三周年記念企画小説 | ナノ
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ザアア、と大きな音をたてて、花弁が舞い散っていく。
せっかく満開となっているのに、一秒ごとにその絢爛な美しさは、散りゆく儚い美しさへと変わってしまう。
ぼんやりとそれを見上げながら、温かな陽射しが出始めるのと風が強い時期を被せるなんて、神様も意地が悪いな、と思った。
【入学】
「うわっ」
再び強く風が吹いたのに煽られて、思わず声が出ていた。
パーカーのフードが上手い具合にバサリと被り、見上げていたはずの視界が狭まる。しかしそのおかげでこちらに注目していた視線もいくらか阻めた気がして、これはこれでいいか、と被ったままでいることにした。
春は、風が強い。
そのせいで桜はすぐに散ってしまいがちだった。
ゆえに、都内の学校における入学式に満開の状態で新入生を迎えてくれることは少ない。もちろん咲いてはいるし、満開でなくとも十二分に美しいのだけれど。きっともう少し北に行けばぴったり満開なところもあるのだろう。
別にいつもは満開に拘っているわけではなかった。ただ、今はなんとなく、満開の桜が見たい気分だったのだ。まだ今年は満開の状態を見ていなかったから。すでにここの桜が散り始めている以上、結局今シーズンは見られずに終わりそうだった。
卒業したときに見た桜は、まだ咲いてはいなかった、から。
「ね、あの子かっこよくない?」
「えー、フードでよく見えないんだけど」
「一年生かな? 見たことないよね」
「えっ、あれだよほら、桜の精!」
花弁が舞い散る中でぼーっと桜を見上げていたところに、ふいに聞こえてきた会話につい笑ってしまった。
こんなにデカい男を捕まえて、桜の精はないだろう。乙女系男子たちも大概だったが、さすが、本物の女子は違う。悪気なく純粋に感心しながら、どうやらフードだけでは隠しきれていないらしい顔を僅かに伏せた。
今までは聞くことのなかったトーンの話し声は、興味津々といった様子でこちらに近づいてくる。しかし今は彼女たちと話すつもりはなかったため、気づいていないふりをして歩き出した。
(結局、今年は満開の桜は見れないままか)
卒業式までに咲く桜は、あの学園には存在しない。もう数日だけ待っていれば、あの会議室の桜が咲いたのだろうけれど、最後の日に見に行った時点ではまだ咲いていなかった。
一年前は、満開になったあの桜を何度も見にいっていた。春休みにわざわざ会議を開くことはなかったけれど、何度も、一人で。そうして美しく咲き乱れる姿を目に焼き付けた。それは、今でも鮮明に思い出せるほどに。
(……綺麗、だったな)
コートのポケットに突っ込んでいた手が、底でなにか固いものに触れた。それがなにかすぐに気づいて軽く握り込む。この一年間ですっかり慣れ親しんだ感触。ポケットから取り出すと、それは陽の光を反射してキラリと光った。
もうすでに懐かしいと感じてしまう校章の刻まれたボタンに、ゆるりと目を細めた――瞬間、みたび風が吹き荒れて、コートの裾を巻き上げた。
「あ、っちょ」
巻き上がってしまったのはコートだけではなかった。風に煽られた拍子に手の中から飛び出したボタンは、コロコロと地面を転がっていってしまう。慌てて追いかけた先、俺が追いつくよりも前にコツと人の足に当たり、ようやくそれは止まってくれて。
転がるボタンが触れた感触など微かにしかしないはずなのに、それに気づいたようで下を見る人物。そうして不思議そうに拾い上げた男に、俺は慌てて声を掛けた。
「すみません、それ俺のです!」
「え、この校章って……」
「え――……」
駆け寄っていた足が止まる。
ボタンから視線を上げてこちらを見た顔が、目を見開いて、固まった。
「先、輩……?」
「……なんで、お前がここに」
二人で愕然として見つめ合う。
俺のボタンを手にしてこちらを見ていたのは――他でもなく、そのボタンの、本当の持ち主だった。
***
「なんで、あんた、上の大学進んだんじゃ……」
「え、いや、俺は元々出るつもりだったし。ってかお前こそ御曹司様がこんなところでなにやってんだよ」
「それは、幼稚舎からあそこだったから一回出てみるべきだって、ずっと思ってて」
だけどまさか、あんたがいる大学を選んでしまっていたなんて。
いまだに信じられなかった。こんな偶然、夢でも見ているのではないのだろうかと疑うくらい。
出るかどうか迷っていた背中を最終的に押したのは、あんたがあの大学に進んでいると思っていたことだったなんて、言えるわけがなかった。
規格外のイケメン二人の邂逅、おまけにどうやら知り合いらしいという周りの好奇の目に、とりあえず場所を変えようと、無理やり連れてこられたのは大学から徒歩一分のマンションだった。どうやら今この人は、ここで一人暮らし中らしい。
予想外すぎる再会の五分後には家にいるなんて、あまりの急展開に落ち着くもなにもあったものではなかった。そもそもこの人から離れるためにこの大学にしたというのに、会ってしまったからといって部屋までのこのこ上がり込んでしまった自分に呆れてしまう。断ってとっとと帰ってしまえばよかったものを。
「しかしビックリしたな」
「ええ。まさかよりによって、なんであんたと」
「おーおー、可愛くないところは変わってねえなあ」
「あんたもそういう偉そうなとこ変わってないですよ」
「そういうお前もな」
くつくつと喉の奥で笑う音が、部屋に響いた。変わっていない笑い方。一年ぶりに聞いたそれ。もう二度と聞くことはないと思っていた笑い声。
どうしたって気分は落ち着かず、出されたコーヒーに手をつけることさえできなくて。
無理だと思った。つい流されてついてきてしまったけれど、これ以上は平然を装ってはいられない。
恋心など、あの日に、見納めだと思った日にすべて置いてきたはずだった。だけど、それでも。
「っ俺、やっぱ帰りま」
「なあ、本当に偶然なのか?」
「は?」
今更ぶり返そうとする熱に耐えきれずに、立ち上がりかけた足は――しかし、逃がさないというように捕えられた腕に引き留められる。中途半端な姿勢で見下ろした先には、真面目な表情でこちらを見つめる端正な顔。その瞳の真剣さに、俺は視線を外すことなどできず、釘付けになった。
「っ、偶然に決まってるでしょう、俺は、あんたが上の大学に行ったものだと……」
「へえ? 俺はてっきりお前が追いかけてきたのかと」
「ばっ! なに言って……!」
その言葉に、吃驚して目を見開く。
なにもかも見透かしたうえでからかわれているような気分で、咄嗟に腕を思い切り振り払おうとする。
しかし次の瞬間、その口から紡がれた言葉に、俺は、言葉を失くした。
「――じゃあ、運命だな」
そんな、柄にもないロマンチックなことを言って、あんたが酷く嬉しそうな表情で笑うから。見たこともないような、あまりに優しい表情で笑うから。
思わず抵抗もやめて、その表情に見入ってしまう。目が離せなくなってしまう。
腕を引かれるままに膝をつく。そうして引き寄せられた手に、なにかを握らせられた。
「な、なに」
「これ、俺のだろ?」
「……っ!」
慣れ親しんだ感触。なにを手渡されたのか、見なくてもわかってしまう。
カアア、と一気に顔に熱が集まるのがわかった。
「こんなん持ってうちの大学いるもんだから、追いかけてきたのかと思ったんだけど」
「ちが、これは!」
「うん。こんだけ大学がある中で、追いかけてきたわけでもなく偶然たまたま同じとこなんて、こんなん運命としか思えねえよなあ」
「や、え?」
頭の理解が追いついていかない。目を白黒させることしかできない俺を置いて、勝手に話は進んでいってしまう。
しかしどれだけ頭の中がパニックになっている中でも、会議において他の足並みなどお構いなしだった頃となにも変わっていないと、そんなことを思ってしまうから。そんなことを懐かしく思ってしまうから、本当に始末に負えない。
そうこうしている内に、今度はボタンを握ったままの手ごと包み込まれて、ビクリと大きく肩が跳ねた。
「まだこれを持ってるって……期待して、いいんだよな?」
「っなに、」
「とぼけんなよ。あん時だって俺が卒業するからって泣きそうな顔してたくせに」
「えっ、あんたあん時、見えて……!」
意地の悪い笑みと共に告げられた言葉に、思わず声を上げる。それに、ますます深まる愉快そうな笑み。
まさか、まさか見られていたなんて。てっきり向こうには見えていないと思っていたのに。
恥ずかしくて、どうしていいかわからなくて、もう一度振り払おうとした手。しかしそれは予想以上にしっかりと捕まっていて、振り払うことは出来なくて。その感覚が伝わったのか、さらにその手はさらに強く俺の手を捕え直す。
「今度は逃がさねえよ」
「誰も、逃げてなんか、」
「いや、あの日だって逃げただろ、お前は。あんな顔されて、俺がどんな思いをしたか」
「……っ」
歯を食い縛る。あの日と同じように、迸ってしまいそうな想いを食い止めるのに必死だった。
期待と不安がない交ぜになって、喉に熱いものが込み上げる。信じていいのか、期待していいのかわからなかった。馬鹿みたいに好きすぎて、いつだって、中高時代からいつだって、この人がなにを考えているのかだけは自信がないんだ。きちんと冷静に考えられているのか、わからなくなってしまう。
しかしそんな俺を余所に、俺の手を包み込んだ手に祈るようにくっつけられる額。気持ちを落ち着けるように小さく息を吐いたあと、ゆっくりとその唇が開いた。
「諦めてたんだ。だからあの時だって、お前が走り去るのを引き留めなかった。もう、会えないものだと思っていたから。それなのにお前を引き留めることなんてできないと」
「……」
「だけど――こうして、また会えた。だから、」
「っ、先輩」
声が掠れる。堪えていた想いが、ついに溢れ出そうとしていた。
あの日散ってしまったと思っていたものが、今になって咲こう、と。
「お前が、好きだよ。ずっと、ずっと好きだった」
その言葉を聞いた途端、体が震えた。火傷しそうに喉がひりつく。気を緩めればすぐにでも嗚咽が漏れそうで、必死に歯を食い縛った。
「……――俺も、です」
唇が震えた。ついで、止める間もなく涙があふれ出す。
あの日、言えなかった言葉。伝えられなかった気持ち。
想いも、共感でさえもすべてを押し殺して、その隣に立ってきた。なんでもないふりをして、ずっと一緒にいた。
それが、ようやく。ようやくすべてを伝えられる。伝えることができるなんて、思ってもいなかったのに。
俺も、あの桜が好きでした。
俺も、あんたとトップが張れて楽しかったです。
俺も――あんたのことが、好きです。
ひとたび蕾が綻べば、みんな瞬く間に開花し始めて、次々に咲き乱れる。
まるで綻ぶのを待っている蕾のように、言いたいことも、伝えたいことも、みんな山ほどあるというのに。
それなのにボロボロと次々に溢れ出るのは、想いではなく涙ばかりで。花弁が舞い散るように零れるこの涙で、すべてが届けばいいと、思った。
*end*
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