一旦扉から出ていった帝人が手にしていたものを見て、臨也は声を必死で喉奥に押し込めた。きらりと少量の光にも反射して煌めくそれは、鋭利な刃を持つナイフだった。
「ねえ臨也さん…、僕、いつも考えていたんですよ」
どうしたら臨也さんが僕のものになるかなぁって、と帝人はにこにこと笑いながら――しかし瞳に暗い欲情を湛えながら言う。ナイフをくるりと手先で器用に回し、唇に当てて呟く。
「いなくなった臨也さんを探す度に、どうすればここにいてくれるのかなって思っていました」
心底残念そうな声音が今は恐ろしく、臨也はちゃりちゃりと鎖が擦れるのも気にせずにベッドの端までさがった。先ほどまでは然程危機感を抱いていなかった臨也にもわかるほどに、今の帝人は"危険"だった。
そんな臨也の仕草を哀しそうに見つめる帝人は、それでもゆっくりと臨也に近づくのをやめない。一歩、一歩、着実に間を縮める。
「やっぱり、逃げるんですね」
ひたひた、と。まき散らされた羽根が舞い、帝人のために道を開ける。臨也はシーツを握って、帝人の瞳を見た。息を飲む。
愛情も慕情も恋情も温情も交情も厚情も、悲しみも怒りも優しさも、およそ感情の一切を失った黒い暗闇がそこにはあった。
「臨也さん」
ベッドに乗り上げた帝人は臨也の首にナイフをあてがい、鎖を引き上げて顔を上げさせる。にい、と形だけ笑みをつくった表情は、これまでの帝人の温厚な人柄など欠片も思い起こさせないほどの豹変を来していた。今はナイフの背が当てられているからいいものの、これが引っ繰り返れば終わりだと臨也は思う。
「み、帝人くん…」
「なんですか?」
引きつった笑みを浮かべる臨也に、声色だけは穏やかに返答する帝人だったが、
「…ッ!」
再び臨也が口を開く前にナイフが走り、細い喉元に薄く傷をつけた。血が首を流れていくのを感じ、臨也は身震いしそうになるのを必死で押し留める。
「臨也さんの瞳と、同じ色ですよね」
首に伝う血をその小さな舌で舐めて嬉しそうに言う帝人が信じられずに、臨也は目を見開いた。くすくすと少しも可笑しそうでなく笑う帝人は、臨也を見上げて首を傾げる。
「それで、なんですか?」
きょとんとした顔で話の続きを促す帝人に、臨也は錯覚してしまいそうになる。
自分が今置かれている状況も忘れて。
「……」
見つめてくる瞳の圧力に、臨也は何度が口を開閉させたがどう切り出せばいいのか分からず結局無言になるしかなかった。帝人は顔をしかめて目をそらす臨也をそれでも暫く観察していたが、目を眇めて臨也の頬に手をかける。びくり、と今度こそ臨也の身体は震えた。満足したような吐息を漏らしてから、帝人は臨也の反応を試すように片手で様々なところに触れた。
どのような意図を持っているのか解らず、けれど敏感なところを触られる度に小さく反応してしまう自分を臨也は叱咤する。首、肩、腹、腰を辿り、尻尾をつう、と緩く掴まれながら擦られた時には危うく声をあげそうになった。
最後にまた首に持ってこられた指先は、血が止まりかけた傷をぐり、と爪で抉る。ぐ、と喉を詰まらせた臨也の首筋を優しく撫でて、帝人は肩口に頭を乗せた。
「貴方のこれからを、全部僕にください」
これが夢であればいいのにと強く願って、けれど抗えない現実に引き戻される。肩の重みに。密着された身体の温もりに。突き付けられた銀色に。
「愛しています」
もういなくならないでください、と震えた声が部屋に落ちた。
一瞬躊躇した臨也は、こくりと頷いて帝人の頭を撫でる。
「俺も、だよ」
ごめんね、と、聞こえない声で呟いて。
【帝人ルート2:あなたの愛を END】
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