「兄貴に頼みたいことがあるんだけど」

 俺の弟は、普段あまり俺を頼ってくることがない。デキた弟だ、本当に俺の弟なのかと思うくらいに良い奴だ。そんな弟、幽に頼まれたとあっては、俺が断るはずもない。
 仕事が終わって自宅に直帰した俺を迎えたのは、一匹(という数え方が正しいかどうかは甚だ疑問ではあるが)の猫を連れた弟だった。どうしたのかと問えば、仕事帰りに拾ったのだという。しかし拾ってはみたものの猫を連れて歩くのは些か目立つということで、急遽近くにあった俺のアパートまで足を運んだらしい。俺はどうせ週末で仕事も休みだったし暇なので、代わりに預かると申し出た。幽は無表情のまま瞬きを数回すると、ぽつりと「ありがとう」と答え、明日も撮影があるのだと言って帰っていった。






 ここでいう猫、とは普通の一般的な動物の猫ではない。
 人間と猫の遺伝子を組み合わせて作られ、かつては裏社会で娯楽として流行した、見た目は人間のようだが耳と尻尾が生えているという存在。快楽に弱く美しい外見の猫は、基本的に性的な意味で飼育されることが多かったのだが、現在ではその意味も薄れ、裏社会と言わず広く一般的にその認知度を上げていた。
 そして目の前の猫も酷く美しい容貌をしていた。まあ捨てられていたので身体のあちこちが汚れていたのだが。
 俺はとりあえず目を覚ました猫を風呂に押し込んだ。使い方はわかるよな? と尋ねれば、小さく首を縦に振る。預かって目を覚ましてからこれまでただの一言も喋ろうとしない猫に俺は同情していた。俺は猫の世界のことはよくわからないが、こんなに綺麗な猫だ、たいそう大切にされてきたのだろう。それがこんな風に捨てられて、ボロボロになって。可哀想に。俺の家でこいつを飼うことはできないだろうが預かるくらいならできる。セルティかトムさんあたりに相談して、里親でも探してやろう。

 そうして色々と考えていると、シャワーの音が止まった。風呂から上がったのだろうと判断して振り向けば、

「……」
「っ、てめ、服くらい着やがれっ!!」
「……?」

 バスタオルを軽く纏っただけでほぼ全裸に近い猫がそこに立っていた。見た目が酷く美しいものだから余計にたちがわるい。いくら猫の性別が男とはいえ、視線のやりどころに困ってしまう。

「……俺の服、汚れてるから着たくない」
「……、あ、ああそうか」

 初めて喋った猫の声は凛と響き、見た目が美しければ声も美しいものなんだとなんとなく納得させられる。猫の言葉に俺は自分の下着(言っておくが買い置きの新品だ)とシャツとスラックス(残念ながらこちらは買い置きは無かったが)を取り出して手渡し、猫に背を向けて極力見ないようにした。

「……、もう服着たか?」
「もうちょっと……」
「おう……」

 なんだか気まずい空気が部屋を支配する。もう着替えたよ、という猫の声に振り向いて、俺は言葉を失った。

「……、手前、」
「君の服、大きいから……」
「……う、ああ、」

 猫は、俺のシャツだけを着ていた。下着は……履いていてほしいと願いたいのだが、猫の足元にスラックスと共に未開封の下着が投げ出されている所を見るとそうもいかないらしい。ぶかぶかのシャツから覗く、細くて白い足が目に眩しい。

「……どうかした?」
「っ……! いや、何でもない!」
「……そう?」

 ちょこんと首を傾げて上目遣いでこちらを見てくるその様は大変キケンだった。いや、確かに猫って言ったらそういう方面に長けていると聞いたことはあるがそれにしたってこの色気は尋常じゃない。向こうに悪気はないのだろうが、相手はオスだというのにやけに刺激的すぎる。

「……ねぇ君、名前は?」
「……なま、え?」
「うん、俺は臨也。名前を教えてよ、じゃないと呼びづらいから……」
「お、ああ、俺は平和島静雄ってんだ」
「静雄、静雄……じゃあシズちゃんって呼んでいいかなぁ?」
 あどけない表情で猫……臨也はこちらを見詰めてくる。その邪気のない笑顔に、ついうっかり首を縦に振ってしまった。

「そっか、シズちゃんか……ねぇシズちゃん、拾ってくれてありがとう」
「あ、ああ、いや、それは俺の弟に言ってくれ、俺は預かるだけだから……」
「それでもお礼言いたいんだよ、ありがとう。だからさ、」
「?」

 とてとてと臨也はこちらに近付くと、そのままぐっと力を入れて……俺を突き飛ばした。そして訳もわからぬままに馬乗りにされる。

「シズちゃん、なんか反応も童貞っぽいしさぁ、お礼に俺がシズちゃんの童貞貰ってあげるよ!」

 あどけない? 無邪気? 前言撤回だ。妖艶な笑みを浮かべ、猫は愉しそうに口角を上げていた。





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