月に泣く | ナノ

 私立至宝学園とは、知らぬ人などいないと言っても過言ではない、日本を代表する教育機関である。幼稚舎から大学部までを有するそこには、日本の将来を担う、それはもう素晴らしく頭が良く、家柄も育ちも良い人間が集まるのだという。いや、至宝で育つからお育ちが良いという判断になるのか。どちらだっていいし恐らく相互補完しているのだろうけれど、とにもかくにもハイソサエティとはまさしく彼らのことで、彼らこそが、出自によって覆せない差がつくと妬まれ嘆かれる格差社会の象徴であった。
 そんな圧倒的なブランド力を持つ至宝≠フ名前。しかしそこの学生たちが一体どんな人々でどんな教育を受けているのかの実情は、藤堂たち平民の預かり知るところではない。とりわけ藤堂の通う黒鉄高校は、それはもう荒れに荒れた、不良ばかりが通う高校。貴族の集団である至宝とは、対極にある存在。そんな両極端な教育機関は、なんの因果か同じ市内に存在していた。とはいえ至宝学園は山奥に校舎と併設された寮があり、滅多に下界に降りてくることはない。ゆえに、彼らが出会うことはまずないのだ。そういった下々との出会いを生まないようにこそ、山奥に隔離されているのだから。現に、藤堂が黒鉄に通い続けて二年とちょっとの今日までは、一度だってその制服に遭遇することはなかったのだ。

 だというのに、ここにきて、まさかの至宝。

 あまりにも相手が悪すぎる。ただでさえ、まずはとりあえず悪役に回されるほどにイメージが悪すぎる黒鉄が相手取って勝てる相手ではなかった。天地がひっくり返ったとしてもありえない。たとえ関わりがなくたって、至宝が少しその気になれば黒鉄を潰すことなど造作もないだろう。それほどに、至宝学園は力を持っている教育機関であった。

(頼むからやりすぎてくれるなよ……!)

 すでに路地裏に連れていっている時点で、今から駆けつけたところで未然に防げるわけではない。だからただひたすら願うのは、被害ができるだけ少なく済んでいることで。ただのカツアゲであってほしい。いやもちろんカツアゲだって断じて許されるべきではないけれど、それでも相手方を身体的に傷つけていないだけマシだ。カツアゲだけならば、そのお金を返して誠心誠意謝ればどうにかなる可能性が全くないわけではない。しかし手を出してしまったら、相手に傷を残してしまったら、それは完璧にアウトだ。
 自分含め、黒鉄生が世間から思われているほど悪い奴らばかりではないのは、彼らを統率する立場である藤堂はよくわかっていた。なにが世間から冷ややかな目で見られる原因かというと、その派手で厳つい外見と、残念ながら一般人よりも些か出るのが早い手。しかし実際には、口よりも先に手が出ることで被害を被っている一般人はほぼいないはずだった。彼らは基本的には同類としかいざこざを起こさない。要するに、堅気には手を出さない、と同じで。
 そう、だから別にそこまで焦る必要もない。この胸騒ぎだってきっと気のせいだ。頼むから、いつも通りであってくれ──そう、思ったときだった。そう遠くないところから、ガシャン! となにかが激しくぶつかる音がして。一発では止まず、続いて響いた鈍い音。遅かったか、と盛大に舌打ちをしながら藤堂は勢いよく角を曲がった。

「おいお前ら……!」

 そうして駆け込んだ先の光景に、大きく見開かれた藤堂の目。自分が何をしに来たかなど、一瞬で吹き飛んだ。

「──……」

 黒い学ランが四人ほど転がっている中心で、息を呑むほどに綺麗なフォームで五人目に拳を叩き込んだ、真っ白なブレザー姿の男。その動きに合わせて靡くのは、生来のものからしか生まれることはないであろうほど、美しい金色で。
 その欠片も無駄のない動きに、姿に、視線が釘付けになった。

(──あ、)

 そうしてほうと見惚れていた藤堂は、しかし彼の拳を見た瞬間に我に返る。考える前に間髪入れずに飛び出すと、片手でその拳を受け止め、もう片方の手を彼が止めを刺そうとしていた黒鉄生に叩き込んでいた。

「!」
「やめとけ、それ以上やったら手痛めるぞ」

 無駄のない美しいフォームに、的確な狙い。必要最低限なモーションのみのその喧嘩は完璧だった。そう、その優美な見た目にそぐわず惚々するほど完璧な喧嘩だったけれど、しかしその見た目通り彼は喧嘩に慣れているわけではない。それを本能的に察した藤堂には、その綺麗な拳が無駄な怪我を負うのは、勿体ない気がしたのだ。
 突然の乱入者に驚いて見開かれた瞳は、吸い込まれそうなほどに深い青で。おまけにその印象的な碧眼だけでなく、彼の顔の造形は目を見張るものがあった。碧眼を縁取り目元に影を作るのは、髪同様、陽の光に透ける金色で。白磁の肌に綺麗に通った鼻筋、秀麗な眉、そして薄いが形の整った唇。まるで、作り主が全身全霊を掛けたかのような、完璧な造作に配置の顔。

(こんな人間、まじでいんのか)

 しかしその美貌に呆気に取られたのも一瞬で、すぐに違うことに気を取られて内心焦る。軽率に突っ込んできたはいいものの、目の前の彼は日本人の血は入っているのだろうけれどどう見ても純粋な日本人ではなかった。もしもこの見た目のまま日本語ができないとなると、なかなか困ったことになる。天下の至宝のお坊っちゃま方は問題ないのかもしれないが、藤堂は一般的な日本の学生同様。残念ながらそこまで英語は堪能ではなかった。
 しかしそれも杞憂に終わる。目を見開いていた彼は、藤堂に受け止められた拳を慌てたように引いて。そうして困ったように口を開いた。

「あー……えっと、俺が忘れてるんなら悪いんだけどさ、あんた誰?」




prev / next

<< back



「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -