Arcadia | ナノ
俺、瀬戸拓巳に父親はいない。
ハリウッド女優である母親が女優業と子育てを両立し、シングルマザーとしてここまで育ててきてくれた。
―――ということになっている、表向きは。
海外にも名を轟かす、 日本屈指の由緒正しき名家―――楢原(ナラハラ)家。俺は、その楢原の現当主である男の嫡男として、この世に生を受けていた。
ただし、俺が今まで楢原の姓を名乗ったことは一度もない。生まれてこの方、母方の姓である瀬戸を名乗ってきた。
それが、習わしだったから。
遠い昔、俺の先祖は困っていた。
楢原の嫡子となると、いくら護衛をつけても足りないほどに色々な方面から狙われる。碌でもない輩が近づこうとすり寄ってくる。幼い子供にそれを見抜き、自衛できる頭脳と力は未だなかった。
だから決めたのだ、せめて自分の身を守れるようになるまでは――現在では高校卒業までと決められている――楢原の名を隠そうと。それは、子供の身を護りたいという先祖の願いと、少しでも普通の子供として生きてほしいという先祖の優しさから生まれた習わしだった。
――――最後の一年だ。
ここを卒業すれば、俺は楢原拓巳になる。
瀬戸拓巳として生きる最後の一年。
ならば俺は、楢原ではない普通の瀬戸を認めてくれたこの学園を、瀬戸拓巳として一年間支えたいと思う。
最初は、ずっと母についてアメリカで暮らしていた俺を呼び戻し、家柄を重視するこの学園に後ろ盾なしで放り出した父に、自分の実力を認めさせたかっただけだった。あの人だって、俺を試したくて編入させたのだろうから。楢原の名がなくとも、この学園で生きることが出来るのか、を。
だがこの2年間、この学園で過ごし、生徒たちと接していくうちに、段々と違う気持ちが芽生えてきた。この学園の生徒も馬鹿じゃない。彼らだって持っているのだ、偏見なしに人を見る目を。
初めは嘲笑を向けてきた彼らが、俺を認め、信じてくれたときのあの喜び。それまで漠然としか次期当主としての覚悟を理解していなかった俺に、彼らは人の上に立つことの難しさと誇りを教えてくれた。
だから俺は、彼らに少しでも還元したい。
それになによりあの、学園1プライドが高いはずなのに俺が上に立つことを認めてくれたあのバカ共。
大切な仲間なのだ。
欠けがえのない友人なのだ。
彼らがぽっと出の俺を認め、信じてくれたように、俺だって彼らを信じてる。だからきっと、俺は彼らをリコールしようとは思わない。
我が儘だと言うなら言えば良いさ。最初の動機が不純であろうと、今のこの気持ちは真実なのだから。絶対にこの事態を収拾してやる。この学園の平穏を取り戻してやる。
俺がやらなくて誰がやる?
俺が―――生徒会長なんだ。
***
ダンダンダンダンッ!
「おい瀬戸ォ!開けやがれぇ!!」
「…ぅ、ん……」
何やら騒がしい。なんだ、なにが起こった?
仕方なくのそのそと起き上がり、そのままうーんと体を伸ばす。うぇ、体中バキバキだこりゃ。机で寝てたみたいだからなぁ、昨日仕事中に寝ちまったのか…。
ん、んん……?
「言い度胸じゃねぇか、籠城しようってか?無駄なのは承知の上だよなァ?」
は?峰岸?
ちょっと待て、今何時だ?
俺は昨日ここに帰ってきて、そんで仕事して、あいつが8時に来るって言ってたから6時くらいに切り上げて書類を印刷室に隠すつもりで………ってうぉぉい!今もう8時過ぎてんじゃねぇか!!寝るなんて予定なかっただろうが!
「なんでだ、なんでなんだ!どうして俺は寝ちまったんだ…!」
「お?やっぱいるじゃねぇか。じゃあ遠慮なく開けるぜェ?」
おいちょっと待て馬鹿か俺は!俺とあいつのカードキーはマスターキーでもあるんだった…!あぁもう最近弛み過ぎだろう俺!書類提出も隠蔽も、思い立ってすぐやりゃこんな事にはならなかったのに!
「ちょっと待て峰岸!入ってくんなてめぇ俺が開けっから!」
「はいもう時間切れぇー」
まだ締め切りは先のものばかりとは言え、各机に積まれる書類の山。変わり果てた、悲惨すぎるこの状態。絶望的だ、もうどう足掻こうとどうにもなんねぇ。だがしかし、無情にもピーッとカードキーを認証する音がする。
あぁ――――仕方ねぇ、腹くくるか。
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