すき、きらい、すき、 | ナノ





あっという間に抱きすくめられた体。間髪いれずに重なった唇に、俺は目を見開いた。
なんだこれ。なんだよ、これ。どうなってやがる。



「ん…っふ、あ…っ」
「ん……」



けれどそんな動揺は、あっという間に蕩けていってしまう。

触れたのはいつぶりだろう。この体温を感じるのは、この匂いに包まれるのは、キスを交わすのは、痛いほど抱き締められるのは。
もう二度と届かないのだと、叶わないのだと思っていたすべて。そんなものを突き飛ばすなんて、拒絶することなんてできるわけがなくて。

久谷が好きなのだと。俺が欲しいのは久谷だけなんだと。
そう、自分の体に思い知らされる。



「…ん、はあっ」
「はっ、桐生…っ」



解放された唇。けれど感覚のすべてを持っていかれた余韻から抜け出すことなどできず、久谷の腕のなかで縋ることしかできない。そんな俺が回復するのも待ってはくれず、すぐに更に強く抱き締められた。



「―――すきだ…っ」
「、は」
「今さらかもしれないけど、それでも、お前のことがすきなんだ…」



耳元で、喉の奥から絞り出すように吐き出された言葉。
頭のなかが、真っ白になった。



「うそ、だろ…?」



ぽつりと溢れた呟き。
そんな、まさか。だってまさか、そんなこと、あるはずがない。
久谷が俺のことが好きだなんて、そんな、夢みたいなこと―――…



「っ、信じてもらえないのはわかってる…!俺がこんなだったせいでお前がどんな目に遭ってたのかも、どれだけお前を傷つけたのかも気づいてる!だけどようやく気づけたんだ、見つけたんだよ!だから、お前が傷ついた分愛すから、だから…っ」
「ちが、違う!そうじゃない…!」



久谷の紡ぐ懺悔にぞっとして、俺は咄嗟に震える手でその胸を突き放していた。
違う、違うんだ。そういうことじゃないんだ。どうしてお前が許しを乞うんだ。やめてくれ、そんなことされたら俺は、俺は自分のしでかしたことに、逃げ続けた自分に、死にたくなるから。

そんな風に、こいつが思っていたなんて。
悪寒がして、体が震える。怖くて怖くて吐きそうで。



「違う…違うんだ、全部俺が悪いんだよ…!俺が最初に嘘をついたから、お前のこと好きじゃないふりして近づいて、お前を騙して、自分を偽り続けた…っ」
「きりゅ、」
「そのあとも、お前にバレるのが怖くて、隠して、言わないでほしいから、偽りの俺を信じててほしいかったからあいつらに…!だけど結局、全部全部自分を守りたいだけだった!誰の気持ちも考えちゃいなかった!」



みっともなく震える体を、ぎゅううっと抱き締めて無理矢理押さえ込んだ。そうでもしないと、自力で立っていられる気がしなくて。



「結局俺は、自分がかわいかっただけなんだよ…!」



ぼろぼろと涙が溢れる。
怖い、怖い、怖い。俺を知られるのが、どうしようもなく怖い。
好きだと言ってくれた今、きつく抱き締めてくれた今―――離れていってしまうかもしれないと思うと、信じられないほど、馬鹿みたいに、怖くて。



「俺はずっと、逃げてたんだ…っ」
「もういい…もういいから、」
「自分が誰を裏切って、傷つけてきたか…全部に背を向けて見ないふりしてっ!自分の気持ちさえも誤魔化そうとして…っ」



距離をとったはずなのに、再び抱き締められていた。
本当のことを話すのはどうしようもなく、怖くて。だけどここで逃げ出したら、今までと同じだから。俺は、変わらなくちゃならないから。


久谷に俺を嵌めたことがバレるとわかっていて、真実を告げたあいつ。
幸せになれと、自分の気持ちを殺して俺の背中を押してくれた仁科。
あんなに拒絶したというのに、それでも愛すと言ってくれた久谷。
―――俺はもう、逃げちゃいけない。



「それでもやっぱり、諦められなかった…っ。今までどんなに人を傷つけたか、苦しい思いをさせたかわからない…でも、それでもやっぱり俺は…っ」
「…っ」
「すき―――…すきなんだ久谷、初めて会ったときから、ずっと…っ」



腕に捕らわれながら、ずっとずっと言えずにいた想いを告げる。久谷の瞳に映る自分は、涙を流しながら情けない顔で笑っていて。


これが、俺だった。
なにも飾らない俺は、どうしようもなく弱くて、情けなくて、ちっぽけな男。虚勢をはって余裕かまして、飾って隠してすべてを偽っていた俺は、もうこの仮面を脱ぐのが怖くなっていて。自分が作り上げたはずの不格好な仮面に縛られて、身動きがとれなくなっていた。
だけど、答えは至極シンプルだったのだ。

それらすべてを、仮面を取り去ったとき―――俺に残ったのは、お前がすきだという気持ち、ただそれだけ。



「桐生、桐生…っ」
「…く、たに」
「幸せにする…絶対に、幸せにするから」
「ああ…」



俺のために自分を犠牲にしてくれた人たちに、振り回して傷つけたすべての人たちに、いったいどうやって報いればいいのか。なにをすれば報いることができるのか。その答えは今はまだ、俺にはさっぱりわからない。

だけど、一つだけ。
俺が踏みにじってしまったたくさんの想いの分まで、幸せになる―――その想いたちに報いるために今の俺にできるのは、それだけだと思うから。



「幸せになろう―――二人で、きっと」






*end*




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