臨也と話をしていると、楽しい、のだと、思う。
 最近静雄も笑うようになったな、とトムさんに言われて気付く。確かに俺は、笑うようになっていた。今までにはなかったことだった。


 昔の話だ。
 俺には、6つ年の離れた弟がいた。幽という名前の、大人しくて、感情の起伏がほとんどないような、弟。その機械のように変わらない表情に、周りの子供達は飛びかかった。殴ったり蹴ったりもあったのだろう。気付かなかった俺が、一番バカだった。幽の異変に気付いた時はもう遅くて、幽の目は、もう殆ど見えていなかった。俺は幽を連れて逃げ出した。

『俺がいなければ、兄さんももっと楽に生きられたのに』

 ごめん、と。幽は謝った。



「今日は寒いね、シズちゃん」
「ああ、雪みたいだな」

 もうすぐ12月も終わろうとしていた。面会室は暖房が効いているが、廊下は寒い。

「そうだ、年明ける前にさ、シズちゃんの髪を切ってあげるよ。俺、そういうの得意なんだ……まあ田中さんに聞いてからだけど」
「頼んでみる。ずっと髪なんて切ってなかったから、伸びっぱなしでみっともねぇしな」
「でも普通こういう所って専門の人に髪切ったりとかしてもらえるんじゃないの?」
「ああ、俺、前ハサミ奪って自殺しようとしたからな」

 自業自得だな、と笑えば、臨也の表情が一瞬固まる。
 最近は、自殺をしようと思わなくなっていた。毎週金曜日。それを心待ちにしている自分がいる。
 臨也は毎週きちんとやって来ては、色々な話をした。トムさんに勧められて臨也に手紙を書くようになったら、臨也は「外のことを教えたいけれど俺には文才がないから」と、絵を描いてくれているそうだ。まだ描く練習を始めたばかりで、上手くないから見せたくない、と言う臨也に「明日死んだら後悔しそうだから」と言って見せてもらった。これは確かに要練習だな、と笑うと、臨也は唇を尖らせる。
 臨也を見ていると、楽しかった。他愛のない話に、心が躍る。こんな幸せな時間を過ごしていていいのかと思う程に。


 ――どうして、殺したの?


 臨也が。ふっと訊ねたことがある。無差別に三人を殺したという俺に。

 ――特定の人間に殺意を向けるのは簡単で、俺はずっとあいつにその感情を抱いてる。でも、実行するのは躊躇うんだ。だから、君みたいな人が……優しいシズちゃんが、どうして、って。

 どうして殺したのか、なんて。臨也は、俺には嘘を吐かなかったから、本当のことを伝えたい、と思った。





* * *





「折原さん、器用なんですね」
「ありがとうございます」
「……頭が軽い……」

 その数日後、臨也に髪を切ってもらった。軽快にかしゃん、と音を立てるハサミ。はらりと体の一部が落ちていく。どうなったか見せるな、と鏡を探しに行ったトムさんの目を盗んで、臨也に隠し持っていた手紙を渡した。臨也に嘘を吐かないために、俺ができる、精一杯のことだった。

「シズちゃ、ん」
「秘密、な」

 臨也はすぐ手紙を隠すと、帰ってきたトムさんに何事もなかったように話をする。



 昔話。
 弟と二人で生きていくために、俺は色々なことをした。脂ぎったオッサンやオバサンの相手をしたり、人を騙したり、盗んだり、本当に色々なことをした。弟がいなければ、もっとましな生活ができていたんじゃないか。見捨ててしまおうか。そう思ったこともあった。でも、そんな日に限って雪が降ったり、冷たい雨の日だったりして、一人で眠ると死にそうになった。だから、弟を見捨てることなんて、嫌でもできなかった。俺は、弟がいるから生きていられた。弟だけが大切で、世界の中心だった。

 俺が18になった時。弟が死んだ。車に轢かれたのだそうだ。
 ――俺がいなければ、もっと楽に生きられたのに。

 ごめんね兄さん、と。幽の言葉が、頭の中を何度も何度も、巡る。俺は、自暴自棄になっていた。死のうかと思って、駅のホームに立っていた。
 そんな俺に声を掛けてきたのは、一人の男だった。その男はその近辺でも有名な人間で、俺も何度か話をしたことがあった。

『お前の弟も単純だな。兄貴が呼んでる、って言ったら簡単に着いてきたぞ』
『……!』

 男は、金持ちで、汚い人間だった。金を使って、自分の欲を満たすために汚いことをやらせて。俺もそれに手を貸したことがある。けれど、けれど。

『知ってるか、人間って、簡単に死ぬんだぞ』

 目の前が、真っ白になった。近くに立っていた親子から傘をひったくり、思わず男に飛びかかっていた。何度も、何度も刺して。
 気が付けば、男は血を流して横たわっていた。そして、無理矢理奪った傘の持ち主は、その衝撃で線路に押しやられていて。
 あの男の言う通りだった。
 ――人間は、簡単に死ぬ。


 無差別に三人殺した、という表記に間違いはなかった。何一つ、間違ってはいなかった。あの男を殺したことを後悔なんてしていない。そして、あの親子の親族に『死ね』と言われても、罵られても、全てを受け入れていた。それだけのことをしたのだ。
 だから、俺はこの刑を受けることに文句は何もない。むしろ、早く死にたいと、そう思っていた。罪を償えるのならば。


 けれど。

 今は、臨也に会うのが、怖かった。

 ――俺は、金曜日が来るのが、怖くて仕方がなかった。



「しかし静雄、その髪型似合ってるぞ」
「そうすか……? なんか久しぶりに髪とか切って……ちょっとまだ、慣れないっす……」

 トムさんは、とても好い人だ。同情している訳でもなく、俺の罪を軽々しく許そうとしている訳でもない。看守が着るような制服を嫌って、敬語が苦手な俺にも「無理しなくていい」と笑ってくれた。

「最近、静雄が笑うから俺も嬉しいよ」
「……トムさん」
「あの折原さんのおかげかな」

 ――臨也は。
 臨也は、たくさんのことを知っている。外のことを話してくれる。目を伏せて小さく笑うときには長い睫毛に見惚れてしまうし、一々仕草が綺麗だと思う。
 わかっていた。臨也の話に耳を傾けて、相槌を打って、言葉を交わす度に自分の中に積もっていく感情。その正体。触れたくても、面会はガラス越しで、俺はあいつの肌の柔らかさを知らない。そもそも触れたいと思うのは……その薄く開かれた形の良い唇に、触れてみたいと思う、その理由は。

(今まで、無理に生きたいと思ったことなんて、なかったのに)


 臨也のせいだ。あいつが、俺を変えてしまった。臨也に会うと、怖くなる。


(死ぬのが怖い、と思うなんて)

 ――生きていたい、と。
 そう思ってしまう自分がいることが、怖かった。





*――*――*
続きます。




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