され、また黙々とおじやを食べ始める。

(どうしたんやろ…)

いつもの千歳ならここで見惚れてたとね?だとかなんとか言って俺に足でも蹴られている所なのだが。不思議に思って尚も千歳のことを見つめていると、ちらちらとこちらを窺うように視線がなげかけられる。しかしまた目が合うとさっと逸らされる。それが数度続いた所で限界に達した白石が静かに口を開く。


「…なんやねん」
「…いや、なんでもなか」


どう見ても「なんでもない」顔ではない。けれど追求するのも面倒だったので、白石はまあいいかと千歳を視界の端に追いやった。

(それにしてもこの鍋…)

白石はすっかり食べ終えて空になった土鍋を見下ろす。先ほどまで食べていた千歳の鍋は、いかにも冷蔵庫の大掃除といったような具材がふんだんに使われたものだった。加えて油抜きをしていない油揚げ、1つしか入っていない豆腐、信じられない程の山盛りの白菜、バランス的には最悪の部類であった。味も繊細、などとはお世辞にも言えない大ざっぱな味付けで、普段白石が口にするような鍋とは雲泥の差だ。けれどそんな千歳らしい味付けが、白石は嫌いではなかった。これだったらまたお呼ばれされてやってもいいな、と満足げに胡坐をかいていた足を伸ばす。
かち、こち。黒い目覚まし時計が秒針を刻む。その音が酷くうるさく聞こえた。なぜだろうとぼんやり考えて、気付く。そうだ、千歳がまったく喋っていない。普段から饒舌という訳ではない二人だったが、顔を合わせればそこそこ普通に会話をしていた。その内容はくだらないものが大半だったが、今までつまらないと感じたことはなかった。だからこそ、この不自然な沈黙がむず痒かった。



結局、いつまでたっても鳴らない物音にギブアップしたのは白石の方だった。作ってもらったのだから後片付けは礼儀だろうと、この静かな空間から脱する為の大義名分にしては尤もらしい意志を掲げて、白石はのろのろと食べ終わった食器を片づけ始める。カチャリ、カチャリ。陶器同士がぶつかる音だけが薄暗い六畳間に響く。


「…白石」
「ん?」


ようやく空気を震わせた声に落としていた視線をあげると、神妙な顔つきの千歳が恐る恐るといった感じでこちらに体を向ける。本当に、今日はどうしたというのだろう。なんだか嫌な胸騒ぎを抱えつつ、自分も手に持っていた食器類をちゃぶ台に置いて千歳を見据える。きゅ、と噤まれた彼の薄い唇は、未だ口にするかしまいかを迷っているらしく、時折小さく開かれるも結局言葉にならずにまた閉じられてしまう。それを数度繰り返した後、白石の耳に届いたのは「お願いがある」という一言だった。

(お願い、か…。また突拍子もない)

ほんの少しだけ肩の力が抜けた白石は、とにかくこの妙な雰囲気をどうにかしようと真剣な面持ちの千歳に笑いかける。


「相変わらずいきなりやなあ。まぁ、うん。ええで、俺が叶えられる事やったら善処する」


頬杖をつきながらそう言えば、心底意外そうに目を丸くしている千歳に逆にこちらが驚く。何か変な事でも言っただろうか。お互いに目を丸くしながらも白石は千歳の言葉を待った。


「あの、ほ、ほなこつ良かと…?」
「え、そんな難しいお願い事なん?」
「そ、そうじゃなか!ばってん…」
「まどろっこしいなあ。ほら、何?」


平行線をたどる会話に終止符を打って先を促せば、千歳はもそもそと佇まいを正し始める。大きな体と小さなちゃぶ台がアンバランスだなあ、と関係ない事を考えながらそれを見ていた白石は、次に千歳が言い放った言葉にまた目を丸くする事となる。


「白石から、キスしてほしか」


一世一代の告白のようにきゅう、と目を瞑る千歳に思わず言葉を失う。

(な、なんや…?まさかそれだけちゃうやろな…)

てっきり一線を越えるものだと思っていた白石はまたしても覚えある肩透かしを食らった。まるで自分が卑しい人間のように見えてくる程のピュアさだ。予想外すぎて暫くぽかんと呆けていたが、緊張しながらもどこか期待している千歳の顔を見てふと我に返る。そ、そうだ。お願いされているのだから叶えてやらなければ。じゃあ失礼して、と千歳の目の前から横へずりずりと移動して、両頬を手で挟む。こちらを向かせるように力をこめれば、それに逆らうことなく小麦色の肌がこちらを向く。

(くそ、嫌味なくらい良い男やな…)

至近距離で千歳を見つめながら白石は一人ごちた。まぶたの縁を彩るのは男にしては勿体ないほどの黒く長いまつげ。それが今は緊張の為かふるりと揺れている。その下のキリリとした強い意志と、これからの展開を期待しているであろう彼の濡れた瞳には欲に濡れた己の姿が映っている。すっと通った鼻の下、薄い唇が小さく開くのを確認して、そっとそこに親指をすべらせた。


「し、白石」


雰囲気に耐えられなくなったのか、慌てたような声色で千歳が呼ぶのを白石は無視した。そして、自分からするとこうも感覚が違うものかとどこか支配欲に満ちた胸中で、そっと肉薄な唇に顔を寄せる。千歳の匂いだ。それにまた鼓動を早めれば、いきなりべりっと体を引き離される。恋人の思ってもみなかった行動に目を丸くした白石が動けないでいると、なぜか千歳はふるふるとその肩を震わせて俯いている。黒い癖毛から少しだけはみ出ている形のいい耳が信じられないくらい赤い。恥ずかしくて耐えられなかったのだろうか。人は見かけによらないものだと思いながら白石が伺うように千歳の肩に手を置けば、焦りに潤んだ瞳とばちりと目が合った。


「白石の手つき、やらしかもん…」
「…まだキスもしてへんで」


どくどくと脈打つ鼓動は恐らく千歳も同じだろう。今この瞬間二人の間には何か濃密なものが流れていた。先ほど二人でつついていた鍋のような暖かなものではなく、むわっとむせ返るようなそれ。つ、と千歳の頬に両手を差し込み覗き込むように見つめれば、熱を帯びた黒曜石の瞳が一瞬切なげに細められた。はあ、と吐き出す息でさえ、今は二人を煽る要素の一つにしかならない。誘われるがままに近づいてくる千歳に、連動するようにそっと瞼を閉じる。唇に柔らかな感触が訪れたのは、18時42分の事であった。



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -