※望と可符香。暗い。




 沈黙。それに耐えかねて先に口を開いたのは望の方だった。望は酷い頭痛を感じていた。しっとりと濡れてしまった前髪からしたたる水滴を拭うこともせず、望は取られていた眼鏡を少女の手から奪い返し、ゆっくりとかけなおす。


 あなたは何をしたいのですか。


 望の問いかけはたったそれだけのものだった。目の前の少女は、ただの一言も喋らずに先程から全く変わることない笑みを貼り付けている。雨に濡れてぴったりと素肌に貼り付いたセーラー服は透けてしまっていて、下着の線だけでなく柄までもはっきりと見えていたのだが、それが不思議と性的な物には見えず、寧ろ神々しいほどの印象を与えていた。雨に濡れる少女の姿は自然そのもので、その微笑は、矛盾しているが、薄っぺらさと同時に聖母のような慈愛さえ感じさせる。不思議だ、と望は思った。こんな雨の日の屋上で衣服が濡れることもいとわずにくるくると踊っていた少女も、それを止めにきたにも関わらず、屋内に戻ろうという意思さえない自分も。そうしてふと望は考える。この少女は人間ではないのではないか、と。常識的に考えればあまりにも飛躍し過ぎた仮定であり、冷静に考えればすぐに否定出来ただろうその考えも、望には疑おうとも思わせなかった。なにしろ、望は酷い頭痛に目眩を感じていたのだ。判断力が鈍っていない訳がなかった。それに、望の仮定をよしとするならば全てに納得がいったのであった。少なくとも、望にとっては。少女の行動も、薄っぺらく貼り付けられた笑みも、望の着物の裾を引っ張り、そのうえで抱きしめる仕草も、正面に向かいあい、眼鏡を取り上げる悪戯っぽい手付きも、頬に触れる慈愛に満ちた指先も、性的な物を一切感じさせぬ神々しさも、その冷たさも。少女の体は雨でぐっしょりと濡れていて、死人のように冷たい。本当に、人間ではないかのように。望は酷い頭痛を感じた。ざあざあと降り続ける雨の中、少女は取り上げた望の眼鏡をかけると、少し離れてくるりと一度ターンをした。なんてことのない、ただそれだけの光景が余りにも幻想的に映り、望は、何故自分が今この場にいるのかわからなくなってしまう。


 あなたはいったい何者なんですか。本当に人間なのですか。


 望がどうしてそんなことを口にしたのかは定かではない。ただ、望がそう口に出した瞬間、少女の笑みがこの世の物とは思えぬほどに美しく、そして恐ろしい物に見えたことだけは確かだった。それは望にとって初めて見る類いの表情であり、望を戦慄させるには十分だった。酷い頭痛だ、と望は思う。その時、微かに少女の声が望の耳に届いた。雨足が強くて、はっきりと聞こえない。少女の口がぱくぱくと動いているようにも見えたが、いかんせん眼鏡を取り上げられた望にはその形までは見えず、動いていることを認識するのでやっとといったところだった。頭が痛い、と望は感じた。視界がぼやけている、とも感じていた。眼鏡がないからという理由だけではなかった。酷い頭痛がする。ぐらりと足元が不確定になった。どさりと倒れ込む体を少女がゆっくりと母のように支える。笑っている。


 いやだなぁせんせい、そんなわけないじゃないですか。


 少女の口がそう動いたのを、望は霞む視界の端に見た。薄れゆく意識の中で、少女は何を否定していたのかと直前の自らの言葉を反芻して確認しようとしたが、そうする間もなく、望は意識を手放した。




ライクアヒューマン







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