三周年記念企画小説 | ナノ
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「逃げたぞ!追えーっ!」
「宮殿から出すな!囲い込め…!」
すっかり聞き慣れてしまった声を後方に聞きながら、一目散に城壁へと向かう。何度も何度も繰り返した脱走のおかげで、どこを通ってどこに向かえば最も早く確実に外へ出られるのかの算段はついていた。相変わらず重そうな鎧でガチャガチャと音楽を奏でながら追いかけてくる衛兵たち。
衛兵よりも足が速い自信も、ルートが完璧な自信もあった。
しかし、さあもうそこだ、という所で意志に反して唐突に止まる足。自力ではうんともすんともいわず、すっかり動かなくなってしまったそれに、チッと盛大に舌打ちをしてやった。
【Tanzanite】
「なんだ、もう脱走は終いか?」
「うるせえ」
「確保ご苦労。訓練に戻っていいぞ」
「はっ!」
執務を熟していたであろう男がわざわざ書類から顔を上げ、愉快そうに俺を見る。やはりがちゃがちゃと音を立てながら去っていく兵士。それにあからさまに嫌な顔をしていると、翡翠のような瞳がぱちりと瞬いた。
「どうした?」
「…やっぱあの鎧、やめたら?」
「ああ、それか。とりあえずこちらに来い」
「………」
ソファに座りながら、おいでと手を広げられて渋々近づいていく。しかしその腕の中に素直に飛び込んでいけるほどのかわいげはなくて、見下ろすような位置で立ち止まる脚。それに呆れたように眉を下げて笑ったそいつは、ふいと指だけを動かして俺を膝の上に収めた。
「っ!」
「言っただろう、我々には生身の速さというものはあまり必要ない。現に今日も魔法で捕まったろう?」
「…魔法使えないときは必要だったろうが」
「そうだったな。お前は本当によく逃げ出す」
そう言って少し眉を下げる男に、見上げていた視線をついと逸らす。別にあの頃と違って本気では逃げていないと弁解するように言いかけて、言葉を止めた。
今日はどうしても貸してもらいたいものがあって、頼み込んでも貸してもらえなかったからちょっくら失敬して逃げていたのだ。しかしきっと正直にそう言ったら、なにを欲しいのかと問いただされるだろうから。そしてなにを欲しがったか気づかれたら、使用を止められるに違いないから。それだけは避けたいことだった。
俺を膝の上に抱えながら書類を読み続ける胸に寄り掛かる。しかしそれにビクともしない、腹が立つほどにがたいのいい体。生身の速さは必要ないと軽く笑いながら、きっと最も生身での訓練をしているのはこの国のトップであるこの男だ。そのことがなんだか腑に落ちず、俺はその場でむすっと胡坐をかいた。さすがに書類が見にくいのかもぞもぞと身じろぐのを背中に感じたが、本当に邪魔なら勝手にどうにかするだろうと気にはしない。
「まあ確かに、あいつらは些か魔法に頼りすぎている節がある。今度、団長にでも言っておくか」
「想定外が起こってからじゃ遅いだろ。あんたはどうとでも対処できるかもしれないが、あいつらあの時の俺でさえも捕まえられなかったんだぜ?」
「お前相手には負担になるから魔法を使うなと言ってあったからな…ああでもそうか、身体能力が高ければお前が倒れる前に捕まえられて無理をさせずに済んだか…」
ぶつぶつと言い出すのに、そういうことが言いたいかったんじゃないんだがな、と思いながらあとは任せることにする。こうしてこの男の傍にいるから口を出そうと思えばいくらでも出せはするけれど、そんな権限も立場もない俺が首を突っ込むことをよく思わない人間も多いのだ。元々俺はこの世界の人間ではないのだし。
それにそもそも、この立場を利用して口を出そうというのは俺自身が最も忌避するやり方だった。本気でなにかを変えたいのなら、実力を持ってしてその立場まで上り詰めればいい話なのだから。そうでなければ本当に変えることなどできはしない。
(ただ―――…)
ただ、まだそこまではこの国を、この世界のことを想えていない。
ここで暮らし始めてそろそろ一年が経とうとしている。しかしいまだに、日々俺はこの世界では異端なのだと思い知らされ、俺を弾き出そうとしている世界と戦っているかのような毎日。そんな世界にあるこの国を想う余裕など、俺にはまだなかった。
こんな風に考えることは、この王宮に連れてこられるまではほとんどなかった。しかしここに来て初めて俺は、自分の異端さを突き付けられたのだ。いかに自分がこの世界に適していないのかを思い知らされた。
村にいた時はとにかく生きるのに必死だったし、言葉や文化を覚えるたびに、少しずつ自分がこの世界に馴染んでいっている気がしていた。質素で穏やかな生活の中で、前に進んでいけていることに、馴染んでいけていることに、酷く感謝する毎日だった。それがとても充実していたし、とても幸せなことだった。
だから気づいていなかったけれど、あのまま暮らしていたら、俺はそのうち死んでいたのだ。前に進めていると感じていたのも、馴染めていると思っていたのも、そんなの表面だけのことで。
―――根本である、この世界に拒絶されている。
なんにでも対応できる実力も、努力も惜しまない自負もあった。だからこそ、そのことに気づいた時、あまりの衝撃に愕然とするしかなかった。努力さえ受け付けないこの世界に、俺はどうすることもできなくて。
この男の隣にお前は相応しくないのだと、そう、世界から言われている気がした。
「また訓練に参加しようとしたんだろう?お前も懲りないな」
「…魔力がないと無理だって追い返されたけどな」
「いつものことだろう…だからこんな物を盗んで逃走、と?」
「あっ!おいそれ返せ…!」
どれだけ愛していると囁かれようと、どれだけ大切にされようと、俺はこの世界に受け入れてもらえている実感は沸かなかった。
幸せも、愛も感じる。だけどそれだけではどうしようもならないものもある。
それでもどうしてもそのことを信じたくない俺は、どれだけ無駄だと思われようと、こうして努力することで必死に誤魔化すしかないのだ。ここにいてもいいのだと、その可能性はあるのだと、どうしてもそう信じたくて。
いつの間にかポケットから取り上げられていたものをひらりと翳され、ぱっと手を伸ばす。しかしあっさりとかわされて、ふわふわと手の届かないところまで飛ばされてしまう。たったそれだけなのに、魔法を使われるとそれが当てつけのように感じてしまう自分が嫌だった。
「なにか当たって痛いと思ったら…なるほど、魔力増幅の魔石か」
「魔力チートなあんたには必要ない石ころだろ、返せ」
「初めて見るが、綺麗な宝石だな…しかしこれは元の魔力を増やすものだと聞いたことがあるぞ。魔力値がゼロだと意味がないんじゃないか?」
「…やってみなきゃわかんねえだろ」
せっかくわざわざ二つ盗って一つを衛兵に返すという小賢しい真似までしたっていうのにあっさりと没収されてしまった宝石は、こちらの気も知らずに日に透けてきらりと美しく輝いていて。おまけに気にしないようにしていたことを指摘されて歯を食い縛る。恨みがましくギリギリと睨んでいると、予想に反してふわりと滑るようにこちらにやってきたそれ。思わず、使ってもいいのかと上を見上げた。
「お前が本当に望むのなら、構わない。ただ…これ以上お前が傷つくのを、私は見たくない」
「…傷ついてなんかない」
「本当か?」
「可能性が万に一つでもあるんなら、試す前から諦めたくないんだ」
そう言いきって、ぐっと手を伸ばす。
自分だってここにいてもいいという確証がほしかった。ほんの僅かな可能性だっていい。せめて縋れる希望が欲しかった。
石に手が触れる。小さく息を飲んだ瞬間、俺の手が届く前に大きな手がそれを掴んだ。
「…誇り高いお前はとても愛おしいが」
「っ!」
「弱いお前も、私は受け止めたいよ」
「うっああ…!」
掌に落された魔石。
強すぎる魔力に反応して淡く発光していたそれは、俺の掌に乗った途端にあっという間に血のように赤黒くなって。なにかを強引に吸い込まれるような感覚に、俺は咄嗟に身を屈めた。ないものを探してなにかが身の内側を荒らしているような、根こそぎなにかを奪い取ってぐちゃぐちゃにされるようなそれに眩暈がして歯を食い縛る。
放したいのに手から離れない。まるで獲物を放そうとしない捕食者のようなそれから逃げようと手を振り上げた途端、ふっと一瞬で消えた感覚。ガクリと脱力し荒い呼吸を繰り返していると、すっと目の前に差し出されたそれは、さっきまでが嘘のように再び美しく輝いていて。
「魔石とは、その名の通り、魔力を持った宝石だ。種類によって回復を促進させることや、剣や盾となること、そして魔力を増幅してくれるものもある」
「………」
「だがこいつらは、それらを与える代わりに対価を求める。魔力を欲しがるのだ。ほんの少しだけ、我々が生まれながらにして持っているものでも事足りるだけだが…」
「……っ」
出そうとした声の代わりに嗚咽が零れそうになって、ぎゅっと歯を食い縛る。
魔石を握っている手がそっと俺の胸に触れた。そうしてそこからいつものようにぽう、と淡い光が俺の中に沁みわたってきて。体内の食い荒らされたなにかが、生命力が補われ、修復されていくのがわかる。目を瞑り、溢れ出しそうになる涙を、激情を止めようと、浅く息を繰り返す。
この世界ではなにもかもが対価を求めるのだと知ったのは、持病の治癒が終わってすぐだった。
食べ物や水や薬草、そして空気さえも、それを摂取する際に本当に微々たる量だが確かに魔力を奪ってゆく。筋肉を動かす時に体力を消費するのと同じくらいの、普通に暮らしていれば気にもならない僅かな魔力を。
普通であれば気にせず暮らせる対価であるそれ。しかし魔力が底をつき、その代わりである生命力へと対価が移った途端、森羅万象が牙を剥く。
確かに村にいた頃、やけに体力が落ちたなと思っていたのだ。少し歩くだけで息は切れ、眠ってもなかなか体力は回復しない。ただそれは、持病が悪化したせいだと思っていた。環境の変化や、こちらの治癒だけでは対応できていないせいなのだと。
だからまさか、そもそもの生命力を奪われていただなんて、思ってもいなかったのだ。
「自然は優しい。あれでもそこまでお前に負担は掛けないだろう。だが魔石は我らが得ようとするものが大きいように、自然よりも遥かに大きな対価を欲する…生命力に換算すれば、根こそぎ奪っていくほどに」
「くっ…う……」
「我々からしてみれば宝石だが、お前にとっては…」
治癒が終わり、すっと体から離れていく手。
その掌に包まれている魔石は美しく煌めき、誘うように存在を主張する。
「それでも…それでもこいつなら……生命力を吸って満足すれば、魔力をくれるかもしれない」
「確証はない。お前の生命力すべてを吸っても満足しないかもしれないし、満足したところで魔力を得られるとも限らない」
「それでも賭ける価値はあるさ……それにお前なら、俺が死ぬ前に止めてくれるだろう?」
「………」
まだ整わない呼吸のままに見上げれば、作り物のように綺麗な顔が苦しげに歪む。あまりに痛々しいそれに眉を下げ、ゆるりとその頬に手を伸ばせば、覆いかぶさるように落ちてきた唇に口づけられた。
「んっ…」
体が完全に治ったあとも、俺の体への治癒は終わらなかった。毎晩欠かさず繰り返されるそれ。それは、魔力のない俺が生命力を奪われつくされないように、こいつの魔力を体内に分けてもらうため。
そうすることでしか、俺はこの世界で生きてはいけないから。
「…お前がいなくなることが、唯一の恐怖だと話したはずだが?」
「だからこそ、だよ」
言いながら、ゆるりと目の前の石へと手を伸ばす。
俺よりも大きな掌に乗っている宝石に触れれば、淡く発光しながら温かく穏やかに受け入れてくれる。きっとこれを持ち上げた途端に、この美しい宝石は魔石となって牙を剥く。そうして俺の体内を食い荒らすだろう。
だけどそれでも、諦めるわけにはいかなかった。
俺はここにいたいから。いくら拒絶されようと、この世界から弾きだされるわけにはいかないから。
「俺はこの幸せを、手放したくない」
「………」
「お前の隣に、いたいんだ」
そう言って、美しいそれを取り上げる。
意識が痛みに飛ぶ寸前、真っ青に美しく、光ったような気がした。
*end*
Tanzanite:灰簾石の変種。青や紫(誇り高き人、人生における重要な局面に光をもたらす)
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