真夜中。
 照明を落とした部屋の中では、カーテンの隙間から薄く差し込む月明かりだけが頼りだった。春先の、まだ少し肌寒い夜。一人で眠るには広すぎるベッドの中央で、臨也が小さく丸まっていた。

 ――しずちゃん、。

 携帯電話越しに聞こえたその言葉は、普段の臨也からは考えられない程にか細く、弱々しいものだった。ただ、名前を呼ばれただけ。それなのに俺は、深夜にいきなり鳴った着信音に苛立つことさえ忘れ、気付けば夜の街を走っていた。3月も半ばとは言え、夜は肌寒い。それが深夜帯ならば尚更だ。吐き出す息はまだ白く、夜闇に溶けていく。そういえば確かに数日前には雪が降ったっけ。
 終電も終わった時間に、ただひたすら走って辿り着いた臨也のマンション。すっかり荒くなってしまった息を吐き出して整えながら、臨也の寝室に入る。

「いざや、」

 声をかければ、ベッドの中央の盛り上がりがピクリと反応した。近より、ベッドに体重をかける。二人分の重みで沈む低反発のマットレス、白いシーツと毛布の間から覗く、艶やかな黒髪。その一房を指で柔く摘まみ、ぱらぱらと離した。
 どうしたんだよ。出来るだけ優しい声音で話しかけると、枕に埋めていた顔が、ゆっくりとこちらを見た。その紅い硝子玉のような瞳が、薄く水の膜を張っている。

「……しずちゃん、」
「おう、どうした」
「……なんでもない」

 なんでもない、なんて。
 嘘を吐くならもっと解りにくくしろ、と言ってやりたかった。なんでもないなんてそんな声で言われたって、少なくとも俺は信じない。

「ばーか」
「……」
「寂しいなら素直に言っとけ」

 縮こまったその身体を、壊さないように細心の注意を払いながら抱き締める。まるで子どもだ。天の邪鬼で、意地っ張りな子ども。人の揚げ足ばかり取るくせに、自分の弱みは見せない、そんなひねくれた子どもなのだ。自分よりも幾分か小さくて薄っぺらいその身体は、強く抱き締めると壊れてしまいそうで恐ろしい。

「俺のいないところで泣いてんなよ、ばか」
「……ばかはしずちゃんでしょ……今、何時だよ……」
「ならもっとましな電話かけてこい」

 電話口で何を言われたところで、俺は手前の強がりなんて信じねえけどな。
 くすりと笑い、涙で濡れた長い睫毛に唇を寄せる。シャンプーの清潔な匂いが鼻腔を擽った。

「……おれ、しずちゃんといると弱くなりそう」

 怖い夢を見ただけで、寂しくなるなんて、俺らしくないよね。
 そんな風にぼそぼそと呟く臨也が、愛しくてたまらなかった。

「手前はもっと弱くなれ。で、俺に素直に甘えろ」

 胸に抱いた熱を確かめながら、俺は臨也をもっと弱らせるにはどうすればいいだろうか、なんて考える。

 もっともっと弱くなって、俺だけを見てればいい。
 そんな子どもみたいな独占欲と愛情が、コーヒーのミルクとシロップのように、混ざりあっていく。






2011.3.15



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