俺の恋人は非常に物忘れが激しい。
別に病気という訳ではないのだが、……いや、もう病気といっても過言ではない位忘れっぽい。そして困った事に浪費家でもある彼は、いつ使うかも分からない食材や調味料を買ってきては冷蔵庫の肥やしにして家計を圧迫させてくる。あいつの「いつか」は未来永劫現れないのだと悟ったのは同棲してから3ヶ月目だったろうか。ああ、脱線してしまった、どれ位忘れっぽいかの話に戻ろう。まず来週買い物に付き合ってくれと頼むとあいつは笑顔で快諾した後、当日は忘れて布団にくるまっている事なんてざらだし、この前なんてデートまですっぽかされたのでそこになおれとあいつを正座させて延々と説教をたれたばかりだ。今月に入ってまだ一週間程度しか経っていない今現在でさえ、憎らしい恋人に約束を破られた回数はとっくに両の指を超えている。全くもって誠実さとはかけ離れた彼に何度ため息を吐かされたか。
そう思いながら、白石はバイトでくたくたになった体を引きずって、忘れっぽい恋人が待っている我が家に今日も帰るのだった。


外気に晒されひやりと冷たいステンレス製のノブを右に回せば、俺を出迎えるのは恋人の微笑み、ではなくムッとした殺人的な甘い匂い。なんだこれは、息ができない。
強烈な匂いに耐えるため手のひらで鼻と口を覆った白石は、発生源を確かめようとリビングに向った。

(…ここか!)

廊下とリビングを仕切っているドアをバーンと開けると、そこに広がっていたのはあちらこちらに置かれたアロマキャンドルの群れ。まるで火事だ。そう思うのと同時に、無駄の極みとはこの事かと白石はわなわなと震える口に甘い空気を肺一杯に吸い込む。叫ぶは言わずもがな、これらを買ってきた張本人だ。


「ちとせー!!!!!」


内心でお隣さんに謝りつつ、部屋が揺れるのではないかという大声で叫べば、千歳はのこのこといつもの表情でリビングにやってきた。そこは演技でも良いからしおらしい態度でくるべきだろうと、またカチンときた白石は勢いのままぐわっと口を開く。


「なんでこんなに買うてきたんや、一個で十分やろ!え?!」
「ばってん、効果が色々あって迷ったけん…」


(アホや!真性ドアホや!一気に使う必要性がどこにあんねん!)

こいつには頭っから金銭感覚を叩きこまなければならないようだと、白石は涼やかな顔に怒りを乗せて説教を始める。白石の声だけが響く部屋の中、どれくらい経ったであろうか、黙って聞いていた千歳は身じろぎひとつせず俯いてこちらに向き合っている。
もしかしてきつく言いすぎて本気でへこんでしまっているのだろうか。そう心配してから、いや、へこんだ方が良いに決まっていると慌てて気を引き締めた白石は口を動かしたまま目線だけを千歳に向けた。見上げた先、すっかり意気消沈していると思っていたはずの千歳の顔は「仕方ない、可愛い恋人の気が済むまで叱られてやろう。なんて健気なんだ俺は」と、想像していたのとは180℃違う顔をしていた。

(この顔は反省しとらんな!!)

ごんっと千歳の脳天に勢いよく拳骨を落とし、白石は千歳をフローリングに正座させた。


「良えか!お前いくらアロマキャンドルやからってなめんなや!こんな買うたらいくらなんでも生活に響くわ!」
「ばってん、」
「ばってんやない!」


くわっと阿修羅のような顔で反撃された千歳は盛大に肩を揺らし、流石に悪かったとその顔を伏せた。白石はいかにアロマキャンドルが家計を圧迫するかを力説した後、良い機会だと千歳の浪費具合にも言及した。居心地悪そうにもぞ、と佇まいを直す千歳を見下ろしながら大体、と口を開く白石はさながら全国の主婦代表のようであった。


「この間かてどこから仕入れたか知らへんけど変なスパイスぎょーさん買うてきて!あれどうやって調理するんや、言うてみい!」


腕をくんで見下ろした先、大男といっても過言ではない千歳がみるみる小さくなっていくのが分かった。肩を落とし、それでも白石の言葉をちゃんと聞こうとしている。その姿に騙されへんぞ!と息巻く己と、もう良いのではないかと宥める己がせめぎ合い、収集がつかなくなる。ここで甘やかすのはお互いの為に良くないし、かといって惚れた弱みもあってこれ以上強く出ることもはばかられる。困った、非常に困った。


「すまん、」


ぽつり、小さく呟かれた言葉に白石の強張っていた肩の力が抜ける。しょうがない、ちょうど自分の気持ちにも区切りをつけられず困っていたところだ。あっちも反省しているようだし、甘すぎるかなと思わなくもないがここは一つ目を瞑るとしよう。白石は一つ咳払いをしてからうなだれる千歳にちらりと目線をやった。


「…まぁ、これが最後やで。今度買うてきたら部屋追い出すからな」


そう言ってぽんぽんと彼の肩を叩く。未だ警戒しているのかその顔は少し固いが、ホッとした雰囲気はこちらにも伝わってきた。ちょっと怒りすぎた感は否めないが、今回の事は千歳にとって良い薬になったのかもしれない。
わしゃわしゃと癖の強い頭をかき乱しながら今日の夕飯はなんだと聞く白石にようやく本調子を戻したのか、千歳は正座で痺れた足をもたつかせながら夕飯の準備をし始めた。





「せやけど、なんでいきなりアロマキャンドル買うてきてん」


豚の生姜焼きを箸で摘みながら白石が尋ねると、今日散歩してたら雑貨屋があって、と千歳がたくあんをかじりながら答える。それにふーん、と気のない返事をしながら白石もそのたくあんに箸を伸ばした。


「最近、蔵が疲れてるけんね」
「ふーん…、え?なんかそれと関係あるん?」


不思議に思って聞き返せば、千歳はきょとんとした顔でこちらを見つめてくる。


「アロマキャンドル、疲労回復に良え聞いとったけん」


そう言って生姜焼きを頬張る千歳に、ワンテンポ遅れてぶわわと恥ずかしさが込み上げてくる。もしかして最近疲れて帰宅することの多かった自分を労わろうとしてくれていたのか。気付けば合点の良く要素ばかりが思い浮かび、申し訳なさと羞恥がまぜこぜになる。
え、そうやったん…?という己の間抜けな声がリビングに響き、それに当たり前のようにこくりと頷く千歳。


「さっきも変なスパイスがうんたらかんたらとか言うてたばってん、あれも蔵がこの前行った店で美味しいち言うてたやつの材料ばい」


にこり、向けられる彼の屈託のない笑みについに耐えられなくなり顔を伏せる。とりあえず礼は言っておくべきだろうか。信じられないくらい熱を持った頬で白石は次に言うべき言葉を考えあぐねていた。
そうだ、千歳は簡単にこういう事をやってのける男だった。いつだったかは花束を持って帰ってきて俺を驚かせたし、この前は同棲記念日とかいってケーキを買ってきていた。その内真ん中バースデーなどと言ってクラッカーまで持ち出しそうな恋人に、今言うべきセリフはなんだ?
ぐるぐると脳みそを働かせる割に上手く機能しない前頭葉に目眩が止まらない。首筋に手をあてると自分の体がまるで発火しているかのように熱い。伏せていた目をあげると、それに気づいた千歳が追い討ちのスマイルを仕掛ける。

(…っ、こいつ絶っ対わざとやな!)


「むぞかむぞか」


よしよし、とまるで赤子をなでるような手つきで頭を撫でる千歳の手を居たたまれない心持ちで受け入れる。目線を左右にうろうろとさまよわせていると、それが面白かったのかぶふっと千歳が吹き出したのでその油断しきった頬に往復ビンタをくらわせてやった。ざまあみろ。





俺の恋人は非常に物忘れが激しい。
買い物に付き合ってくれと頼むとすぐに忘れるし、デートだって夕飯当番だってよくすっぽかされる。本当に困った奴なのだ。
けれど、彼は俺に関する事は一つ残らず覚えてくれていたようで。俺が何気なく放った一言や表情で千歳は千歳にできる最善を俺に尽くしてくれた。思えば記念日と名のつくものは俺より千歳の方が覚えていたな、と今更ながらに思う。ただ、初めて手を繋いだ日を記念日にするのはどうかと思うが。
フォークで皿に盛られた料理を掬う。初めて手を繋いだという日に、俺はようやく冷蔵庫の肥やしになっていた材料を口に運ぶ事ができた。


忘れっぽくて浪費家な彼からの愛情においしい、と白石は微笑んだ。



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -