夏といえども夜になれば少し肌寒くなる時分、千歳はカランコロンと下駄を鳴らし半月の下をのんびりと歩いていた。ここしばらく間隔をあけず通っているコンビニへの道のりは、いつも彼にとって特別なものだった。仲良くなった黒猫ににぼしをやったり、空を見上げて星座を見つけたり、そういう小さなことが千歳の幸せへと繋がっている。そしてふと、理屈をグチグチとこねる存在が隣にいないこの夜を寂しいと思ってしまうのもいつものことだった。
夜の色に目の痛いほどの光が射す。ようやく目的地についた千歳は、まず最初にデザートコーナへと足を運んだ。彼には通っている間になんとなく決まったルートがあって、この後は飲み物のコーナーへ行き、最後に雑誌コーナーで少し立ち読みをするのが常だ。
さて、と視線を落とした先、ずらりと並ぶスイーツの中にひときわ目立つポップがあった。新商品、とでかでかと書かれたそれは、ちょうどチーズケーキの場所にある。

(チーズケーキ、ねぇ・・・あんま興味なか)

どちらかといえばティラミスやビターチョコレートのような甘さ控えめのものが好きなので、チーズケーキには特にこれといった魅力を感じなかった。言ってしまえば、あの独特な匂いが千歳は苦手でさえあった。ツン、と鼻を刺激するような匂いを思い出し思わず顔をしかめれば、どこか不満そうな茶色がキリリ、と吊り上る様が脳内で再生され、つい一人で小さく笑ってしまう。そうだ、明日家に来ると言っていたし、ご機嫌取りじゃないが買っていってやろうか。そう思って千歳はチーズケーキとティラミスを一つずつカゴにいれた。
商品をレジまで持っていく間におかしコーナーを通ると、コンソメパンチという文字が目に飛び込んでくる。大好物であるそれに手を伸ばして逡巡。最近腹回りがだらしない、と注意を受けたのを思い出し渋々その手をさげる。少々の未練をおかしコーナーに感じつつレジに商品を置けば、いらっしゃいませ、と深夜のコンビニには似つかわしくない可愛らしい声が応対してくれる。


「こんばんは」
「あ、こんばんは」


にこり、微笑みかけてくれたのはバイトの栗原さん。最近コンビニに通い詰めている俺はどうやら顔を覚えやすかったようで、つい先週からこうして軽く言葉を交わすようになった。話す内容はくだらないものが多く、挨拶だけで終わる事も少なくない。今日も恐らく大した中身もない会話をして終わるだろうと、袋に詰められていくケーキをゆっくりと目で追いながら思った。


「スプーンお付けしますか?」
「あ、はい」
「かしこまりました」


そう言ったかと思うと、彼女はいきなりくすり、と口元を綻ばせる。どうしたのかと反応を待っていると、意外やわぁ、とその桜色の唇から言葉が漏れた。


「チーズケーキとか食べるんですね。いっつもティラミスとかばっかりやから」


そう言った後にあ、別に悪い意味ちゃいますよ、みたいに焦るものだから、それに軽く笑って気にしていないことを伝える。そうすれば少し安心したのか彼女はケーキを詰め終えた袋を差し出し、ありがとうございました、とテンプレートな言葉を発した。


「意外やったと?」


袋を受け取りながらおもむろに聞けば、彼女は少し目を丸くした後にはい、と少し遠慮がちに頷く。やっぱりなあ、と思いながら袋の中にあるチーズケーキを見下ろして数秒。正直、意外だなんてこっちのセリフだ、と寄り添うように詰められたケーキを見て思った。
好きな時間に好きな事をして、好きな人と遊んで楽しく過ごせたらそれでいいじゃないか、そう千歳は思う。だから、個人の自由を恋人だからといってずかずか踏み込んでくる奴が千歳は大嫌いだった。私とテニスどっちをとるの、だとか友達より私を優先して、だとか、赤の他人がよくもまぁそんな口を叩けるものだと冷めきった気持ちで、千歳はそんな彼女たちを見つめてきた。
けれど今はどうだ。こうして喜んでくれるかもしれないだなんて思いながら苦手なチーズケーキを買ったり、やれ体型がだらしないと言われてしまえば嫌われたくないという思いからポテチを買う事も諦める。好きな人の好みに染まっていくだなんてまるで少女マンガ的展開だけれど、まぁそんな自分も悪くないかと思えるくらいには今が幸せだ。大阪に来て誰かに骨抜きにされる日が来るとは一体誰が予想しただろうか。


「千歳さん、チーズケーキとか好きなんですか?」


ぼんやりと今までの事を思い出していると、微笑みをたたえた栗原さんにそう聞かれた。いちいち全てを説明するのは面倒だったので、恋人がチーズ好きだから、というかなりの情報を省いた理由をあげれば、何も知らない彼女は納得したかのようにそうなんや、と呟き、続いて彼女さんも幸せやろなあ、とその大きな目を弓形にして笑う。この時、目のふちに彩られたふさふさなまつ毛を見ながら、あぁこういう子は白石みたいなタイプの横にこそ似合いそうだ、とただ漠然とそう思った。悲しいかな、千歳の感はよく当たる。少しの沈黙の後、どこか言いにくそうな調子で彼女があの、と声をかけてきたのはある意味予定調和だったのかもしれない。


「えっと、あの、千歳さんと良く一緒にこられる方、居りますよね?」
「え?」
「いつも左手に包帯巻いてる・・・」


途端、あぁやっぱり、という諦めに似た何かが胸に迫った。
白石の為に買ったケーキがずん、と重たくなった気がして、それを落とさないようにぎゅっと手に力をこめる。みるみる内に色彩を失くす視界には何か悪い事でも聞いてしまったのかと不安そうな栗原さんの顔が映りこみ、何か言わなければという思いが頭を埋めた。けれど、頭も口もうまく回ってくれなくて、結局掠れた声で大丈夫と告げるのが精いっぱいだった。先ほどまで浸っていた幸せをぐるんとひっくり返されたような状況に現実を叩きつけられた気がした。
彼女が言いたいことなんてここまで聞いて分からない奴なんていない。白石と接点のある俺が、彼女と白石の恋の橋渡しを頼まれた、つまりそういうことなのだろう。普通だったら二つ返事で請け合う事でも、今回は事情が違う。だって俺と白石は、付き合っている。常識じゃ考えられない恋愛をして、後ろめたい気持ちに苛まれているけれど、お互い確かに好きという感情を伴って恋をしている。
断ってしまいたい。アイツには彼女がいるから、だとか適当に理由を作ってしまいたい。けれど、白石はどう思うだろうか。彼は、非常識な事が嫌いだ。もしかしたら彼女の方が白石を幸せにできるのかもしれない。そう考えたら、断ることなんてできなかった。





コンビニを出て、呆然とした心持ちのままふらふらと歩けば足にガツンガツンと袋があたる。あぁそうだ、ケーキを買ったのだった。そう思い出すのと同時に先ほどの彼女との会話も思い出してしまいぐっと目を瞑って突き上げてくる感情を収める。
けれど、白石の名前を教えた時の彼女の顔が、頭から離れない。ほわん、と浮ついて、上気した頬で白石の名前を呟くその眼には、恋心がゆらりゆらりと見え隠れしていた。バカなことをしてしまったと後悔しても事態はもう動き出してしまっている。
ちかちかと電球の切れかかった電灯の横を通り過ぎてから、千歳はおもむろに尻ポケットから携帯を取り出した。そうして慣れた手つきで電話帳を開いて恋人の名前を探し出して、そこで指は止まった。俺は一体白石に連絡してどうしようというのか。よく行くコンビニの女の子が白石と付き合いたがってる、と言いたいのだろうか。違うだろう。じゃあ、俺は今何をしようとしている。
自分の行動が自分でも読めない。ぐちゃぐちゃの感情を抱えたまま電灯に背を預け、その場に座り込んで膝の間に顔を埋める。こういう時に限って白石の笑顔ばかりが浮かぶものだから堪らない。泣きだしたい気分をぐっと堪えて腕に額を擦れば手の中の携帯がぶぶぶ、と震えた。


「・・・わお」


画面には切望した恋人の名前が浮かび上がっていて、本当に少女マンガの展開だ、などとどこか他人事のように思った。とにかく着信が切れる前に、と慌ててもしもし、と電話にでれば待っていたのは鼓膜をつんざくような恋人の怒声だった。


『お前俺の教科書持ってったままやったろ!!!!!!返せボケ!!!!!!!』
「えっ」


予想もしていなかった展開と未だに落ち着かない心臓のせいでどもるしかできない俺に、白石は容赦なく罵声をかぶせてくる。この間貸した科学の教科書によだれがついていただとか、歴史の教科書に落書きするなだとか、後勝手にマーカーで印をつけるなとも言われた。俺はただただそれに相槌をうったり合間に謝ったりしてとりあえず白石の言い分を聞く作業に集中した。最初の要件は貸した教科書を今すぐ返せという事だったはずなのに、議題はいつしか俺の日頃の怠慢へと移っていき、これは長いぞと覚悟した矢先、こほん、と我に返ったのかお前今どこにおんねん、と語調を弱めた声が電話越しに耳へ届く。


「あ、コンビニばい。よく行ってるあそこの」
『あー・・・、分かった。ほな走ったら5分くらいで着くやろ?はよこい』
「はよこい、って・・・」
『教科書はよ返せって俺は言うたよな?』
「え!!!ちょ、待っ」


ぷつり、一方的に切られた電話に暫く放心してしまったが、これはつまり今俺の家に白石が来ているって事であっているのだろうか。とりあえずタイムリミットを逆算すれば後4分ちょっと。また白石の逆鱗に触れるような行為はするまい、と不便極まりない下駄で走り出す。
夜とはいえ夏だ。自宅に帰りつくころには背中や腕にうっすらと汗をかいてしまい、シャツもべたついて肌にはりつく。整わない息のままキョロキョロと白石を探せば、彼は存外怒った様子もなく腕をくんで寄り掛かっていた壁からその身を離した。


「遅い」
「え、ご、5分以内で、来た、とよ」


荒い息のまま伝えれば待ってましたとばかりに携帯のタイマーを見せつけてにやり、と白石は14秒オーバーや、と告げた。
なんだか一気に疲れが体を遅いその場にしゃがみこむと、良い運動になったやろ、とさっきの電話がまるで嘘だったようにケラケラ笑うもんだから何も言い返せずに白石を見上げた。よしよし、とまるで犬のように頭を撫でられるがそれを振りほどく気力もないのでそのままにさせておいた。それにしてもこんな深夜に家を抜け出して大丈夫なのだろうか。相変わらず何が面白いのか髪の毛をわしゃわしゃと撫でている白石に確認しようと口を開けば、まるでわざとかのように彼の声がかぶさる。


「なんや千歳を上から見下ろすんは妙な気分やなあ」


常よりも少しだけ幼い白石の表情はどこか嬉しそうで、俺の反応がないのをいいことに、いつもは暑苦しいと暴言の対象になるこの癖毛の感触をこれでもかと楽しんでいる。あの、教科書返してもらいにきたんじゃなかったと、だなんてそんな空気の読めない発言をする状況ではない。どうしたもんかと思いながらそのままでいると足元でがさりと音がした。あぁ、そうだケーキだ。こいつの存在を忘れてぶんぶん振り回してしまったことを思いだして中身の安否を確かめようと覗き込めば白石も便乗して袋を覗き込む。


「うわ、ぐっちゃぐちゃやん」
「・・・ぐっちゃぐちゃばいね」


見下ろした先はそれはもう悲惨な状況だった。チーズケーキは左右に振られたのか両側面がぼろぼろになってしまっているし、ティラミスなど更に柔らかいものは見るも無残な姿に成り果てている。今日はとことんついてない、そう思ったと同時に自然とため息が口の端から零れた。
柄にもなく空回りをしているなあとは思う。ぐちゃぐちゃになったチーズケーキをまさか食べさせるわけにもいかないし、となると行き着く答えは一つだ。洗濯ばさみで鼻をつまみながら食べればなんとかなるかと浮かない面持ちで考えていると、不思議そうな瞳と目が合う。


「お前、チーズケーキ嫌いやなかったっけ?」
「え、」
「なんで買ったん?」


野暮なことを聞く。分かっていて聞いているのだとしたらとんだ確信犯だ。けれど真実を自分の口で改めて言うのは羞恥心も相まってはばかられたので言葉を濁すようにあー、とかうー、などと言っていると、その間にも目の前の顔がぼぼぼ、と赤くなっていく。


「え、あの、え、これ」
「あの、うん、多分、白石が考えてるのと、一緒ばい」


ようやく合点がついたのか途端にしゅるしゅると弱まる相手の語気に、こちらも呆気にとられる。どうやら本当に気付いていなかったのか、口を押えて固まっているその姿はこちらが可愛そうになるほど動揺していた。その様子に自分もつられて頬を熱くさせていると、目の前の彼は急に屈めていた腰をしゅっと伸ばしたかと思うと、なんか急に喉が渇いたから飲み物を飲ませろ、とどうみてもバレバレな嘘をついた。その頬は未だに朱がさしたままで、いつもはもっと嘘上手なのになあ、と普段とは違う顔を見せる恋人に口角がじわじわとあがる。あぁ、そうか、空回っているのは俺だけじゃないんだ。そう思えば、時間の心配や栗原さんとの事など綺麗さっぱり消えてしまうのだから、つくづく単純な思考回路だ。


「ケーキ買ってきたけん、一緒に食うばい」


そう言えば、早くしろとばかりに白石がしゃがんでいる俺の尻にローキックをぶちかます。先ほどまでの甘い雰囲気はどこにいったのだとよろよろしながら起き上れば、常よりも落ち着きのない様子で視線を落とす白石に悪戯心がうずき、その耳に愛の告白を吹き込めばそれをかきけすような罵声が俺の鼓膜をつんざいた。


「アホなことしとる暇あったらさっさと教科書返さんかい!!」
「あ、覚えてたと」
「それが目的や!!!!」


あぁもう、ご近所迷惑になる。そう思ってやかましい口を唇で塞げば、ちょっとの暴力的抵抗の後、胸に置かれた手がシャツを掴むものからそっと胸に添えるものに変わった。やれやれ、そっと閉じていた目を開ければ眉間にこれでもかと皺を寄せている端正な顔とご対面。

(・・・キスする時くらい可愛い顔してくれてもよかばい・・・)

そう思うけれど、こういう顔も可愛いなと思ってしまうくらいには骨抜きにされているのだから救えない。キラキラと存在を主張する星の下で、栗原さんへのお断りのセリフを考えながら、千歳は今日もまた恋人との幸せを積み重ねていくのだった。





猶様、リクエストありがとうございました!





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