Arcadia | ナノ
目元を真っ赤にしながらもけらけらと吹っ切れたように笑う菱川に安堵して眉を下げながら、俺はさてと、と立ち上がった。どうしたのかと眉を上げる菱川には、ニヤリと口角を上げるだけでなにも言わない。そうしてそっと足音を忍ばせて扉へと向かうと、訝しげに声を掛けてきそうな菱川に向かってシッと指を唇に当て、ガラリと勢いよく扉を開けた。
「うわあ!?」
「えっ瑠佳!」
「よう。盗み聞きはよくねえなあ、菱川弟」
つんのめって中に入ってきたのは、他でもない菱川弟で。扉にぴたりと貼りついて俺たちの会話を聞いていたのだろう、勢いを消せずに医務室の中央へと躍り出る。なんて言っていいのかわからずに焦って周りを見回すしかできないらしい。その姿を見ながら俺はふっと息を漏らし、扉の外へと歩みを進めた。
「あ、あの、僕、その…っ」
「兄貴を見舞に来たんだろ?ゆっくりしてってやれ。募る話もあるだろうしな」
きっと今は、二人だけで話し合うことがなによりも必要だから。ひとまず部外者はいなくなるべきだろう。今この弟の本音を聞き出すことはできるのは、共に悩むことができるのは、きっと世界で唯一、兄貴だけだから。
僅かに目を細めて踵を返し、ひらりと後ろ手に手を振る。さて次に会うべきは隼人たちか、それとも風紀に向かうべきか。そう悩みながら医務室から出た俺は、後ろから掛けられた声に足を止めた。
「あっ、会長先輩…!」
「ん?」
「あの、ありがとう!色々…ほんとに色々、感謝してもしきれない!」
ベッドの上から泣きそうな顔でこちらに向かって叫ぶ菱川に頬が緩んだ。
さっきやっと泣き止んだくせにまたすぐにそんな顔して、案外泣き虫だよな、お前も。
「俺こそ、お前が頼ってくれて嬉しかったよ。お前たちの世界の中に俺もいたんだなって」
「なに、言ってるの…当たり前でしょ」
「いやほんとにさ。お前も俺のこと仲間だと思ってくれてんだなって、一方通行じゃないんだって思えて、すげえ嬉しかった」
「…あなたを世界から追い出すなんて、誰もできないよ」
そう言って眉を下げる菱川に俺も口角を上げて応えてやる。呆れたように、しかしどこか暖かく言われたそれは、褒め言葉として受け取っておこう。
ついと視線を動かして、さっきまで俺が座っていた椅子に座った菱川弟に目を向ける。すると兄の前にも関わらず所在なさげにそわそわしていた菱川弟が、ふと泣きそうな顔をした。おいまたか、またこの泣き顔か。今日はみんな泣きすぎじゃなかろうか。まあ、俺もその一人だからあまり人のことは言えないけれど。
「か、会長先輩、その…」
「ん?」
「………っ」
呼びかけたきり言葉を失い、宙を泳ぐ瞳。考えがまとまってないのだろう。うろうろとなにか探しては見つからず、その口から言葉はでてこない。
そうして数秒。今言葉がでてこないんなら、またいつでも聞いてやるよ。そう踵を返そうとしたとき。
「僕はっ!僕には瑠依がすべてで…っそれが、その考えが悪いとは思ってなくて…っ」
「る、瑠佳!」
泣きそうな瞳が、それでもはっきりとした意思をもって俺を見る。ともすれば睨みつけられているのかと思うほど、強く向けられる眼差し。
「でも、やり方が悪かったって、やりすぎたって…僕は、間違ったんだって……終わってからこんなこと言っても仕方ないんだけど…っ」
「………」
「だから会長先輩、ごめんなさい!本当に、ごめんなさい…!」
まとまりのない、思いがただ吐き出された言葉。深く下げられる頭。ひゅっと菱川兄が息をのむ音が聞こえた。
ああ、最近、謝られてばかりだな。稲嶺にも、篠崎にも、菱川にも。今日までに起こった様々なことを考えながら一呼吸置く。そうしてゆっくりと、口を開いた。
「―――それは、お前の兄貴と篠崎に言ってやれ」
「…っ!」
「ああ、あとあの黒服のおっさんにもな」
あのおっさんは誰よりも、きっと菱川兄よりもお前のことを優先していたから。初対面の何も知らない相手にあんなに負の感情を向けられるのは初めてだったし、それはもちろん気持ちのいいものではなかったけれど。だけどそれは、それだけ菱川のことを想って信じている証拠なのだとも思う。そこまで他人に心酔し、手放しに信じるなんて、簡単にできることではない。
そう思うのは羨ましいからかもしれない。人から信じてもらえるというのは、俺にはとても眩しく思えることだから。
「じゃ、また少ししたら来るから。しばらく風紀とかは適当に足止めしといてやるよ」
「あ、ありがとう…その、えっと」
「?」
「た、た、拓巳先輩…っ」
「え」
ニヤリと口角を上げた俺に返された菱川兄からの言葉。予想外の呼び方に目を瞠ると、ぱっと赤くなった顔を半分ほど布団の中に隠してしまった。そこから上目使いにこちらを見上げる菱川兄は、元々の美人顔にさらにかわいさが加わって犯罪級だ。
なんて、茶化さなければ笑っていられないほど。
「だ、ダメ…?」
「………」
「あ、ごめん、嫌ならやっぱり…っ」
「…いや、嬉しくて」
「へ?」
「―――ありがとうな、瑠依」
それほどに心を許してくれたのかと。それほどに俺をお前の世界に入れてくれたのかと。そう思うと、泣きたくなるほど嬉しいのは嘘じゃない。ただ、今日はもうみんな、嫌というほど泣いているから。特に菱川兄には、瑠依には、散々泣き顔やら泣き言やら情けないところを見られてしまっている。
だからもう、今日はお前の前では泣いてなんかやらない。そう誤魔化すように、目を細めて笑った。
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