音のない静かな一室で、白石は一人ベッドに横たわり天井を見上げていた。それというのも千歳が大学の研修で家を空け、久々に生まれた完全なる一人きりの状況をものの数時間で持て余してしまったのだ。寝るにしては早すぎる時間、かといって一人で過ごすには少々長すぎる中途半端なこの時間は一言でいえば。

(…暇や…)

その一言に尽きる。常に課題やレポートに追われていて、切羽詰まる度に胸の内で休息が欲しいと喚いていたのは自分なのに、いざ降って湧いたような時間が宛がわれれば途端に何をしたらいいか分からなくなる。普段溜まっている家事も先ほど全て終わらせてしまったし、急ぎの課題も特にない。どうしたものかと横のキャビネットに目を移せば、淡いクリーム色の時計が午後10時を示していた。恐ろしいことに先ほど確認した時から5分も経っていない。ごろりと寝返りを打ちながら、白石は手持無沙汰に左手で携帯を煽った。この時間、千歳は何をしているのだろうか。新着メール0件と表示される液晶を見つめながら、白石は腹の底から吐き出すようなため息を一つ吐いた。

(うるさいのも、いなくなると寂しいもんやな…)

研修が決まった時、渋る千歳を呆れながら諭したのは自分自身だ。それなのに何故自分はこんなにも悶々としているのだ。都合のいい矛盾を抱えながら、白石は内側にある想いに耐えるように体をくっと丸めた。

(…おやすみメールくらいしてこいアホ)

ほぼ部屋に缶詰状態だと嘆いていた千歳に、それでもこうやって理不尽な思いをぶつけてしまうのが「恋」というやつの仕業なのだろうか。恋に理屈は関係ないとは良く言ったものである。まさか何に対しても理由づけを求めていた自分が、矛盾に気づきながらもそれを否定できないでいるだなんて。
折りたたんだ携帯の表面を親指でなぞりながら、白石はそっと瞳を閉じる。
たった、2日だ。後2日で千歳は帰ってくる。あの頃なんて3年も我慢できていたじゃないか。諭すように心の内で呟いて、続けるように最後にこう吐露した。

(馴れすぎも、アカンけどな…)

一度覚えてしまった幸せは中々拭いきれない。本当は心のどこかできちんと、いつ何があっても大丈夫なように線引きをしておかなくてはならないのに。


ふわふわ生きているようでいて、その実きちんと現実を見据えている千歳に、「ずっと一緒」なんて不確かで非現実的な事を言う勇気を、白石は持ち合わせていなかった。だからその分二人でいられる日常を大切に、悔いの無いように生きていこうと思った。何気ない一挙手一投足に幸せを感じ、この瞬間共にあれる奇跡に感謝を捧げればそれでいいと。そう頭では理解しているつもりだった。
けれど白石は、今も心のどこかで「いつか訪れる恐怖」に怯えていた。

(いつか…、って…いつなんやろ…)

答えの分からない闇から逃れるように枕に顔を埋めると、千歳の匂いがして、今度こそ涙腺がじわりと緩んだ。





「蔵」
「……ん、」
「蔵、起きなっせ」


目を閉じていても感じる日の光と、肩を揺さぶる大きな手に眠りを妨げられ、ゆっくりと瞼を開く。眩い光を背にこちらを覗き込んでいる人物は、明後日まで帰ってこないと言っていたはずの千歳だった。


「ちと、せ…?」


予想以上に早い恋人の帰りに驚きながら体を起こすと、ベッドの縁に腰掛けていた千歳がにんまりと微笑む。それから「おはよう」とその大きな背を折り曲げ、白石の額に1つキスを落とす。相変わらずクサい男だ。そう思いながらもその行為を満更でもなく受け入れている白石はそっとその目を細める。未だまどろみの縁を彷徨う白石の背中を撫でる千歳の手つきはひたすらに優しかった。


「…随分早かったんやな」
「急いで帰ってきたばい。って言うても、予定よりちぃと遅れ気味やけど」


そう言われ思い出したかのように首を捻って時計を見れば、針はいつのまにか昼すぎを示していた。もうこんな時間かと白石は怠慢な動きでむくりと起き上がる。カーテンを閉め忘れた部屋には燦々と日光が降り注ぎ、それが白いシーツに反射して辺りを一段と明るく輝かせている。洗濯日和だ。まだ寝ぼけたままの頭でぼんやりとそんな事を思っていると、千歳がジーンズのポケットをごそごそと漁り始める。

(…携帯でも失くしたんか?)

暫くその様子を傍観していると、目当ての物を見つけた千歳がそれをずいっと目の前に持ってくる。意図している事が分からずに目の前の握り拳と千歳を交互にゆっくりと見やれば、さぁ当ててみろ、と言わんばかりの満面の笑みが返された。


「何?当てるん?」
「ちょっとしたゲームばい」


悪戯っこのように口端を上げて笑う千歳に、白石は朝から勘弁してくれと頭を抱えたくなった。寝起きの状態でこれは面倒くさい。しかし参加せずにまた布団に潜り込めば延々と肩を揺さぶられ続けるのは目に見えていた。


「寝起きやで、俺…」
「そげん難しか物じゃなかよ」


はい!と有無を言わせない千歳の威勢の良さに押され、適当に頭に浮かんだものを口に出していく。


「飴」
「違う」
「…消しゴム」
「んー、違う」
「……キーホルダー」
「違う。中々当たらんもんやね」


そう言っておかしいな、と首を傾げる千歳に、寝起きのだるさと昨夜色々悩んで疲弊した心とが重なって、白石はついに考えることを放棄した。昨日は我ながらちょっとマイナス思考すぎたかもしれない。少し語弊があるが、やはり「亭主元気で留守がいい」だ。
もうどうにでもなれと決め込んだ白石の顔を、千歳は不思議そうに覗きこむ。やはりぶしつけな事をしたという自覚はあったのか、いつもより眉尻が下がっている顔は少し幼さが増しているように見えた。

(結局、いっつも甘やかしてまうなあ…)

ぽんぽん、と千歳の頭を撫でて怒ってない事を示すと、暫くそのままにさせていた千歳が撫でていた白石の手を掴む。


「蔵、正解知りたか?」
「…どーでも良え」


正直最初から答えなんて求めていなかったし。心の内でそう付け加えて白石はもたれ掛るように千歳の首筋に顔を埋めた。そういえばお帰りも何も言っていなかったことに気づき、まぁこの答え合わせとやらが終わってから言おうと白石は千歳の次の言葉を待った。



「じゃあ、答え合わせすったい」


そう言って、白石の左手を取った千歳はそっと自分の握り拳を開く。徐々に露わになる手の中身を興味半分で見やると、現れた光る銀色に思わず息をのんだ。これは自分の都合のいい夢かと疑いたくなる展開に呆然としていると、薬指にひやりと冷たさを感じる。


「一応形にしとかんと、寂しがるけんね」


誰が、とは言わずとも分かった。頬を両手で包まれて見上げた先には何もかも見据えた千歳の笑顔があって、胸をぐるぐる渦巻いていた不安が溶けるように消えていくのが分かった。何枚も上手な彼にこうやって救われたのは何度目だろうか。そう思いながら千歳の背に腕を回して、その暖かさにそっと身を寄せた。嗅ぎなれた千歳の匂いに酷く安堵しながら、日光に煌めくシーツの上、俺は長かった恐怖にようやく終止符を打ったのだった。





解放記念日
(さよなら恐怖、ようこそ永遠!)



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