すき、きらい、すき、 | ナノ





「あっそういえば会長、俺の愛のメッセージ読んでくれた?」
「…てめぇまじいい加減にしろよ…?」



今日の仕事も早々にすべて片付け終わり、今日はさっさと帰ろうと腰をあげたところで掛けられた声。わざわざ触れてやらなかったのに自ら話題に出してきたアホな男に地を這うような声を出す。ぎっと睨めばごめんごめーんと笑いながら近づいてきた。



「あんなとこに書いたのはまずかったかなーって、さすがに俺でも思ってたんだ」
「つーか問題はアホな内容だろうがよ」
「え、なんで?内容はまじよ?会長と一戦交えたいのは本気でーす」
「はあ?」



なんなんだ、なにふざけたこと言ってやがるこいつは。
付き合ってられんと無視してカバンを取るために腰を屈める。すると、つ、と背骨を滑る指。驚いて不覚にもびくりと体が跳ねた。



「―――だって会長、最近とーってもえろいんだもん」



耳に寄り添うように、ほとんどキスされているような距離で囁かれた言葉。それと共に耳に触る生暖かい息。おまけとばかりにれ、と耳尻を這う舌。
気色悪さに、ぞわりと全身が総毛立った。



「っ触んじゃねぇ!!」



ばっと手を跳ね除けて勢いよく後ずさると、そんな俺に愉快そうに弧を描く瞳。興味なさそうに俺たちのやりとりを聞き流していた他の役員が、俺の本気の拒絶にこちらに注目するのがわかる。しかし見られているとわかっても警戒を解いて誤魔化すことはできなかった。
意味がわからない。こいつ、なにを言ってやがる。信じられないものを見るような目で見つめると、会計はケラケラと笑って降参とでもいうように両手を上げた。



「あっははは、そんなまじになんないでよー!冗談だよ冗談!」
「…っ」
「ちょっとからかっただけじゃん、かーいちょっ」



愛嬌のある笑顔を振り撒くそいつの視線は、しかし俺から外されない。緩やかに垂れた目尻に隠された瞳が、一瞬前は確かに本気の欲情でギラついていたのを俺は知っていた。
まさか、そんな。そんな馬鹿な。
俺は―――俺は、そんなあからさまにわかるくらいに、爛れた空気を醸していたのか。



「ちっ、くだらねぇ…」
「あっちょっと会長!」
「二度と俺様に触れんじゃねぇよ!」



今、この場に、これ以上いたくはなくて。
カバンをひっつかむと会計を押し退けて部屋を横切る。役員の目が痛いくらいに背中に突き刺さる中、捨て台詞を吐き捨てて乱暴に外へと飛び出した。
いやだ、やめてくれ、見ないでくれ。あの色素の薄い目に、俺の醜い思考をすべてを見透かされているような気がして。それが、どうしようもなく怖かった。



一刻も早く生徒会室から離れるために、走るように廊下を進む。いくつか角を曲がったところで離れたことへの安堵からか突然かくんと膝の力が抜けて、咄嗟に壁に手をつきなんとか体を支えた。一度止まってしまうと気づかないわけにはいかない全身の震え。今はきっと、もうこれ以上は進めない。そのままずるずると、壁づたいにしゃがみこんだ。



(…なんか、前にもこんなことあったな)



あの時助けてくれた手は、もう今の俺を見ても助けてはくれないかもしれない。俺も、もう素直にはあの手を取れなくなってしまっていた。
自分が情けなくて、馬鹿みたいで、ふっと強ばっていた体の力を抜いた。ぺたりと床に腰を下ろし、背中を壁に預けて目を閉じる。脳裏に浮かぶのは、さっきの会計のギラつく瞳。あれを、狙われることを怖いとは思わない。ただ、あの瞳はすべてを知っているかのようで、ただそれだけが、酷く怖い。



「…っは、馬鹿みてぇ」



壁に頭をガンとぶつけ、天井を仰ぐ。こんなところで、こんな風に、天下の生徒会長様が座り込んでいるなんて、誰かに見られたらどうするんだ。頭の隅で建前のようにそんな声が聞こえたが、もう取り繕うのにも疲れた俺は、無理にそこを動く気にはなれなかった。

別に、想い人以外に抱かれたこの体が汚れたと思っているわけじゃない。最初はどうであれ、仁科ならいいと思えたから。女じゃあるまいし、そんなことを気にするつもりはなかった。
だけど、俺の酷く自分勝手で打算的な考えが、バレていたら。久谷のことを想いながら、しかし仁科に抱かれることを許容する―――求める自分の本心が漏れていたら。それを必死に隠そうと逃げ回る自分を見透かされ、見下されるのが、蔑まれるのが、どうしようもなく怖くて。



(でも結局はこれも…みんな、自分のためだ)



辿り着く答えは、結局そこだった。ほら見ろとあの鏡に写る自分が俺を嘲笑っているような気がして、もうどうしていいかわからなくなる。

大勢のセフレがいる久谷も、俺を脅して久谷の隣を勝ち取ったあいつも、俺を無理矢理抱いていた仁科も、自分の欲に忠実な会計も、みんなきっと俺よりも、ずっとずっと強い。
ただ一人、自分自身のエゴを認められずに逃げ回る俺だけが、きっと、誰よりも、ずっと醜く弱いのだ。



こんなところでしゃがみこんでいても仕方がない。ここにいても支障はないのは事実だが、ここにいたところでなにかが変わるわけでもないから。動きたくないと訴える足を叱咤して立ち上がる。体の震えはもう一応止まっているし、もうさっさと帰ってベッドで寝たい。
そう、ゆっくりと立ち上がった時だった。落ちてくる二つの影。誰だと顔をあげるとそこに立っていたのは、見覚えのない、二人。



「あれぇ、会長様じゃないですか」
「貴方ともあろう方が、こんなところでお昼寝ですか?」



にっこりと貼り付けられたような笑顔を前に、俺は早く帰ることを諦めなければならないと悟ったのだった。






*end*




back