※冷たい声の続き
※病気の描写がありますのでご注意下さい





















 久藤くんが好きだった。
 それは先生と生徒という枠組みを大きく逸脱した想いであることを自覚していたし、だからこそ、その想いを伝えようなどとは一切思わなかった。


 自分は若い頃からやんちゃばかりしていて、多くの人と関係を持ってきた。恋愛などはした記憶がない。ただ肉体的な関係ばかりで、全てがどこかしら冷めていた。
 初体験の相手は糸色家と交流のあった妙齢の夫婦であったし、その時の自分はまだ小学校を卒業する少し前だった気がする。快楽に流されやすかった私は、直ぐにそういった行為に関心を示すようになり、後はもう、男女のべつまくなし。楽しければ良い。そこには感情は関係なかった。

 そんなふうに堕落した性生活を送っていれば、いつかはあり得る話だった。ただ、自分には関係ないと思い込んでいただけで、関係ない訳がなかった。
 全ては、罰なのだ。私のような人間が恋をするなんて、許されないのだ。

 久藤くんが好きだった。話をするだけで楽しかった。私の本を誉めてくれて、読書の趣味も近くて、話がよく合った。最初はそれだけだった。一人になりたくて逃げた昼休みの屋上で、彼と話をするようになった。彼は高校生にしては大人びていて、しかし擦れた様子もなく、私にはとても眩しく映った。

 久藤くんが好きだった。話をするだけで良かった。それ以上を望むのは、私にはあり得ないことだった。
 だから、久藤くんの告白はとても嬉しいことだった。だけど、彼のことを考えれば、それを受け止めることなどできなかった。

 彼には、未来がある。彼の感情はきっと若気の至りで、一時的なものにすぎない。自分のようなものに付き合って、その未来を台無しにしてはいけない。
 自分には、未来など無いに等しいのだ。まだ、ウイルスに感染しただけであるが、いつかは発症する。日常生活の中では感染する恐れがないのは知っているけれど、人との接触を恐れている自分がいた。



 久藤くんに自分のことを話し、一方的にその場を後にした次の日、彼は学校を休んだ。その時に感じたのは紛れもない安堵。何しろ自分のことを話したのは、自分の家族と、職場では智恵先生だけだったからだ。
 滅多に学校を休む子ではないと知っていたからこそ、今度は自分が避けられている番だと気付く。でも寧ろその方が良かった。自分でも、どう反応すればよいかわからなかったから。




 その日の授業も終わり、委員会活動も終え、学校を後にする。
 駅付近に来て、改札口に見たことのある姿があることに気付く。まさかと思ったけれど、やはりそれは今日学校を休んだ彼の姿だった。

「こんばんは、先生」
「……貴方は、いったい何を」
「先生と話をしたかったんです……いろいろと調べたいこともあったので、学校は休んでしまいました」
「……私は貴方と話すことなどありません」
「僕はあります」

 じっと此方を見る真っ直ぐな目。折れることなど到底なさそうなその態度に息をつき、場所を変えましょうと提案する。それに同意したようで、彼はこくりと小さく頷いた。





「私に関わらないほうが良いと言ったでしょう」

 駅裏の公園は、時間帯が時間帯だけあって人の姿もなく、自分の声がやけに響くように感じられた。
 冬場の冷たい空気が頬を切るようだった。自分の声は空気のように冷たい。

「先生、僕は先生のことが好きです」
「っ……私は、そんな」
「人を愛する資格がない、ですか?」

 久藤くんの言葉が痛い。そうだ、自分にはそんな資格は無いんだ。だから、彼を想う気持ちも何もかも無かったことにしたかった。

「どうしてそんなふうに思うんですか」
「どうしてって…っ」
「先生は僕のことを好きだと言ってくれました。それだけで僕は嬉しかった。人を愛することに資格なんて存在しません」

 普段は穏やかな彼の表情は、今はとても硬いものだった。初めて見る表情。余裕なんて欠片も見当たらない。それは私も同じだった。

「だって…っ…私は、HIVに感染していて、」
「だから何だって言うんですか……HIV感染者は恋をしたらいけないんですかっ」
「…貴方の未来を台無しにしてしまうのは嫌なんですっ!私は…久藤くんがすきです…だから、貴方には幸せになってほしい」

 いつの間にか頬を流れ落ちる涙を止める術を私は知らなかった。固く握り締めた手のひらは冷たくて、感覚が麻痺しているんじゃないかとも思った。

「どうして僕の幸せを、未来を、先生が台無しにするなんて思うんですか」
「……」
「言わないとわかりません、僕は、貴方の心が読める訳でもない…だから、先生の口から聞きたいんです」

 久藤くんの声が怒気を孕んでいるのは手に取るようにわかった。痛くて痛くて仕方がない、どうして、こんなに苦しいのだろう。

「……怖いんです」
「先生」
「貴方まで感染してしまうのが怖くて仕方がないんですっ…!」

 彼の方を見ることすら怖くて、恐ろしくて、ぎゅっと瞳を閉じた。

「先生は、怖いんですか」
「当たり前でしょうっ…そんな想いをするくらいなら、もう関わらないほうが良いんですっ…っ!」

 その瞬間、自らをぎゅっと抱きしめる温かな存在に気付く。瞳を開けば、すぐそこに私よりも少し背の低い彼の頭が映った。

「はな、離してくださ」
「先生、これくらいじゃ感染しません…手を繋いでも、触れ合っても、感染しないんです」
「知ってます…っ…でも、」

 それ以上は口にできなかった。唇に触れるのは、温かな彼の指で、そして彼の唇だった。



「貴方が怖いと言うのなら、僕はこうして貴方を抱き締めます」
「久藤、くん」
「何回抱き締めても……二万回キスしたって、感染することはないんですよ」
「…くどうくんっ」
「二万回なんて言わない…貴方が怖くなくなるまで、何回だってキスします」



 だから、僕と恋愛をしてください。



 温かい彼の手が私に触れる。もう、自分の冷たさなど忘れてしまっていた。






温かい手




end

―…―…―

本当は12月1日の世界エイズデーにアップしたかった
別にHIV感染者の方や、エイズ患者の方に対する偏見・差別、またそれらを貶めるつもりで書いた作品ではないことをご理解ください。


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