じわりじわり
 暑さが身に染みて、うっすらと額に滲んだ汗を手の甲で拭った。
 朝も夜も関係なく限られた生命を叫ぶ蝉の声は、まるで鼓膜を突き破ろうとするかのようだった。聴覚を支配するその音色は、体感温度をさらに上げていた。
 眠りに堕ちていくその瞬間だけ、無情な位に襲う、奴の温もり。
 はっとして辺りを見回しても、勿論のことそこにいるのは自分だけだ。眠る時に、優しすぎる程の人の温もりを感じていたのは、幼い頃と、そして短かったあの夏だけ。
 忘れかけていたそれを思い出してしまって、僕は小さく息を吐いた。






「クーラーは苦手なんです」

 文明の利器に頼りきっていそうな目の前の男は意外にもそう答えた。僕自身、日中常にクーラーの風にあたるのは健康上良くないだろうと思っていたので、せめて眠るときはクーラーを使いたくないという奴の申し出を快く受け入れた。
 捜査本部の中、僕たちが寝食を共にするそのスペースは、通気性が良く、天井に取り付けられた大きめの扇風機が静かな音で風を送るだけだったけれど、寝苦しい夜を過ごすことはほとんどなかった。
 こんな暑い夜に、男二人が背中あわせで一つの寝台に潜り込むなんて不快感の極みでしかなさそうだが、そんな風に感じることもなかった。

「蝉が鳴いていますね」
「そう?」

 大きな窓を開け放った寝室。地上から遠く離れたその階だったけれど、奴には蝉の声が(そして僕には聞こえない何かが)聞こえているようだった。

「夜神くんは、どうしますか」
「なにが?」

 唐突に要領を得ない問い掛けをしてくるので、僕はただ聞き返すことしか出来なかった。奴は寝台に投げ出していた体を起こすと、いつものあの奇妙な座り方で口を開く。

「もしも、あと一週間しか生きられないとしたら、です…蝉のように」

 奴が体を起こしたせいで、一人横になるのは体勢的には問題はなかったのだが心象的にはあまり良いと思えなかったので、僕も奴の隣に座り込んだ。
 こんな夏の夜だ、奴も、ただ感傷的になっているだけかもしれないし、何か思う所があるのかもしれない。その意図はわからなかったが、そんな時もあるのだと流すことにした。

「あと一週間?」
「そうです、あと一週間です」
「そうだな…」

 少し考え込む、すると隣に座る奴は、何かを期待しているような、逆に興味も何も持ち合わせていないかのような表情を浮かべてこちらを見ていた。それを見てしまった僕は、自分の答えを出すことを躊躇ってしまった。言ってはいけないような気がした。
 そのため、思いつかないよ、と申し訳なさそうな表情を作って答えると、奴はほっとしたようなつまらなさそうな声で、そうですか、と返してきた。

「なら、竜崎はどうするんだ」
「私、ですか?」

 鸚鵡返しのように、奴に同じ問いを投げ掛ける。僕が答えるのはいけないことのように思ったのだが、逆に奴が答えるのは当たり前のことのように思われた。何故なら、元々奴がこの質問を僕に投げ掛けたのは、奴が自らの答えを求めていたからなのではないかと思ったからだ。

「私は、自分の出来ることをしたい」

 キラを捕まえるなんて、あと一週間では到底無理でしょうが、それでも、
 諦めてしまったら、私が生きていた証までも消えてしまいそうな気がするんです

 ゆっくりと、一言ずつ区切って口にする奴は、しっかりと生きていた。
 奴には蝉の声が聞こえていて、あと一週間の生について語ることで自らの生を確立していた。
 僕には蝉の声が聞こえなくて、あと一週間の生について語ることさえ難しいことだと思った。
 つまらない話でした、すみません、と奴は寝台に横になる。僕もそれに倣って横になった。ぴったりとくっついた背中から、じわりじわりと奴の体温が伝わってくる。不思議とそれが心地よくて、同時に少しずつ侵食されていくような気がした。気がしただけだった。






「あと一週間の命、か」

 蝉の声が酷く鼓膜を震わせる、寝苦しい夏の夜だ、そんな風に感傷的になることもあるのだと割り切ることにした。
 あの時は、僕は蝉の声が聞こえなくて、ついでに言うならば、ただの夜神月だった。キラ、という傲慢で孤独で正義感に溢れた臆病な存在を内包していなかった。
 だからこそ、奴はあんな答えを出したのだと思う。
 今の僕には蝉の声が聞こえていて、奴は蝉の声が聞こえる場所にいない。

「僕は、自分の出来ることをしたい」

 空気が震える、蝉の叫び声だけが響いている。

「世界を変えるなんて、あと一週間では到底無理だろうけど」

 背中からはもう熱が伝わってこない、酷く息苦しい。
「諦めてしまったら、僕が生きていた証までも消えてしまいそうな気がするんだ」

 そこまで口に出して、またベッドに潜り込んだ。
 暑い夜で、寝苦しくて、だけどクーラーの電源を入れることが出来なかった。



pray




 あの時、もしも僕にも蝉の声が聞こえていたなら、二人で逃げよう、という答えを口に出来たのだろうか、なんて。



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