100万打御礼企画 | ナノ
「また抜け出したぞ!追え!」
「王宮から出すな、逃がすんじゃないぞ…!」
バカみたいに広い王宮に、ガシャガシャと鎧の動く鳴り響く。あんなくそ重そうなもん着てるから機動性が落ちるんだよ、何人か軽装の警護兵つけときやがれ。ほら見ろ、そんなことを考えてる内に、奴等とは違い軽装で走っていたからとっくに宮殿を抜け出して目の前には立派な塀。都合よく塀の傍に登れる木があるのも把握済み。
あとちょっとだ、この塀さえ越えてしまえばなんとかなる。ここさえ突破できれば…!
(…あ、やべ)
イケる、そう思った瞬間にガクンと脱力する体。明滅する視界。機能不全に陥る肺―――心臓。
ブラックアウト。限界を越えるのは、いつだって唐突だ。
【Jedeite】
「…ん、あれ…?」
浮上した意識に逆らわずに目を開くと、最近見慣れてしまった天蓋が目に入る。実家のベッドもたいがい絢爛だったけれど、ここはその比ではない。さすがは王宮、とでも言うべきか。
「また失敗か…ようやくあそこまで辿り着けたのに」
新記録達成だとぼやき、しかしやっぱり帰ってきてしまった部屋に鼻を鳴らす。窓から差し込む朝日に目を細め、鳥のさえずりを聞きながら寝返りを打って隣を見ると、すぐそこに恐ろしいほどに整った顔。それを見ても驚くことはなくなっている自分にうんざりする。昨日となにも変わっていない状況にため息を吐いた。
色白で彫りの深い美形は、髪だけでなくまつ毛まで金色でなんとなく腹が立つ。おまけにこの目が開くと深い翠緑色なのだ。見てくれからして凡人ではない、まさに人の上に立つ人間、という感じが気に入らない。同族嫌悪?そんなことはないはずだ。
「…ん、起きたのか?もう少し寝ていろ」
「俺はどれくらい寝てた?」
「安心しろ、まだ一日しか経ってない」
俺の気配に開いた翡翠のような瞳が、俺を見てゆるりと細められる。俺よりも大きな手がそっと頬を撫でて、暖かくて微睡みそうな感覚にこいつの手は本当に質が悪いと実感する。
「やめろ、俺はあんたのペットじゃない」
「…ふ、似たようなものだろう?」
「ふざけんな」
「お前も懲りないな…脱走なんて、その身体で」
困った子だ、とでも言うように頭を撫でられ、せめてもの抵抗で寝返りを打って背中を向ける。背後でくつくつと笑っているのはわかっているが、倒れた後すぐの今はまだ動けないからどうしようもない。どうにかできるなら、すぐにでも逃げ出してやるものを。こいつもそれがわかっているからこれ以上なにもしてこようとはしないのが、唯一の救いか。
そんなことを考えていると、後ろからふわりと包まれた。背中に感じる逞しい胸板。ぎゅうっと抱き込まれ、後頭部に口づけられる。
「安心しろ、手放しなどしない」
「…逃げてやる、絶対」
「何度でも捕まえるさ、この手で」
そっと後ろから左胸に手が添えられる。掌がポウ、と光って、じんわりとその光が体の中に沁み込んでくるような感覚。こればかりはいつまで経っても慣れることはない。慣れてはいけないものだと思う。あたたかななにかが体に、心臓に浸透していって、少しずつ補強されていっているような感覚に、なんだかいつも泣きそうになる。ほんの少しだけ体を縮こめると、抱きしめてくる力が強くなった。
俺は元々、この世界の人間ではなかった。こんな魔法が普通に存在している世界とはかけ離れた世界から飛ばされてきた、異世界人。
元いた世界での俺はそこそこの地位を築いていたし、明るい将来も約束されていた。ある学園の生徒会長として順風満帆な生活を送っていた俺は、なんの悪戯か、ある日突然見たことも聞いたこともない世界へと飛ばされてしまったのだ。言葉も通じない、右も左もわからない土地。けれど、それでも俺は、どんな状況でも持ち前の学習能力とスペックでなんとか切り抜けられる自信はあった。現に最初の村にはなんとか馴染めていけていたし、言葉だってすぐに覚えた。魔法があると聞いて、これならすぐに元の世界に帰れるとも思えたのだ。
しかし、いくら俺でもどうにもならないことはあって。帰る方法を探しながら平穏に暮らすには、余計なものを持ってしまっていた。
それは、整いすぎた容姿、おまけにこちらの世界では存在しないという、漆黒の髪と瞳と―――…そして異世界で暮らすにはあまりにも虚弱な、身体。
『…はッ、ァ…ッ!』
ちょっと走れば切れる息、可笑しくなる動悸。向こうの医療設備の整った環境ならまだしも、こっちの薬草やら呪いやらでの医療に俺の身体が音を上げるのはすぐだった。おまけにあまりに特殊な容姿の噂はすぐに伝わり、その噂を聞きつけた下衆共は良い値になると村までやってきて。当然逃げたもののすぐに限界に達した俺を捕まえるのは、さぞ簡単だったことだろう。
しかし、あわや下衆共の愛玩具になる―――寸前で、俺を拾ったのは、この国の旗を掲げた集団。
『面白い…お前の命、私がもらおう』
わけもわからず新たな集団に捕まった。そのことしか把握できていない俺の前に現れた、神も斯くやという容姿と態度の男がこの国の王だと知ったのは、それからしばらくしてのこと。
それがわかったところで、結局行きつく先は同じだったのだけれど。なにも変わらない。あの下衆共に捕まっていたとしても、この男に捕まったとしても、結局は愛玩用、観賞用にされるだけで。昼間は着飾りまるで装飾品のように連れ回され、夜は夜伽の相手をさせられる。なにが違う。これほど自分の見てくれを恨んだことはない。美形の王様に引き取られようが、太った貴族に飼われようが、結局は、俺の人権などないも同じだ。
けれどただ一つ、一つだけ違ったのは、王族だけが持つ治癒の力。
『しばらくすればお前の身体も強くなる…だから、生きろ』
こんな生活が続くのならば、生きていく意味がない。だから、脱走した。
逃げ切れればこの生活は終わり、身体が限界を越えたら人生は終わる。どちらでも良かった。いや、結局逃げ切ったところできっとすぐに他の“主人”に捕まるのはわかっていたから、後者を望んでいたんだろう。
文字通り決死の覚悟で走り出し、案の定倒れた俺を―――王は、生かした。
それからだった。
その日から、俺はまるで宝物のように扱われるようになって。どんな心境の変化か知らないが、なににおいても無理強いはされなくなった。大切に大切に、見られたくないとでも言うように俺は隠され、夜も隣で寝るだけ。それだけの日々が、続いていく。
ペットだなんて、嘘だった。俺の勘違いでなければ、こいつは―――…
「…なんで治療するんだ。この心臓が治りさえすれば、俺は逃げ出すのに」
あたたかな光が消えていき、今日の治癒が終わることを告げていた。消えきったところで、疑問を口にする。
ちゅ、と首筋に口づけられて身じろぐと、声を出さずに笑う吐息が首にかかった。
「珍しいな、そんなことを聞くなんて」
「…ああ。だってもう、俺の治癒は終わるだろう」
自分の身体だ。ずっとずっと恨み続け、だけど共存してきた体質だ。気づかないわけがない。もうそろそろ、俺は完治する。
そう言えば、さらに覆いかぶさるように抱き込まれた。同じ男なのに違いすぎる体格の差は、悔しいことにそれを可能にする。
「…恐ろしかったんだ、初めてお前が倒れたのを見たとき」
「恐ろしい?」
「この世に恐ろしいものなどないと思っていた、あの時までは。なにも怖いことなどないと。しかしお前の存在が消えるかもしれないと思った瞬間―――震えが、止まらなかった」
その時の感覚を思い出したのか、震えを止めるかのようにぎゅっと手が握られる。それからすぐに肩を掴まれ、ぐるりと向きを変えられた。一体どんな表情をしているのかと思ったが、目の前に現れた翠色の瞳は、俺を映して嬉しそうに緩んでいて。
「だから、私はお前を癒すことにした」
「…そのおかげで逃げ出すとしても?」
「構わん。逃げ出そうと異世界へいこうと、生きてさえいれば私はどこまででもお前を捕まえに行く。生きてさえいればお前を手に入れる方法はいくらでもある、そうだろう?」
そう問われ、あまりの素直さに少々面食らう。気持ちの変化があったのには気づいていたし、愛玩用でもなく傍に置かれるのはなぜなのか、わかっていたつもりだった。あのあたたかな光は、確かに俺のことをいとしいと言っていたから。大切なのだと、守りたいのだと、光と共に流れ込む想いに気づかないわけがなかった。
けれど、そこまで執着されていたなんて。あれは涙が出そうなほど優しいものだったから。驚きつつも口角を上げる。
その先の、言葉が聞きたい。
「俺が逃げ出すのは、俺が俺でなくなるのが嫌だからだ。俺は俺だ。それを放棄されるのは我慢ならない」
「くく、気位の高い」
「当然だろ。俺は王族でもなんでもないが、自分という個に誇りを持ってる」
翡翠に映る俺の顔は、ひどく楽しそうで。おまけにその顔を映す翡翠はひどくいとおしそうで。ああ、こんなの、言葉にせずとも伝わってくる。
俺だって、こんな瞳で見つめられ続けたら、大切に抱きしめられ続けたら、いとしいという想いを送り続けられたら、惹かれないわけがないのだ。好きにならないわけがないのだ。
けれど、それでも俺は逃げ続けた。ここで俺が迎えにいってしまったら、きっとこの先ずっと対等にはなれないと思ったから。愛している、けれど、そんな関係を望んでいるわけではなかった。このままの関係性での未来など、破綻しか見えなかった。
だからここが限界だった。もうこれ以上は待てない。俺の治癒も終わる、ここがリミット。
「…俺は逃げるよ。お前から、この世界から」
「そうか、好きにすればいい」
愉快そうに緩む頬。ふわりと、顔を両手で包み込まれた。
「どこまでだって追いかけてやる―――…私がどれだけお前を愛しているか、思い知れ」
ああ、待っていた。その言葉を、お前を愛してもいいという言葉を待っていたんだ。
遅いんだよバカ、回りくどい奴め、思い上がんな、俺が捕まるわけねえだろ。言いたいことは山ほどあった。けれどそれもすべて、美しい翡翠の前に霧散する。
首に腕を絡め、近づける顔。やわらかく笑むその瞳には、泣きそうに笑う俺が映っていた。
*end*
Jedeite:翡翠輝石(閉じた心を開く、調和など)
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