無理や。限界。
天井を仰ぐように顔をあげて目をつむった。壁に掛けてある時計の針は、あいつに指定された時刻をとっくに過ぎていた。今現在俺の居る場所。駅の待合室。健気に待っている、俺。偉い、一人心の中で呟きながらずるずると座っていた椅子の背もたれに寄りかかった。かれこれ2時間座っている為俺の尻も、遅刻を許せる広い心も限界だった。俺のプリティヒップをどうしてくれんねんあのアホ。


大体、千歳はいつも勝手なのだ。つい先日かかってきた電話も酷く一方的なものだった。もしもし、から始まり勝手に用件だけ伝えて切った空気の読めない彼に青筋を立てるのはいつもの事。普通恋人との久しぶりの対話はもっと甘ったるい雰囲気になるんじゃないのか。寂しかった?だの、会いたい、だの、まぁ色々。いや、別にそういう空気が欲しい訳じゃない。ただの一般論を述べているまでだ。

(俺がおかしいんか?・・・や、違うやろ)

思い返してみても、千歳はいつも優位に立って自分の思い通りに事を運んでいた。それが面白くなくて自分から仕掛けてみた事もあったが勝てた試しはなく、それどころか、余裕の笑みで抱きしめられて流されてしまう。その繰り返し。
ぎゅっと、握っていた飲み物に力を込めると、待合室に入る前までは熱かったそれは、もうすっかり冷え切っていた。そこからゆっくりと熱が奪われてく感覚にくしゃりと顔を歪めて、俯いた。
・・・あーもう!
あいつごときに脳内がめちゃくちゃにかき回されるのは納得いかない。一回寂しさを怒りに変えてしまえば出てくるのは日ごろの鬱憤のみ。会ったらどうしてやろうかと思案に暮れていると、ぴたり、と俺の目の前で誰かの足が止まった。
もしや、顔を上げれば案の定。
ひょうひょうとした常と変らない顔の彼に思わず眉間に皺を寄せる。


「遅い」
「すまんね、雪が降ってたけん遅くなったばい」


千歳は、本当に悪いと思っているのかと疑いたくなるような気の抜けた笑みでそう返してきた。それだったらそうと連絡を入れるべきなんじゃないか。何のための文明の利器だ。けれどいざ本人を目の前にすると心の内の怒りは中々出てこないもので。
おかえり。時計もまともに読めないんか。携帯使えば良えやん。
彼に投げかけるべき言葉の正解が知りたかった。


「隣、座っても良か?」


そう言って間髪無く隣の席に腰掛ける千歳。聞く意味ないやん。ちらっと横に視線だけやってまたすぐ戻した。


「ただいま」
「・・・、おかえり」


覗き込むようにそう言ってくるから、少し目線をずらしてそう告げた。まっすぐな瞳から逃げるような自分のその行為に苛ついた。


「遅れたんはほんまに悪かったと」


しょうがないなぁ、という雰囲気を纏った千歳が飲み物を握っていた俺の手に手を重ねる。それだけで体温と心拍数がぐん、と上がって、そんな自分が滑稽でほんの少しだけ恥ずかしくなった。握り返すべきだろうか、悶々とくだらない事を考えているとその手はすぐに離れてしまった。

(あ、)

声に出てしまいそうになったのを何とか堪えれば、今度は髪の毛を撫でられた。子供扱いをされているようなその行為にむっとして彼の腕を押しやれば、さも意外といったようなキョトンとした顔でこちらを見ている。


「なんやねん」
「いや、頭撫でられるん好きやち思っとったけん」
「はぁ?」
「やってよく擦りよって来るっちゃろ」


それにもう一度疑問の意を投げかけようと口を開いて、固まる。ちょっと待て、それって。


「あああああアホやろお前!!」


公衆の面前でさらりと言ってのけた千歳に動揺した。一気にぶわりと嫌な汗が出てきて頬が異常に熱くなった。多分、赤い。恥ずかしさで死ねるってこの事か、と妙に納得してしまった。


「誰も居らんけん、良かね」
「・・・へ?」


ぐるり、周りを見渡せば確かに誰も居なかった。俺が千歳を待っている間にみんな帰ってしまったのだろう。そんな事も分からないくらい考え込んでいたというのか。そう認識した途端にぼふっと顔から火がでる勢いで羞恥が襲ってきて、それを誤魔化すように言い訳じみた言葉が口をついて出る。


「い、いやっ、だ、誰も居らんからって言うて良え訳ちゃうやん?!」
「そうやね、気をつけるったい」


なんだこの変なテンション。本当に俺か。白石蔵ノ介か。しっかりしろ、と千歳にばれない様に前を向いて深呼吸をしていると、隣で千歳がまたごちゃごちゃと何かを喋っている。今聞いている余裕ないねんけど、そう思いながらもここで怪しまれるのはもっと危険だと思い適当に返事だけしておく。すると、それが気に入らなかったのか千歳は頬を両手で挟んでぐるり、と俺の顔が千歳に向くように動かした。


「ちゃんと聞いとった?」
「・・・え?」
「やけん、約束は守ったとよ」
「え、あ、え?」
「白石、一番に会いに来い言うたっちゃろ」


覗き込むように見つめられれば、吸いこまれてしまいそうなほどの深い色の瞳に見入ってしまって思わず言葉をのんだ。
近い、って。
落ち着かない心持ちのまま、肯定の言葉を伝えるだけで精いっぱいだった。


「ご褒美は?」
「・・・は?」
「約束守ったけん、ほれ」


ここに。
そう言って千歳はとんとん、と自分の頬を指で軽く叩きながら見せてきた。さも当たり前だとでもいうような行為に少し納得がいかなくて、これでもかという位頬の皮をつねりながら引っ張った。


「あだだだ、いひゃいいひゃい」
「日本語やないと分かりません」


冷めた目で告げれば目の前の男は観念したようだったので、そっとつまんでいた手の力を緩めた。恨めしげな眼でこちらを見ているが、それが俺の心を動かすことは全くなかった。


「大体、見返りを求めた時点でアカンやろ、普通」
「けち」
「なんやて?」
「・・・・・・なんでもなか」


ぎろり、射抜くように睨みつけてからさっと立ちあがった。千歳はそれを目で追いながらもまだぼーっと座りながら俺を見ていたので、手のひらを彼に向けた。きょとん、と首でも傾げそうな勢いの千歳は俺の手のひらを見つめて固まっている。なんでこういう時だけ鈍いんかな。


「寒い」
「え?」
「お前の事ずっと待っとったから、寒い」


しばらくの沈黙。
そのせいで自分が言った言葉を改めて意識してしまって、物凄く恥ずかしくなってきた。もういいや、そう思って差し出した手のひらをポケットにしまおうとすると、がしり、と俺よりも一回り大きな手がそれを阻止した。


「素直やなかね」


ふわり、柔らかい笑みでそう言われた。頭の中では天然タラシだの、言うに事欠いてそれか、だの様々な罵倒が巡っていたが、うまく言葉にできずにただ口を震わせるだけで終わった。まず千歳に言葉で言っても軽く受け流されるだけか、とごちてそれらを頭の隅においやる。そして、自分よりも体温の高いそれに目尻を緩めた。





隣の温もり
(その居心地の良さに気付いてしまった)






狐太郎様、リクエストありがとうございました。