平和島静雄。
 13歳の時に両親を亡くし、弟と二人で児童施設に送られる。しかしそこで弟はたいへん酷い虐めを受けることになり、静雄が15歳の頃に児童施設を二人で脱け出し、ホームレスのような生活を送っていた。
 弟は施設での虐めのせいか視力が極端に低下しており、静雄は売笑行為等でその日の生活費を稼いでいた。
 静雄は――。
 そして彼が18歳の時――。

 彼は、三人の人間を無差別に殺し、その悪質性から極刑が下された――。




 パソコンの電源を切る。ずっとウィンドウを眺めていたためか、酷く目が疲れていた。
 平和島、静雄。あの死刑囚の名前だ。インターネットとは便利なもので、欲しい情報が簡単に手に入る。それが本当かどうかさえ、気にしなければ。
 彼の話は、面白おかしく、三流記者によって書き立てられていた。もちろん事実も含まれているだろうが、それが何処から何処までなのかを知る術を、俺は持たない。
(――静雄……シズちゃん、ね)
 ぐっ、と疲れた体を伸ばす。明日は金曜日だった。先週の金曜日。ドタチンと彼の所に行った帰り際に「また来週、同じ時間に。今度は遅刻するなよ」と言われた。俺にはその行動の意図がさっぱりわからなくて、でもドタチンには逆らえないから……明日のことを考えて、ベッドに向かった。





* * *





『兄さん、歌が聴こえるよ。とても綺麗な歌……』
『何だ? ……イザヤ、オリハラ……15歳にしてプロデビューを果たした、天使の歌声……ねぇ……』
『綺麗な声、だね……嫌なことも、全部忘れられそうな歌……』
『そうか?』

 弟は――幽は、そう言って薄く笑った。元々感情が表に出ることが稀で、いつも無表情な弟とは思えない程に穏やかな表情だった。
 大画面のスクリーンや、電気屋のテレビ、ラジオで流されるその歌声を、嫌なことがあった日にはいつだって、探していた。


「静雄、起きてるか?」
「……あ、トムさん……」

 トムさんは、ここの拘置所の人だ。他の看守とは違って、制服を着ない。「俺のことは田中でもトムでも、好きなように呼べばいい」と言われており、その言葉に甘えて下の名前で呼んでいる。

「この間、門田さんと一緒に来てた人がいただろ? 折原さんって」
「ああ……」
「あの人、見たことあると思ってたらさ、歌手だったんだな。ほら、CD。俺も実はファンでな……懐かしくてつい持ってきちまった」

 格子窓から、そのCDのジャケットがひらひらと動かされる。……なんで、思い出してしまうのだろう。幽のこと、昔のこと……。

『途中で、いきなり裏切られるよりよっぽどましじゃないか』

 あの男も、人生に絶望したのだろうか。
 俺には、わからなかった。





* * *





 昔の話だ。
 俺は、歌を歌うのが好きだった。好きで、好きで、毎日のように歌っていた。幼い頃から声楽のレッスンに通い、毎日が楽しくて仕方がなかった。
 歌手、という仕事をしていたのは、15歳から17歳の間の、たった二年間。大好きな歌を仕事にできるなんて幸せだった。

 けれど、それもすべては、過去の話だ。
 俺は歌うことを辞めたし、今でもあの頃のことを許せないでいる。あいつらに対する確かな殺意と、悪意と。今にも人を殺しかねない憎悪を孕みながら、俺は普通に外界の生活をしている。
 あの彼は、どんな気持ちで人を殺したのだろうか。そして、殺人を犯す可能性を常に持っている俺が外にいるのは、許されることなのだろうか。

 何となく。彼に聞いてみたい、と。そう思った。


 次の日、新羅から連絡が入る。ドタチンが怪我をしてしまったから、今日は一人で行って欲しい、ということだった。囚人への面会ボランティアを行うドタチンは、よく被害者の遺族等から糾弾されているらしい。

 田中さんに挨拶をして、面会室で待つ。前回の訪問ではあまり良い印象を持たれていないのは確かだった。だから、面会室に彼が現れた時には驚いた。

「なんだ、会ってくれないかと思った」
「……」
「……」

 会話が途切れる。何を話せばいいかわからなかった。俺は別にこの男を救おうと思っている訳でもない。自己満足のためでも、もちろんなかった。

「あ、えっと……折原さん」
「はい?」
「いや……その……あ、そうだ、そういえば折原さん、昔、歌ってましたよね? CD持ってるんです、ファンでした」
「あっ……、田中さん、ありがとう、ございま、す……」

 どうして引退されたんです? という彼の言葉に、背筋が凍る。男たちの笑い声が脳裏に蘇る。やめろ、やめてくれ。その汚い手で触るな、やめろ、嫌だ、嫌だ――!!

「歌は、……もう、歌いません、から……」
「えっでも……」
「トムさん、」

 俺の異変に気付いたのか、平和島静雄が声を出す。気付けば俺は、背中に汗をびっしょりとかいていた。体が震える。

「アンタも、また来るとは思ってなかった」
「……それは、」
「何か。話したいことがあったんじゃねえのか」

 俯いていた顔を上げて、彼の方を見る。こいつも、自殺未遂を繰り返したって言っていた。辞めたのは、それが罪を償うことにはならないからだ、と。罪を償おうと、この男は思っているのだ。

「……君と初めてあった日の、数週間前にさ、俺、自殺を図った」
「……」
「さっき言われてた通り、俺、歌ってたよ。昔ね。小さい頃から歌うのが好きでさ、」

 レッスンに通って、コンクールで賞を貰って、そこからデビューして。楽しかった。毎日、好きな歌を好きなように歌って、俺は、幸せだったんだ。
 ――あの日、事務所の先輩に呼び出されて、着いて行ったら。

「男なのにさ、俺……男に……男達に、強姦されたんだ」
「っ……!」
「事務所の社長にも訴えたよ。でも、先輩の方が売れてたし、社長は先輩の言い分を信じた」
「……」
「犯されながら、『あの良い声で啼けよ』って、何度も、強要されたっ……それからはもう、歌えなくなったんだ」

 今でも、あの男をテレビで見ることがある。その度に、あの男を殺したくなる。俺が生きているのは、あの男への憎悪に支えられているからだ。

「ドタチン……門田、は。そんな俺を見兼ねて、明日のない生活を送る囚人たちに会うことを、俺に勧めてきた。でも、俺にはアンタなんか思いやるような余裕はないんだよ」

 自分が、何か得るために。この殺意と悪意とを、許せるのかどうかのために。
 だから、君が俺と話をしてくれるなら。

「嘘をつかないで、公平な話をして欲しい」

 一気にそこまで捲し立てて、息を吐く。俺は、本当のことを話した。こんな、よく知りもしない囚人相手に。この男がこの部屋にくる前に、田中さんとも少し話をしていた。平和島静雄は、普段めったに笑わない。事件のことを思い出しては、魘されていることもよくあるらしい。

「……可哀想、って」
「……?」
「アンタは、可哀想って言わないんだな」
「え……」
「児童施設に入ったばかりの頃に、施設長が俺たち兄弟に言ったんだ。『可哀想に。でも安心して、ここでは誰もが平等だから』って。可哀想って言われた時点で、平等な訳がねえのにな」
「……」

 平和島静雄が、息を吐く。俺も、体の震えは止まっていた。
「アンタ、変わってるよ。囚人……しかも極刑が下された相手に対して公平に話そうだなんて」
「……よく言われるよ、変わってる、何を考えてるかわかんないって、さ」
「はは、俺もだ」

 穏やかな目。きっと彼は元来穏やかな人間なのではないかと、目を見るだけでそう思わせるような、そんな目だ。
 田中さんが時計を見て、もう面会時間が終わりだと告げる。30分は、短い。

「俺も、アンタと話をしてみてえ」
「あ、……」
「だから、」

 部屋を出る前に、彼が言う。
 話をしてくれるって言うんなら。まだその時に俺が生きているなら、話をしたいから。来週の金曜日の、午前10時に。




 それから。
 それから俺たちは、毎週金曜日の午前10時から30分間。
 競うように、話をした。
 その日を逃せば、来週にはシズちゃんは死んでいるかもしれなかったからだ。

 死刑は。
 いつ、その刑が施行されるか、わからない。半年以上音沙汰ない時もあれば、続けて二、三件が施行されることもある。
 シズちゃんは、どんな気持ちで、朝を迎えているのか。

 俺には、わからない。





*――*――*
続きます。



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