月に泣く | ナノ


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 触れても熱くないようにスリーブを付けて差し出された二つのカップ。良い香りがしているそれをお礼を言いながら受け取ると、返されたのは酷く驚いた表情で。そのあまりにも駄々漏れになっている表情に苦笑するしかない。仮にもこっちは客で、向こうは接客中の店員だというのに、あからさまにも程があるだろう。
 しかしこれが正しい反応だ。この学ランを見たら、この辺りの人間はまず顔を引き攣らせる。一目でわかってしまう、あまりにもわかりやすいシンボル。

 ──そして、わかりやすすぎるシンボルが、もうひとつ。

 カップを手にして振り返ると、場違いなほど優雅に窓際の席に座る青年がこちらを見ていて。案の定、カフェすべての視線を集めていた彼は、振り向いた藤堂に向かってゆるりと目を細めた。その仕草の、なんとまあ、様になること。王子様のアイコンタクト先へと視線が一気に集まったが、しかしそれらは藤堂を、正しくは黒鉄生を認識して、慌てたよう散り散りになった。
 こういうときにはこの知名度は便利だなと満足しながら、藤堂は自分を待っている彼のもとへと向かう。スラリと長い脚を持て余すように組み、汚れたブレザーを脱いでシャツだけとなり袖を無造作に捲っている姿は、それだけで絵になった。これは間違いなく女子が離さないだろうなと考えて、そういえば至宝学園は男子校だったことを思い出した。とはいえ、あの真しやかに囁かれている噂が本当ならば、彼には間違いなく親衛隊なるものが存在するだろうけれど。

「おまたせ」
「さんきゅ。これなに?」
「カフェラテ」
「え、意外とかわいいな」

 受け取りながらニヤニヤと見上げてくる顔に、うるせえとだけ返して向かいに座る。好みを知らない相手からのなんか美味しいの、というアバウトなリクエストに対して、自分が好きなものをチョイスしてなにが悪い。むしろ豆の質だとか挽き方だとかを一番誤魔化せるチョイスを褒めてくれたっていいくらいだった。どうせなにを選んだとしても、その高貴なお口に合うわけがないのだから。
 藤堂は投げ遣りに一口飲んで、その柔らかな口当たりに頬を弛ませる。コンビニで売っている甘ったるい類いのやつは苦手だが、甘味のない純粋なカフェラテは好きだった。こんなお洒落なカフェに入ることなどほとんどないけれど、これが飲めるならたまにならいいな、と思う。そう舌鼓を打つ藤堂の対面ではたった今、キラキラ眩しい王子様の口からマズイの一言が出たけれど。

「……だから言っただろ、こんなとこお口に合わないって」
「いいんだよ。俺はこういうことがしたくてわざわざ出てきたんだから」
「こういうこと?」
「ん。ブラブラしてたら不良にカツアゲされそうになったり、そいつらと喧嘩してみたり、美味しくないコーヒー奢られてみたり?」

 機嫌が良さそうに語る口から出てくるのは、なんとも芳しくない内容。思わずジト目を向ければ、どうやら彼の望み通りの反応をしてしまったようで、向かいの青い瞳が楽しそうに瞬いた。

「嘘だよ、俺もカフェオレ好き」

 果たしてそれは、何に対しての嘘なのか。チョイスをかわいいと笑ったことか、マズイと宣ったことか、はたまた町まで出てきた理由か。なんだっていいけれど、とりあえず思うのは。

「お坊っちゃまも大変だな、社会科見学なんて」
「嘘だって言っただろ。それにお坊っちゃまだとも言ってない」
「本気で言ってんのか? お前ほど金持ちそうな見た目の人間見たことねえよ」
「それ誉めてねえな?」

 あまりにも惚けた返事に、馬鹿にしているのかと疑いたくなる。そもそもそんないかにも金持ちですという成りで無防備にほっつき歩くから、カツアゲの格好の餌食となるのだ。そう呆れつつも、この只者ではない雰囲気しかない男によくもまあ絡めたものだなと改めて感心してしまう。あいつらのことだから、あまりに目立っている彼に、光に吸い寄せられる蛾のようにフラフラ寄っていってしまったという可能性も否めない。

「そもそも至宝の制服見て金持ちだと思わない人間はいねえよ」
「あー、それほんと面倒くさいんだよな」
「うちの制服も似たようなもんだけどな」
「その制服が?」
「ああ。黒鉄の制服を見たら、気づかれるな、目を反らせ、すぐ逃げろ、が鉄則らしい」

 肩を竦めてそう言えば、目の前の男は声を上げて笑った。笑わせようとした冗談ではなく事実なのだけれど、楽しそうなのでまあ良しとする。
 とはいえ彼の場合は制服がシンボルになっているのあるけれど、至宝の制服を着てようが着てなかろうが関係なく、特別な人間だと思わせる容姿とオーラを有しているのも確かだった。

「ははっ、じゃあ俺は対応を間違えたわけだ」
「別に間違っちゃいねえだろ。勝てるんだったら……自分で対処できるんだったら、必要以上にビビって逃げる必要もない」
「でも俺は助けてもらったからな。あー、えっと」
「ん? ああ俺、藤堂」
「そう。助けてもらったからな、藤堂に」

 そういえばまだお互い名乗りもしていなかった。視線に促されて答えれば、それを受け取った青い瞳はゆるりと弛む。そうしてカップを口元まで持っていって、その液体をマズイと言った口でカフェオレを飲んだ。それにより一瞬途切れる会話。こちらは名乗ったというのに、どうやら向こうはそのお返しとしては名乗ってくれる気はないらしい。
 仕方ないなと思いながら、藤堂は口を開いた。

「お前は?」
「ん?」
「名前。知らないと呼びにくいだろ」
「あー……そうだな」

 手元でカップを弄びながら、迷うように返された返事。その予想外の反応に、藤堂はあれ、と眉を上げた。
 てっきりこっちから聞いてほしくて待っていたのかと思いきや、どうやら本当に名乗るのは乗り気じゃなかったらしい。悪いことをしたかなと思いつつ、さすがに今の流れでスルーというわけにもいかないだろう。
 もしかして、実はすでに知り合いだったりしたのだろうか。でもその場合に気まずい思いをするのは、覚えていないこちらの方のはずだけれど。理由が見当たらず内心首を傾げる藤堂に向かって、しかし彼は思っていたよりもあっさりと、観念したように肩を竦めた。




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