毎日がただ、何の変哲もなく繰り返していたあの頃。
 周囲を遠くから眺めていたあの頃。
 岸谷新羅と出会ったのは、そんな頃だ。
 特別、変わった人間と言うわけじゃなかった。
 あの頃は“ヒト”というカテゴリをまるごと見ていたから、個々にとりたてて強く興味を持ったことなどなかった。一本一本の木がどうであれ、俺は森を愛していたのだ。だから、たった一本のイレギュラーな木に出会ったその時、俺は初めて、衝撃を受けたと言っても良い。
 彼には、彼の“トクベツ”がいた。もちろん俺はそれまでそんなものなかったし、必要に思ったことすらなかった。
 だから、新羅が話す“トクベツ”が、なにやらきらめいて見えたのかもしれない。


 そもそもが屋上は立ち入り禁止だったが、グラウンド全体を覗くことができるその場所を、俺は好んでいた。
 その日は球技大会だった。個人競技だけを選択していた俺は、不戦敗という形で早々に試合を切り上げ屋上に来ていた。グラウンドには、走り回る同級生の姿が見える。ああ、森が見える。
 そんな風にしていると、がちゃりと屋上の扉が開かれる音がする。

「いざや」
「ああ、新羅か。どうしたの」
「君と一緒」

 ニコリと笑う新羅に「君の片想いの彼女に言ってやろうか」と呟けば、「そんなことされたら困るよ」とこちらを見ることなく言われた。そう言った時の新羅の表情は、なぜか見るのが怖くて、顔をそむけた。
 もうすぐ、中学一年が終わろうとしていた。もうすぐ春休みだね、と新羅が笑う。何か予定はあるのかい。いや、特にないかな。そう。そんな、取りとめもない会話。
 「ああそういえば」新羅は言う。「もうすぐ誕生日でね。彼女がプレゼントをくれるんだって」「それはよかったじゃないか」興味ないふりをして言葉を漏らすが、その“フリ”を見抜かれないか、それが少し、怖かった。だがどうやら新羅はそんなことどうでもよかったらしい。それはそうだ、彼の視界には、いつだって俺はいない。

「もうすぐ誕生日って、いつ」
「四月二日。エイプリルフールのあとだよ」
「へぇ、」

 春休み真っ最中じゃないか、祝ってあげられないね。残念そうにそう口にすると、新羅はわかってないなあと笑う。
 はは、だからさ。うちの父親はそういう祝い事に疎くてね。僕の誕生日はもっぱら彼女くらいしか祝う人がいないのさ。彼女の祝福だけを全身で受け止められる。だからむしろ誕生日当日は他の誰かに祝ってもらいたくないんだ。
 そんな新羅の言葉に、ぎゅうと胸が締め付けられる思いをする。たかが誕生日じゃないか。だからなんなんだよ。別に祝えないからって、なんだっていうんだ。新羅が俺を見ていないことなんて、とっくにわかっていたはずじゃないか。
 臨也、どうかした? と新羅が声をかけてくるものだから、なんでもないとしか答えられなくて。
 思えば、あの時に切り倒しておくべきだったのかもしれない。俺の中で完成しかけていた森は、新羅を皮切りに少しずつ、綻びを見せていった。





「誕生日おめでとう、新羅」

 毎年必ず、俺はこの日に新羅に会うことだけはなかった。電話も、メールもしない。返事があるはずがなかったし、まざまざと“トクベツ”を見せつけられてしまうのがいやだった。
 だから、この祝福の言葉は、誰も聞くことがない。

 おめでとう、新羅。君に出会わなければよかった。

 ずっと友達のままの感情を抱えていられたならよかったのに。そうだったなら、この感情を知らないままでいれたなら、新羅が俺の“トクベツ”じゃなければよかったのに。

「誕生日おめでとう、新羅」

 いつかは、こんなに切ない想いをせずにこの言葉を口に出来る日がやってくるのだろうか。



4月2日





BLコンテスト・グランプリ作品
「見えない臓器の名前は」
- ナノ -