Arcadia番外編 | ナノ





気紛れに寄った教室から帰ってくると、いつの間にか迷いこんでいた仔猫。
静かに寝息をたてるその姿に、知らず笑みが漏れていた。





【kiss1】





普段はなかなか出向くことのできない教室まで今日わざわざ行ったのは、本当に偶然で。情報収集に報告に雑用にと忙しい俺に、裕がたまには気分転換に顔だせと言うから行ったまでで、他意はなかったのだ。
しかし3Dの奴らは何を勘違いしたのか、お疲れ様ですお久しぶりです相変わらず格好いいです我らが頭!と目を輝かせて歓迎会をしてくれた。そう、それはもう盛大に。教室に入った途端次から次に襲いかかってくるクラスメート達を、ちぎっては投げを繰り返すこと約10分。全てが終わった時、教室内に立っていたのは息を切らした俺と愉快げに喉を震わせる裕だけだった。
確かに気分転換にもストレス発散にも十分なった。なりすぎるほどなった。正直ここまでストレスやら鬱憤やらを溜め込んでいたなんて、自分でも気づいていなかったのだ。だから行って良かったと心から思う。
確かにそう思うが、しかし。



(あー…約束してたの、今日だったっけ)



一つのことに集中すると他のことを考えられなくなる単細胞な俺は、すっかり忘れていたのだ。我が学園の会長様と待ち合わせていたのが今日だったなんて。
しかも今日のは確か、枚挙にいとまなく仕事をしているこいつに、たまには気分転換に来いと裕が俺に言ってくれたような言葉で俺から持ちかけたことだった。



(待ち惚けさせちゃったか…悪いことしたな)



しかし帰ってきたからといって、こんなに気持ち良さそうに寝ているところを起こす気にもなれない。きっとまた一人で抱え込んで、睡眠時間を削っているんだろう。僅かに憔悴した顔の拓巳が此所でなら安心して眠れるというのなら、いつまでだって寝かせてあげたい。
結局起こしはせずに隣に座る。いつもの癖でさらりと髪をすいてやれば、無意識にすりよってくるのが可愛くて笑みが漏れた。なんて無防備な顔。ここまで晒してくれるのは信頼されている証拠だとはわかっているが、そもそも拓巳が寝始めたときに俺はいなかったわけで。



「警戒心無さすぎな拓ちゃんのせいで俺忙しいんですけど」



しかしそれが嬉しいのも事実。
なんでも出来て、一人で耐えてしまう楢原の次期当主。もっと頼ってほしい、迷惑をかけてほしいと思うのは、俺の我が儘だとはわかっているけれど。

大切な大切な可愛い従弟。たった数ヵ月しか変わらないけれど、それでも俺にとっては可愛い弟分で。辛くて寂しい思いなど、出来るならばしてほしくない。
そう、だからこそ願う。
俺と裕ではない、居場所となる大切な誰かに、早く拓巳が出逢えることを―――…





俺が運命の片割れに出逢ったように、拓巳にも見つけてほしい。かけがえのない、大切な人を。
きっとその時は寂しく思うだろうけど、でも拓巳には幸せになってほしいから。



「ま、簡単には渡さないけどな」



愛しいこの子が旅立つときが来たならば、きっと快く送り出そう。でもそれまでは、この子の居場所は俺でありたい。そう易々と渡してやるつもりはないから。
もう少し。もう少しだけは、拓巳から頼られるという特権は俺たちだけのものにしておこう。それくらいの我が儘なら、きっと許される。



「好きだよ、拓ちゃん」



愛しい子。
きっと幸せにしてみせる。
何があったって、俺はお前の味方だから。



風に揺れる濡れ羽色の髪。
静かに寝息をたてる彼のその髪に、そっと口を近づけた。





*end*
髪:思慕



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