エマージェンシー、エマージェンシー!
タンクが空です、補充して下さい。





自分が案外嫉妬深いのだと気付いたのは千歳と付き合いだして一ヶ月が経とうという頃だった。
アスファルトから立ち上る熱気に視界が揺らめく、夏。白石のクラスにある噂が流れた。常であったら涼しい顔をしていられた白石も、見知った人物が噂されているとなると話は別である。
隣のクラスの女子が千歳くんの事を好きらしい。ひっそりと、けれど確実に広まる噂話は白石の心臓をつん、と切なく締め付けた。そしてその痛みに釣られるように、気持ちは徐々に下へと下降していった。
自分でも対処の仕方の分からないその痛みに、今までに感じた事のない感情が加わりだしたのはいつの事だったか。怒りに似ているけれども、そこに収まるには何か居心地が悪い。しかし他に形容の仕方が今の自分にはない「それ」。一体己の胸中をぐちゃぐちゃにかき乱していくこの感情は何なのだろうか。ゆっくりと時間をかけて考えた末辿り着いた先には、嫉妬という受け入れがたい事実があった。
嫉妬だなんて醜くて、下品で、自分には一生縁のない物だと思っていただけに、自覚をしてしまった時は衝撃的だった。信じられなくて、信じたくなくて、けれど想いは止まらなくて。
耐え難い状況から逃げ出したくなって別れを切り出した時もあった。そんな時、決まって恋人はそれを引き止めた。鈍感だけれど己を真っ直ぐ想ってくれている瞳、頑な想いを解きほぐす彼の言葉。そして結局白旗をあげる自分。それを無限ループのようにぐるぐると繰り返してきた。


かちゃり、陶器のぶつかる音がしてはっと意識を戻す。目の前には夕食のサンマを箸でほぐしている千歳。もう一方の手ではかちかちとせわしなく携帯を弄っている。ここ最近よく見かけるその姿にふと身に覚えのある感情が湧き上がった。忌々しい、嫉妬である。時間さえあれば携帯と向き合う千歳にも、液晶の向こう側で千歳を縛り付ける相手にも、白石は嫉妬した。

(…格好わる)

そっと目を伏せじくじくと胸を苛む想いに溜め息を吐いた。思い返してみればこの所お互い課題やらレポートやらに追われて恋人同士としての触れ合いは殆ど無かった気がする。そして、友達同士で同居しているような雰囲気になりつつあったのも認める。けれど想いが離れたかと言われれば答えは否で。それでもやはり、まぁいいかと放っておいた自分が悪いのだろうか。
いつのまにか隣に居たはずの千歳がどこか遠くに行ってしまった気がして。そして今、その千歳の傍には己の知らない人物がちらついていて、ああ考えるだけで嫌になる。
白石は脳裏に浮かんだ己の浅はかな考えを散らすように、未だに夕食に口を付けない千歳の名前を呼んだ。


「千歳」
「…ん?」


ワンテンポ遅れた返事にかちん、ときたものの、ここで声を荒げるのはどうにも負けた気がして嫌だったので、無言で視線を注ぎメールを止めるよう訴えかける。すると、それからたっぷり十秒後、千歳はようやく俺の意図に気付いたのか携帯をぱちりと閉じた。


「すまんね」


そう一言言ってほぐしていたサンマを口に運ぶ。脂ののった身に、それが隠れる位たっぷりと大根おろしを乗せて食べるのが千歳のお気に入りの食べ方だ。そのせいで我が家の大根おろしの消費量は物凄いことになっている。


「うまか。蔵はほなこつ料理上手たいね」


焼き魚がお気に召したようでにこにこと屈託なく笑う千歳に、そらどうも、と小憎たらしく返してしまう辺り、自分はまだまだ幼いと思った。本当は嬉しいのに、子供じみた嫉妬はいつも「ありがとう」を消していく。いつもこうだ。白石は己の心の狭さに辟易した。それと同時にメールの相手誰なん?、というたったそれだけの事も聞けない自分にもうんざりした。これだけ一緒にいるのだから、少しは千歳の素直さが移ってもいい位なのに。自然、落ちる視線はまだ手をつけていない己のサンマへと注がれた。





夕食後、いつものようにダイニングテーブルからソファへと移動した千歳は慣れた手つきでリモコンを操る。それを追いかけるように自分も隣に座ると、恒例となったテレビの鑑賞会の始まり。視聴率が良いと評判のバラエティー番組はあまり好きではなかったが、千歳が随分と気にいっているようでなんだかんだ自分も毎週かかさず見ている。会話は、ない。

(…なんか、気まず…)

そっと今日何度目か分からないため息を吐きながら背もたれに背中を預ければ、茶色のソファは絶妙な感触で白石を受け入れてくれた。

(ああそういえば、)

このソファにも一悶着あったな、と白石はそっと過去に思いを馳せた。最初はカタログを見ながら色や座り心地について新婚夫婦よろしく話し合っていたのが、次第にお互いの主張をぶつけ合うど派手な喧嘩に発展して、それから一週間口も聞かない状態が続いた。結局、折れたのは千歳だった。
なんだか懐かしい、千歳は覚えているだろうか。ちらりと横目で隣を見ると、恋人はまた携帯を弄って何やら嬉しそうな顔をしていた。

(また、俺の知らない顔…)

つい、と視線を戻した白石は近くにあったクッションを抱え込みそっとそこに顔を埋めた。前まではぴたりとくっつくように座ってきた千歳との間には、ほんの少しの隙間が開いていた。
このままでいいのだろうか。そんな漠然とした思いが胸にこみ上げてくる。例えば、この少しの隙間がどんどん開いて、最後には千歳がこの家から出ていってしまったら。そして、携帯の向こう側の相手と幸せそうに微笑みあっていたら。

(そんなの、耐えられへん)


「千歳」


衝動に任せて名前を呼べば間延びした返事が返ってくる。絶対後悔はしたくない。くぐもった声でもう一度名前を呼んで、ゆっくりとクッションから顔をあげた。


「…足りひん」
「え、」


僅かに見開かれた瞳には驚きと困惑の色が見てとれた。主語も目的語もないその言葉に固まる千歳。そんな彼に思いをぶつけるようにクッションを投げつけた。


「なんもかんも、会話も笑顔もキスもセックスも、全部足りひん…!」


息を呑む千歳に矢継ぎ早に言葉を続ける。今言葉が途切れてしまえば、きっとまた自分は口を閉ざす気がした。


「好いとおよって言えや!蔵だけ愛しとお、って…、言えや…。…二人で居るのに、独りは嫌や…」


ぎゅっと膝の上で握りしめた手はその強さから白に変化する。我が儘かもしれない。自分から行動しないで相手に全てを求めるなんて。けれどもう限界だった。どうにかして0になったものを取り戻したくて、そしてそれを「彼自身」から再び与えられる事で優越感に浸りたかった、のかもしれない。その位に己の嫉妬の矛先の相手はあまりにも不透明で。そうする事でしか安堵できなかった。


「…すまん」


落ちた沈黙を破る千歳の一言に、息が止まった。拒絶、されたのだろうか。あまりにも唐突な言葉に涙さえ出なかった。


「蔵の事、放っておいて、すまん」


膝の上に置いていた手をとられ、きゅ、と力無く握られる。真っ直ぐに見つめてくる瞳は、あの時のまま変わらない。


「最近忙しかったけん蔵んこつあんまり構えんかった。ばってんそれが蔵をこげん追い込んどったんは知らんかったばい。…すまんね」


握られた手はいつしか形を変え、互いの指と指を交差させるものへと変化していった。そしてそのまま優しく体を引き寄せられると、久々に感じる体温に痛い位心臓が高鳴った。


「すまん、蔵」
「…謝ってばっかりや」
「…すまん」
「謝る前にする事ないんかアホ…」


繋いでいた手がゆるりと解かれ、自由になった千歳の両手が行き着く先は自分の両頬。挟むような形で上を向かされて、見上げた顔には俺にしか見せない優しい顔があった。釣られるように緩く微笑めば顔中に降り注ぐキスの雨に思わず小さな笑いが零れた。


「好いとおよ…」
「言うんが遅いねん」


数分前まで胸を占めていた絶望がすうっと引いていくのを感じた。こんな事で許してしまうなんて自分自身でも単純だと思う。けれど千歳の瞳はいつだって正直だし、今も優しい色で俺を見つめてくるそれは、己の浅はかな考えを綺麗に消し去るだけの効果を持っていた。


「結局、メール誰やったん?」


久々に訪れた甘い雰囲気に身を任せながら尋ねれば、背中に腕が回る。次いで彼の口から出たのは大学の後輩という単語だった。


「そうやねえ、ちいと扱い辛い後輩で、あ、どことなく財前に似とるばい。自分の殻に閉じこもって、差し伸ばされた手でも容赦なく払い落とすとこなんか、特に」
「謙也も手こずっとったもんな」


懐かしむようにそっとあの頃を思い返すと、脳裏には休み時間ごとにどうやって財前に一矢報いてやろうかと相談を持ちかけてくる親友が鮮明に蘇った。彼は彼なりに財前に気を使わせないように手を差し伸べていたのだろう。ただあまりにも頻繁で非常に面倒臭かったが。


「そしたらそいつから1ヶ月前に連絡ばあって、その、恋をしたんやと」
「へぇ」
「めげずに話しかけてきて、笑顔が絶えない、優しい人って書いてあって」
「なんやそれ、まるでどっかの誰かさん達みたいやな」


笑いながら千歳の胸から顔を上げた。千歳もどこか嬉しそうに笑っていた。多分千歳はその彼に色々アドバイスでもしていたのだろう。普段はあまり自分から何かをする事はない千歳も、身近な人物達を彷彿とさせる後輩達の恋の行方には思わず介入してしまったのかと、どこか晴れやかな気分で千歳を見つめた。真相を知ってしまえば自分だけが酷く空回りしていた結果になったが、おかげでもう一度初心に帰れた気がする。千歳の唇に触れるだけのキスを送ってもう一度その大きな体に抱きついた。




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(補充完了しました!)






虹輝様、リクエストありがとうございました


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