Arcadia | ナノ
ザーと水を流す音。
祐が手を洗う音。
洗面所の扉は音を遮断してくれるわけでなく、自分でどうにかできるわけでなく。聞きたくない音をBGMに、のろのろと乱れた制服を着直していく。ネクタイをしようとして―――先まで声を噛み殺すためにくわえていたネクタイが、俺のではなく祐のなのだと初めて気づいた。
「着替え済んだか?」
「祐、悪い、それ…」
「ん?構わねぇよ、お前と違って俺がタイつけてないのなんて気にされないだろ」
戻ってきた幼馴染みが持っていたのはまさにそのネクタイで。手と共に洗っていたらしいそれを実際見てしまうと、様々な感情が沸き上がってきて不用意な言葉を吐き出してしまいそうだ。
感情がコントロールできていない自分に思わずチッと舌打ちをして裕から目を反らす。すると、苦笑と共にぎしりとベッドが揺れた。
「どうした?」
「…なんでもない、こっちの話だ」
どうして、と思わないわけじゃない。
だけどわかってたはずだ。この学園において、一番ポピュラーな制裁方法が性的なものであること。そうわかっていながら、自分に限っては関係ないことなのだと、無縁な話なのだと、どこかでそう思っていた。その自分の認識の甘さに気づいて、酷く掻き乱される。
(いらねぇ自信にペース乱されてちゃ、ざまぁねぇな)
それさえなければこんなことにもならなかったんじゃないか?もっと上手く立ち回って、薬なんざ飲むはめにならなかったんじゃないのか?
加害者を捕獲し罰則を与えるだけでなく、祐にこんなことをさせてしまうなんて。祐に、そして隼人に、会わす顔がないと思うような状況を作ってしまった。
そう思うべきではないことも、わかってはいるけれど。
「おい拓」
「ん?」
「この事について、俺や隼人に悪いだなんて思うのは許さねぇよ」
「あぁ、」
「これが俺達の役目なんだから」
「…わかってる、ありがとな」
わかっていても、そう簡単には割りきれない。
微かに笑って応え、ベッドから降りるために足を床へ降ろす。すると、はーっというため息と共に、祐が目の前でゆるりと跪いた。
「っおい、」
「お気になさらぬよう、拓巳様」
「っ、」
「貴方の手となり足となることが私の務めであり誇り。貴方のためとなるならば、いかなることでも致しましょう。
―――すべては拓巳様、貴方のために」
こちらを真摯に見つめる、色素の薄い瞳。
ベッドへと付いていた手をとられ、甲へとキスが落とされる。
―――それは、忠誠を誓う口付け。
「っかったから、もうやめろ!」
「わかって頂けたなら結構。ご要望とあらば下のお世話もいくらでも致しますよ」
切れ長の目を細め、口元をつり上げながら見上げてくる顔は、怖いほどに色気と威圧感を放ってくる。これだから美形は怖いと言われるのだ。
祐は俺に、自分の立場を、現状を思い出せと、そう言っているのだ。
普段はそんなんじゃないくせに、こんなときだけ“ご主人様ごっこ”で俺を強引に引き戻す。立場と壁を、無理矢理に自覚させられる。
「それじゃ、そろそろ出ますかね、ご主人様?」
「だからそれやめろって言ってんだろ…」
些末の事は気にするな。余計なことを気に病むな。
決してそんな下らない事ではないと思う。だけどこれから俺は、生徒会長として対応しなければならないのだ。とりあえず今は、この件を片付けなければならない。
自分の不甲斐なさに落ち込むよりも先に、身内への思いで悩むよりも先に、俺にはやるべきことがある。
そう自分を叱咤しながら、どこか満足気に笑む祐と共に、俺は仮眠室を出たのだった。
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