Arcadia | ナノ
「質問を変えようか」
「……」
「そんなにお前は、俺のことが嫌いなのか?」
すっと冷える部屋の空気。
人形のように無機質で冷めきった美貌に、今まではまだ表情に感情が乗っていたのだと理解する。
ぎこちなく、ゆるりとその唇が弧を描いていった。
「…嫌い、ね。随分と浅い言葉を使ってくれるじゃないか」
「……」
「拓巳のことは嫌いなんかじゃないよ。ただ俺は―――お前という存在が、疎ましいだけさ」
そうはっきりと言い切った宏紀の顔には、しかし嫌悪や怒りといった感情よりも―――どこか自嘲的な色がのる。
「拓巳が転入してきてからの二年間は、本当に楽しかったよ。今までよりずっとずっと楽だった。肩の力を抜ける親友ができたと思ってた。
だけど、気付いちゃったんだよね―――…」
「宏紀…?」
「俺が楽だったのはさ…拓巳、お前が俺の前を歩いていたからなんだ」
ふわり、余りにも儚げに笑う。
俺はいつだってこいつのこういう顔に弱かった。
「拓巳の隣にいれば、みんなの目は全部拓巳に注がれる。逆に俺への関心は薄れていって、終いにはお前と二人じゃないと俺一人なんかじゃ見てももらえなかった。知ってたか?最近は他の生徒達の俺への認識で一番輝かしい称号は“瀬戸様の親友”なんだよ」
「んなわけ、」
「ないって言える?“副会長の一条様―――会長を補佐するなんてすごい方だね”」
少しおどけたように肩を竦める。別に気にしてなかったけど、と笑おうとして失敗したような固い笑顔が痛々しくて、思わず目を反らしてしまう。
「気にしてなかったっていうのは本当だよ。もちろん最初は俺の方が絶対上だと思っていたけど、ずっと隣にいて気づかないわけがない。君が圧倒的な存在だということを―――いや、自分が凡人なのだということを」
「……」
「だからあっという間に中学までの俺の地位に、いやそれ以上の所まで駆け上がる下位層であるはずだった君を、妨害してやろうとかどうにかしなきゃとかは思わなかった。仕方ないと思ったから。だってそうだろう?君には勝てない、そう諦めてたよ」
知らなかった。宏紀がこんなことを考えていたなんて。転入してきてから、ずっと隣にいてくれた。日本に不慣れで、そして日本のなかでも特殊なこの学校にも当然なかなか慣れなかった俺を、ずっと助けてくれていた。
それなのにもしも、無意識のうちに宏紀が努力することをやめさせてしまっていたとしたら―――…
「それに……正直、拓巳の隣にいるのは楽だったんだ。みんなの注目が自分から君に移ったことを嬉しく思う自分がいた。もう、勝手に期待されて、勝手に失望されるのは嫌だったんだ―――俺は、凡人だから」
俯いていた秀麗な美貌がゆらりと起き上がる。その瞳に一瞬涙が光ったように見えたのは、目の錯覚だったのかもしれない。
「だけど、それじゃダメなんだ。お前という存在の前に霞む俺は、俺にとって居心地の良いものだけど、でも“一条宏紀”には許されない自分でしかなかった。一条家の跡取りが、何を背負っているわけでもないお前の下?そんなこと有り得ない、有ってはならない。俺は…たとえ凡人であったとしても、特別なふりをしなきゃならないんだ!特別でなきゃならないんだ!特別な家に生まれてしまったんだから!」
「……」
「わかってるさ、俺がお前に勝ってるものなんて家柄くらいだってこと。だけど、上への執着は俺の方が絶対に強い!
人気も、羨望も、会長職も、あらゆるトップの座も、なにがなんでもと望んだものじゃなかったんだろう!?嫌々、めんどくさいと思ってやってるんだろう!?だったらどうして!!どうしてっ…!なにもかもを俺から奪わないでいってくれ!」
これは―――俺が、“楢原”なのだと明かせば済む話なのかもしれない。
こいつの馬鹿みたいに高いプライドも、雁字搦めに捕らわれている家への思いも、なんもかんもひっくるめて収拾がつくだろう。
だけどきっと、それではダメなのだ。このままだと、こいつはまた同じことを繰り返す。それじゃあダメだ。俺たちはまだ高校生で。今だったらまだ、失敗もやり直しもいくらでもできるのだから。変わることは、いくらでもできるのだから。
―――こいつのため、なんて俺のエゴかな。
でも、いいじゃないか。友のためを想うのなら。 こいつは大切な仲間なんだ。仲間の将来を憂うのは、当然だろう?
「…俺は今だってお前のことを親友だと思ってる」
「俺だって…俺だってお前のことは嫌いじゃない。好きだよ。でも一条家の嫡男としての俺にとっては、お前の存在がどうしようもなく憎い。…消えてほしいと思うほどにな」
悲しいな。
その考え方が変わらない限り、確かにお前と俺が相容れることはないだろう。
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