月に泣く | ナノ

 前方に見えてきた駅。そういえばこっちでよかったのかという疑問が浮かんで、藤堂ははたと立ち止まった。店を出てからなんの疑問も持たずに駅に向かって来ていたけれど、ここまで来てようやく彼が電車など使わない人種であることに気がついた。

「なあ、駅の方来たけどこっちでよかったか?」
「ん? ああ、そこまで迎えが来てるはずだから」
「ああそうか、迎えね」

 当然のように返ってきた返事に、確かにと納得する。彼が電車は使わない人種という認識はあっていた。しかし違う意味で駅は使うのだ、迎えとの待ち合わせの目印として。
 水無瀬の言うお迎えのイメージがあまりにも容易に想像がついてしまって、本当にそのイメージ通りなのかどうか確かめようと駅の方へ視線を飛ばす。まだ見えないようだけれど、見たらきっと一目でわかるはずだという確信があった。

「よしじゃあ調度いいから、次の機会に教えてもらおうかな」
「ん?」
「次だよ次。次会えたときに名前、教えてくれ」
「は? 次なんて、」
「今の状況だとまずないな。だから願掛けみたいなもんだよ」

 そう言ってニッと笑う水無瀬の横に、滑るように黒塗りの車が停車した。まるで会話を聞いていたかのようなタイミングで現れたそれは、まさしく藤堂が想像していた通りの、たった一人を迎えに来るにはあまりにも長い黒塗りのリムジンで。
 一瞬前まではいなかったはずのこの車は、きっとずっと水無瀬の傍にいて、こちらが立ち止まるタイミングをずっと待っていたのだ。つまり目印などいらない。彼の言う迎えとは指定された場所にわざわざ水無瀬が行くものではなく、完璧なタイミングで向こうから現れるものだということを知った。

「じゃ、今日は付き合ってくれてありがとな」
「ああいや、こっちこそ迷惑かけた。ブレザーも悪かったな」
「ん、今度はお詫びのためじゃなく付き合ってくれ」

 水無瀬の言葉に頷きながら、しかしそれはどうだろうと素直に思う。確かに楽しかったし気が合うなとは思ったけれど、あまりにも世界が違いすぎる人間。今日が特殊だっただけで、またあると思うかと問われれば、答えはノーだろう。
 それにどうせ水無瀬自身もそれはわかっていた。普段滅多に関わらない人種が珍しいだけで、それ以上のなにかがあるわけではない。お互いに連絡先を聞こうとしていないのが良い証拠だった。

「あーじゃあ、またカツアゲに遭わないよう気をつけてな」
「ふはっ、俺はもうこの車乗っちゃえば平気だよ」
「バカ違えよ。なにも知らずにお前をカモだと思ってカツアゲしちまう方が心配なんだ」
「ひっでえ」

 ケラケラと笑う水無瀬の後ろで、運転席から出てきた運転手が扉を開けて待っている。容貌も制服もすべてがいかにもな印象で、黒光りする車体に添えられた真っ白な手袋が、嫌味なほどに眩しく感じた。
 ふわりと金糸を揺らして車へと乗り込む水無瀬。長い脚を折り曲げて乗った先で、当たり前のように運転手が扉を閉めるのを待っている彼の姿に、やはり生きている世界が違うことを実感する。

「じゃあな、藤堂」
「ん、またな」
「次は絶対名前聞くから」
「次、ね。願掛け叶うといいなお坊ちゃま」

 笑う藤堂に対し、ひらりと手を振って答える水無瀬。それを合図に、ロマンスグレーの運転手の手によって、静かに振動もなく扉が閉められる。窓にはスモークがかかっていて外からは車内を窺い知ることはできない。扉を閉めきった運転手は律儀にこちらに向かって深く頭を下げて、運転席へと戻っていった。
 こちらからは見えなくなったけれど、確かにそこにいるはずの水無瀬。見送ろうとも中が見えないのですることはなく、ぼんやりとそこを見つめる。動き出そうとする車から一歩後退って離れると、スーッと音もなく窓が下がって。

「ぼんやりしてると引かれるぜ」
「そしたら慰謝料の倍額請求するわ」
「なら最低もう一回は会えるな」

 ニヤッと笑う水無瀬に藤堂も口角を上げる。ゆるりと滑るように走り出す車体。ここまで動き出しが静かだと、確かに気づいたら引かれていそうだ。

「じゃあな!」

 手を振ってくる彼に向かって振り返す。あっという間に離れていった黒光りする車の後ろ姿を、見えなくなるまでぼんやりと眺め続けた。


(……なんか、すごい存在だったな)

 今にも陽が沈もうとしていて、もうすぐにでも辺りは暗くなる。ようやく見えなくなった車を見送るのはやめて、自分も帰宅すべく駅へと向かい歩き始めた。時間としてはそこまで遅くはないけれど、今日は想定外のことが起こりすぎなので早く帰りたい気分だった。
 やはり一人で街に出ると、のんびりなんかさせてもらえない。ただ一つだけいつもと違ったのは、藤堂自身が今日街に出たことを後悔してはいないこと。

(あー、面白え経験した)

 散々振り回されて疲れてはいるけれど、足取りは軽い。いつも通りのんびりできずイレギュラー続きではあったけれど、それでも水無瀬と出会うことができたから。あまりにも世界が違いすぎて深く関わりたくはない相手だが、それでも彼のような存在を知ることができたのは悪くないと思えた。もしも万が一、願掛けが叶ってまた会うことができたなら、本当に名前呼びを許可してもいいと思えるくらいには、悪くない。
 彼は、どうせ自分は級友以下だと嘆いたけれど、藤堂にとっても初めての会話でここまで仲良くなれた相手はなかなかいない――いや、初めてだったのだ。
 だからおれも同じ気持ちだよと、恐らくもう会うことのない友人へ心の中で弁解しながら、藤堂は駅へと向かったのだった。



*第一章END*


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