年が明けて、まだ一月とは思えないほどに暖かく穏やかな日が続いた。

「この調子じゃあ早けりゃ梅くらいは咲くんじゃねぇか?」
「ああそういえば昔あったよね、暖かくなったと思って出てきた天道虫を梅の花が風避けになって守った話」

 そんな風に他愛のない話でも、俺達はとにかく話し続けた。口を止めたら死んでしまうとでも言うように。俺が口を開けばシズちゃんが相槌を打ち、シズちゃんが話せば俺が頷く。会話は途切れない。ずっと、ずっと、30分という短い時間を惜しむように。些細なことでもよかった。彼と話せるのならば。

「臨也、」
「……なに?」
「そんな顔、してんじゃねぇよ」
「……でも、」
「俺は……手前のそんな顔を見るために、あの手紙を書いた訳じゃねぇ」

 ふっとシズちゃんが悲しそうに笑う。俺のぎこちない笑みに気付いたのだろう。無理をして笑っているだろう、と言われれば頷くしかなかった。
――シズちゃんから秘密の手紙を貰って。ここ数日は、ずっとそのことばかり考えていた。彼の刑が軽減できないか、そればかりを考えていたのだ。



『死刑囚が言うことを、簡単に信用して良いのかい? 君が笑うようになったところを見ると、確かにその彼は信用に足る人間かもしれない。でもね、臨也。仮にそれが本当だとしても、それをどうやって立証する? その手紙とやらは、正規に渡されたものじゃないだろう? それこそ、君も彼も罪に問われる可能性だってある』
『それでも、』
『それに、だ。私はその手紙を読んでいないけれど、君の話を聞く限りでは、彼も減刑は望んでいないんじゃないのかい?』

 新羅の言うことはもっともだった。彼に生きていてもらいたいと思うのは、俺の勝手なエゴだ。

「あ、そういえばシズちゃん、来週の金曜が誕生日なんだって? 田中さんが言ってたよ」
「あー……トムさんそんなこと言ってたのか……」
「うん、だからさ、俺にも祝わせて欲しいなって」

 何か欲しいものとか、やって欲しいこととかある? と尋ねると、シズちゃんは急に黙ってしまった。それまでが普通に喋っていただけに、何か地雷だったのかと焦る。

「あ、その……」
「そんな慌てんなって。別に、びっくりしただけだからよ」
「……そう、?」
「ああ、今まで誕生日とかまともに祝ってもらったこととかなかったからな……それに」

 シズちゃんが、薄く微笑む。ああ、この表情が、俺はすきだ。

「正直な話、ここまで生きていられるとは思ってなかったからよ……」
「シズ、ちゃん」
「なあ臨也、誕生日に何かしてくれるって言うならさ、」
「うん」
「俺のために歌ってくれねぇか」

 穏やかな声。優しい目……本当は、凄く優しい人だ。あの手紙が嘘だなんて、思ってもいない。俺に対して平等でいようとしてくれる人。今すぐにでも連れ出して、このまま死なせたくないと思う人。

「来週の誕生日、俺がまだ、生きてたらさ、俺のために、歌って欲しいんだ」
「っ……」
「ワガママいってごめんな。臨也が、歌いたくないっていうのもわかる。でも、俺は手前の歌を、聞きたい」





* * *





「ねえドタチン、俺、いつからこんなに弱くなっちゃったんだろう」
「臨也、」

 ドタチンの怪我もすっかり治っていて、ドタチンは他の囚人たちへの面会に明け暮れているらしい。ただ、シズちゃんに対してはもう俺一人に任せっきりだった。帰りの車の中で、俺はドタチンにそう漏らす。

 金曜日が来るのが、楽しみで仕方がなかった。この金曜日があるから、俺は生きていられるような気がして。シズちゃんと喋る30分間が、俺を支えている。こんな弱い人間じゃなかったのに、いつの間に俺はこんなにも弱くなってしまったのだろう。

「この金曜日を、失いたくなくて……シズちゃんに、生きていて貰いたくて、仕方がないんだ……っ」
「臨也」
「来週の金曜日に面会に行ったら、もうシズちゃんはいないんじゃないかって、不安になって、こんなに怖くて仕方がないんだよ」

 赤信号で、車が止まる。運転席のドタチンは、前を向いたままだ。俺も、外を見る。街路樹には緑もなく、雲行きも怪しい。あんなに暖かかったのに、雪でも降るんじゃないか。

「なぁ臨也、お前も、遺される者の気持ちがわかったんじゃないか」
「……ドタチン、」
「俺も新羅も、お前が自殺しようとする度に……そんな気持ちを、味わってたんだ」
「……ごめん」

 信号が変わる。車はゆっくりと動き出す。暖房の効いた車内の空気が、少しだけ気持ち悪かった。





* * *





 歌うことは、怖かった。とても怖かった。再び歌うことは、あの男を許したことになるんじゃないかって。そう思うと、吐き気がした。

『俺は、手前の歌を、聞きたい』

 そのことを彼が言うのに、どれだけ心を痛めただろう。彼は、シズちゃんは優しい。

「俺が、歌ったら」

 彼は、もう一年、生きてくれるだろうか。
 目を瞑れば、そこにシズちゃんがいた。俺の中はこんなにも彼で占められている。それが嬉しくもあり、辛いとさえ感じる。

「すき、だよ」

 俺の感情は彼に届くのだろうか。小さく、誰にも聞こえないような音量でメロディを口ずさむ。たったそれだけで、頭が痛い。胸が、苦しくて仕方がない。声帯が凍りついてしまったんじゃないかって思うくらいに、声が出なかった。あの男の下卑た笑い声が、体中を這いずりまわるたくさんの手が、指が、甦ってくる。嫌だ、嫌だ、辛い、苦しい。
 俺の歌を聞きたいと、彼は言った。優しい彼が。……いつ死ぬかも、わからない、彼が。それなのに、俺はあの男の影にまだ、犯されている。そんなのは、嫌だ。
 金曜日が、迫っている。あんなにも待ち焦がれていた金曜日。今は、その金曜日が来るのが怖かった。金曜日が来なければ、俺は歌わずに済む。金曜日が来なければ、俺は彼に会わずに、済む。
 かち、かち、と規則正しく時を刻む時計の秒針の音が、酷く耳触りで仕方がなかった。煩い、煩いんだよ。俺はこんなに弱くなかったのに、歌なんてもう歌いたくないと、棄ててしまおうとさえ思っていたのに、今は歌えないことが、辛いと思った。俺は、歌いたいのだと知った。あんなに避けていた歌を、今俺は、彼のために歌いたいのだ。

(愛の歌さえ、俺はまともに歌うことも出来ないのに)

 もうすっかりあの男への憎しみを忘れてしまっているのだと気付いたのは、どれほど経ってからだっただろう。決して許したわけではない。ただ、それよりも自分を埋め尽くす大きな存在に気付いた。それだけだった。

(お願いだから、どうかこの歌を歌わせて)

 彼への想いを、届けさせて。
 そう願いながら、掠れた声を絞り出す。彼に聞かせるための歌を、彼の生まれた日に歌うために。


 金曜日が、近付いてくる。
 あまりにも、無情な金曜日。




*――*――*
続きます。

2010.09.27


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