箱庭のように閉ざされた世界で、俺は生きている。朝も昼も夜も、日付の……時間の感覚など、何一つ存在しない。俺の世界だ。俺が夢見る、美しい世界。
 上弦の月から垂れる雫は給水塔にぽつりと落ち、その一滴で給水塔は満杯になる。水面に映る自分の顔は、歪んでしまってうまく見えない。ひとりぼっちだ。この世界には、俺だけしかいない。たまに誰か現れたとしても、二度以上現れる者なんていなかった。
 そう、シズちゃんが現れるまで。



「やあこんばんは、また来たの?」
「みてえだな……本当、なんなんだよこの夢……」

 柔らかそうな金髪が風に揺れて、シズちゃんは不機嫌そうに舌打ちをする。この間のように、頭には青いブーゲンビリアがついたままだ。給水塔から飛び降りると、シズちゃんに駆け寄る。

「今日は何の話をしようか」

 そう問いかけると、シズちゃんは少し考えた後……何も話すな、と言った。

「手前はいっつもうるせぇんだよ。せっかく綺麗な所なんだからよ、ちょっとくらいゆっくりさせろって」

 口調は荒いが、その瞳は優しい。シズちゃんは俺の頭をぽんぽんと軽く撫でると、そのままそこに座り込んだ。ふわふわとした草花がまるでクッションのようだ。頭を撫でられること自体は嫌じゃないが、子供扱いされているような気もするのでほんのちょっぴり悔しい。


 ここには、痛覚もなければ、暖かいとか寒いといった感覚すらない。空腹もないし、眠気ももちろん存在しない。けれど、シズちゃんの隣はなんだかあたたかいような気がして好きだ。ずっとひとりだったから、というだけじゃないような気がする。

「そういや手前、誕生日とかは?」
「誕生日? 5月4日だけど」
「へぇ、もうすぐじゃねぇか」
「あ、そうなの?」

 時間の感覚なんてないから、すっかり忘れてたなぁ、と小さく洩らすと、シズちゃんもそれ以上は深く聞いてこなかった。
 二人で草花の上で寝転んで、空を見つめたまま、ぽつりぽつりと言葉を交わす。白い太陽が眩しい。シズちゃんと、俺と。ふたりぶんの呼吸が同化して、ひとつになったような気さえしていた。





* * *





「彼にはあまり深入りしない方がいい」

 新羅のその台詞は、もうあいつに会わない方がいい、と言っているようなものだった。

「とは言っても、気がつけばあいつの夢に入っちまってるんだから仕方ねぇだろ」
「……君だって、気付いてるんじゃないの?」

 彼の夢は、毒だよ。

 真っ直ぐにこちらを伺う新羅の視線は鋭く、思わず目を背ける。そうだ。新羅の言うことはもっともだ。ぎり、と拳を強く握る。

「彼はもちろん夢魔なんかじゃない。それは君だってよくわかってるはずだ。折原臨也……彼はただの人間だよ」
「……ちょっと待て、俺、アイツの名字なんて言ったことあったか?」
「それくらい調べれば直ぐにわかるさ、珍しい名前だしね」

 そう言って新羅は、手元の資料を見ながら喋る。背筋を変な汗が流れていくのが自分でもわかった。

「彼は折原臨也、今年で25歳になる。正真正銘、普通の人間だよ」
「……は、? 今、なんつった?」
「正真正銘、普通の人間」
「そこじゃなくて!」

 今、新羅は確かに、25歳だと言った。どういうことだ。あいつは、夢の中のあいつは、どう見ても15〜16歳くらいの高校生にしか見えない。童顔と言って通じるレベルか?
 嫌な予感がする。あそこには、時の概念もないと臨也は言っていた。臨也はただの人間だ。普通に寝て起きてを繰り返していれば、普通に生活をしていれば、いくら夢の中とはいえそんな風にはならないはずだ。いやそれ以前に、なぜ臨也はずっとあの世界にいるんだ。
 バラバラだった情報が、少しずつ繋がっていく。そうだ、新羅の手元の資料は、まるで病院のカルテのようじゃないか……。

「……彼は、10年前に事故にあって……それ以来、ずっと眠り続けているんだよ」

 傷はもう完治している。目が醒めないのだけが不思議なくらいなんだって。……あの夢は、毒だ。彼の夢は、彼を縛り付ける箱庭で、悪夢なんだよ。





 新羅の言葉は、淡々と事実だけを述べる。
 俺は、暫くの間、顔を上げることさえかなわなかった。





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