月に泣く | ナノ

「水無瀬(みなせ)だよ。水無瀬圭(けい)」
「またすげえ苗字だな、ミナセか……水無瀬?」

 案の定、いかにもそれらしい苗字。どう書くのかさえぱっと思い浮かばないことに苦笑いを浮かべようとしたところで──ふいに、頭の隅から勝手に漢字が現れて。親しみはないが見慣れたそれは、きっと間違ってはいない。そんな藤堂の視線に対して、ついさっきまで名乗るのを渋っていたはずの彼、改め水無瀬は、開き直ったように笑みを浮かべた。

「そ。お察しの通り、俺は水無瀬の御曹司」
「は、まじ……?」
「そんでもって由緒正しい水無瀬の父と、フランス人の母とのハーフっていうとっても希少種」

 そう言って、すごいだろ? とおどけたように笑う水無瀬だったが、当の藤堂は開いた口が塞がらなかった。その反応にも水無瀬は慣れたように笑ったが、しかしこれは驚くなという方が無理な話だった。
 旧財閥の水無瀬家といえば、昔からあらゆる業種に手を伸ばし今なお成功し続けている実力だけでなく、そのやんごとなき血筋はそれ自体に価値があると言われている家なのだ。歴史に出てくるお家。世が世なら、御簾の向こうの存在だった。
 まさかそんな、藤堂のような庶民とは接点の欠片もないはずの人間が、目の前に。

「さっすが至宝……金持ちだろうなとは思ってたが、まさかいきなりこんな大物が」
「はは、ビビったろ?」
「ああ。まさかあいつら、あの水無瀬に喧嘩を売ったとは……」
「え、そっち?」

 むしろそこ以上にどこでビビれというのか。意外にもきちんと呼び出されていた風紀委員たちに回収されていった彼らを思い出して、藤堂は深くため息を吐く。きっと彼らはその事実を知ったら恐れ戦くことだろう。
 至宝生に喧嘩を売っている時点で大問題だが、よりにもよってその中でも随一の人間。同じ至宝生であっても彼に喧嘩を売ることなど絶対にないだろう。彼がこういう人間で命拾いをしたが、実際学校単位ではなく彼一人だけでもその気になれば、黒鉄など一捻りだ、きっと。

「……でもなんか、普通だな」
「普通?」
「あ、いやお前は全然普通じゃないんだけど、感覚が普通というか。なんていうか、金持ちってもっと性格悪くて印象悪いし」
「そりゃまあ、そんなんじゃ長くは続かないしな」
「水無瀬が言うと説得力が違うな……」

 そう言えば、酷く愉快そうにくつくつと喉を鳴らす。それからずいと身を乗り出した水無瀬は、綺麗に整った眉を片方だけ上げてニヤリと笑った。

「そんなん言ったら、お前こそ不良っぽくなさすぎ」
「どこがだよ。見るからに柄悪いだろ」
「だって多分あいつらってそんな仲良い奴らじゃないんだろ? それなのに、あいつらのためにこうして尻拭いしてるし、彼らの代わりに謝ってくれた」
「それはまあ、自分とこで起きた不始末は俺がどうにかしなきゃならねえらな」

 それにそもそも、藤堂のしていることと言ったら水無瀬と一緒にお茶を飲んでいるだけだ。残念ながら、そんな風に言ってもらえるほど格好良いことは何一つしていない。しかしそれでも水無瀬は、それがすごいのだと首を振る。

「だからそういうのがさ。義理堅いっつーか、すげえなって」
「別に俺はお前とお喋りしかしてないけどな……つーかまさかとは思うがカフェオレ一杯でそんなこと言ってんなら、さすがに馬鹿にしすぎだぜ?」

 まだカフェオレの残っているカップを揺らしながら笑う。すると水無瀬も応えるように口角を上げた。

「アホ、そういうことじゃねえよ。でもだってそもそも、俺は藤堂に謝られるようなことされてない」
「ん? いやうちの奴らが」
「うん、でもそれは藤堂じゃない」
「そうだけど、でも俺はあいつらの」
「だからさ、それがすごいんだよ藤堂。彼らのトップたってなにか組織的なわけじゃなくて、お互いになにかが課されているわけでもない。藤堂が彼らを統率するのを怠ったところで罰則はないわけで、ある意味口約束だけの、言い方は悪いが軽い関係だろ」

 確かにお互いになにか制約があるわけではない。水無瀬が言っていることは正しいが、しかし部外者に軽いと言われるのはそんなつもりはないとわかっていても癪だなと思いながら、真っ直ぐに見つめてくる碧眼を見返す。

「だけどある意味一方的に慕ってるだけでそんな風に思ってくれて、責任をとろうとしてくれる。そんな人、なかなかいない」

 俺には、とてもできないよ。
 そう、眩しそうにゆるりと目を細められて。その表情に、なぜだかドキリとした。

「……残念ながら、そんな崇高な思いでやってるわけじゃねえよ。そもそも俺があいつらのトップだと周りに知れてる状況だからこそ、ただ単に自分の面子を潰されないよう必死になるんじゃねえの」
「そうかもな。でも自分の面子のためであったとしても、そこまでしてもらえる彼らは幸せ者だし、そこまでできる藤堂はすごいよ」
「だから、」
「それにそもそも俺には、藤堂は自分のためじゃなくて彼らのために動いてるように見える。だからそう受け取らせてもらう」

 異論は認めないとでもいうように、にこりと嘘のように完璧に笑う。その恐ろしくお綺麗な顔に、思い切り拳を入れてやりたくなった。しかしそこをぐっと抑えてジト目を向けるに留めた藤堂は、苦々しげに口を開く。

「……嫌な奴」
「それはどうも」

 ああ、やっぱり殴っておけばよかった。
 返された無駄にキマッているドヤ顔に、藤堂は心の底から思ったのだった。




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