※気付かないままではいられずに続き
※静雄視点








「ようやく来たのね」

 臨也のマンションの前で、無理に押し入るかどうか考えていると一人の女に声をかけられた。時間指定していたのにも関わらず来るのが遅い宅配業者に対して投げ掛けるような苛立ちを含む声音のそれは、はっきりと俺に向けられていて。

「何があったか知らないけれど、“アレ”どうにかしてくれないかしら」

 ――女の言う“アレ”が臨也のことだとわかったのは、女の雰囲気が臨也の纏うそれと何処と無く似ていたからだ。そういえば、助手を一人雇うようになったのだといつだったか言っていた気がする。

「仕事が進まなくて迷惑しているのよ。早く何とかして頂戴」
「……無理に押し入ったらアイツが、」
「無理に押し入らなければいいんでしょう」

 女は呆れたようにそう漏らすと、面倒臭さを隠そうともせずに携帯を取り出し、何処かに電話し始めた。「……、……、電話しろって言ったのは貴方でしょ」パタン、と携帯を閉じると、女は再びこちらを見る。

「これで部屋に簡単に入れるはずよ」
「……あんたは、」

 携帯をしまい、既に帰る気でいる女に声をかける。女は不機嫌そうに眉を寄せた。

「あんたは、どうしてそこまでしてくれるんだ」

 やっぱり多少は雇い主が心配なのだろうかと思って問いかけた俺の言葉に女は一瞬面食らったような表情を浮かべたが、小さく溜め息を吐き、直ぐに口を開いた。

「勘違いしないで。別にアレが心配な訳じゃないわ。アレがあんな状態だと仕事に影響が出るの。仕事が長引いて、誠二のことを考える時間が減るのが嫌なだけよ」








* * *








 部屋に入った時、臨也は俺を見て顔をひきつらせた。だがそれもほんの一瞬で、すぐに表情が消える。

「なんで、来たの」

 その声は酷く冷たかった。ベッドから上半身を起こしこちらを見るその表情を伺うと、薄く笑みを浮かべている。……それが、酷く痛々しい。

「顔も見たくないって言ったのはそっちだよねぇ」

 何で来たの、と俺を批難する臨也に、何と理由を告げたものかと躊躇った。正直に言うべきだろうか。

「帰れよ」

 考えあぐねる俺に投げ掛ける声音には、むしろ懇願が強く混じっていた。顔を見たくない、いや、見られたくない、と。そう全身で訴えてきている。ぎり、と拳を握りしめた。俺は、こいつを、臨也のことをこんなにも。

「頼むからさ、帰ってくれないかな。俺はもう君の前には現れないって約束するし」
「……だ、」
「え、?」
「嫌だ、って言ったんだよ」

 臨也の動きが止まる。こちらを見つめる瞳が揺らいだ。

「は、はは……、なに、それ」
「臨也、」
「馬鹿じゃないの? 顔も見たくないって、そっちが言ったんだろう? なのに今度は帰らないとか、身勝手すぎるよね?」

 一気に捲し立てるような臨也は、明らかに動揺していた。口元こそ緩く笑みの形を作っているが、視線は直ぐに移り、こちらを見ようとしない。声が、震えている。

「……俺が、悪かった」
「は? 何を謝ってんの、意味わかんないんだけど。男好きの淫乱がどこで何をしたって、シズちゃんには関係ないじゃん」
「手前を、傷付けた」
「は、俺は傷付いてなんか」
「……写真を、見た」

 その言葉に、臨也の体が大きくびくりと跳ねた。写真。たったそれだけで、俺が何を言いたいのか理解したらしい。

「あは、そういうプレイだって……何か問題でも」
「泣いて嫌がったって、そいつが、」
「っ……! 、べ、つに……犬に噛まれたみたいなものだよ」
「っじゃあ、何で、」

 言葉に詰まるのは、俺の方だった。この目の前の男が、何よりも他人の同情を嫌うことなんてわかっていたし、俺も同情するつもりなんてなかった。ただ、臨也が、



「じゃあ、なんで手前は、……そんなに、泣きそうになってんだよ」



 冷えた空気。薄く笑う臨也のその表情が無理矢理作ったものだなんてとっくに気付いていた。俺は、こいつを、こんなにも追い詰めていたのだ。


「っ……、だ、いやだ、帰れ……帰れよっ!!」
「臨也、」
「何なんだよっ……! ふざけんな、なんで……っ、何でこんな、俺ばっかり……っ!」

 ぼふ、と俺めがけて投げられた枕を避けずに受け止める。力なんてほとんど入っていなかった。なのに、今までにこいつに向けられたナイフの刃よりも、こんなにも痛い。

「……悪かった」
「謝らないでよ……、やだ、やめろ……た、だの、自業自得なんだ、から、……嘘つきには、お似合いの、」
「嘘、って……」

 臨也の言葉に引っ掛かるものを感じてつい声を漏らすと、臨也のその赤い瞳が潤み、こちらをキッと睨み付けた。

「……、ぜんぶ、だよっ……男好きの淫乱? 慣れてる? 経験ある? ……ぜんぶ、ぜんぶ嘘だっ、……ばか……っ!!」

 途中から、ひく、ひくと嗚咽混じりにしゃくりあげる臨也の言葉に、頭を強く殴られたような気がした。ぐらぐらする。嘘だろ、なんだよそれ、おい。

「男となんて、……シズちゃんが、初めてだった、し……、ふ、っ……あ、あの男に触られたのだって、嫌だった、……!!」

 ぎゅう、と毛布を握り締める臨也の手は力の入れすぎで白くなっている。がたがたとその体が小刻みに震えているのが痛いくらいによくわかった。

「臨也、」
「こわ、こわかったんだ……っ!! 他の男に触られて、気持ち悪くて、なのに、か、感じちゃって、吐き気がして、……、イッちゃっ……!!」
「臨也、……!」
「いやだって、言ったのに……! シズちゃんもぜんぜんきいてくれなくて、こわくて、……こわくて、勘違いされたままなのもいやで、辛くて、苦しくて、いやだった……!!」

 ぎり、と奥歯を噛み締める。自分の愚かさに嫌悪感しか沸かなかった。馬鹿だ、俺は、クソ、ふざけんな、うぜえ、うぜえうぜえ、なんなんだ、馬鹿じゃねえか、俺は、

「……俺は、」

 何とかして声を出す。自分でも、情けないくらいに声が震えているのがわかった。



「俺は、どうしたら、いい」



 どうやって、償えば。

 馬鹿な質問をしているという自覚はあった。間抜けだ、馬鹿だ、愚か者だ。謝って、何かして、許して貰えるとは思っていない。それでも、聞かずにはいられなかった。


「……、ばか、シズちゃんの、ばかぁ……っ!」


 先程から、臨也の涙は止まらない。声をかけようと口を開きかけたとき、臨也は自らのシャツの袖で目元を拭い、真っ直ぐに此方を向いて腕を広げた。その行為の意図が掴めずにいると、臨也が恥ずかしそうに顔を歪ませる。




「……だきしめてよ、ばか」




 本当は。本当はあの日、そうして欲しかったのだと、そう言う臨也のベッドに近寄り、その細い体を引き寄せる。
 こんなにも細くて、体全体でその傷を訴えていたのに、俺はなぜ気付けなかったのだろう。
 目には見えない傷だらけの体を、少し熱っぽい臨也の体を、俺は、強く、つよく、手放さないように、抱き締めた。








その傷口を埋めるように







2010.4.20


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