「ねぇ夜神くん」
「どうした、竜崎」
竜崎はその死んだ魚のような目を黒く光らせて口を開いた。夜神はそれに視線をあわせないまま、相手のキングを追い詰める手段を考えるべく盤上を睨み返事をする。
「こっちを見て、話を聞いてください」
「あぁ、すまない」
竜崎の言葉に視線を盤上から目の前の男にスライドさせた夜神は、黒光りする竜崎の目を覗きこんだ。
「夜神くんに、言いたいことがあるんです」
「はは、なに?『貴方はキラですか』とかいうのだったら、もう聞き飽きたけど」
「いえ、そういうことではありませんよ」
竜崎はテーブルに置かれたカップを見た。砂糖とミルクがたっぷり入ったミルクティー。対して夜神に用意されたカップにはストレートティーが注がれている。夜神はカップを手にとり、口をつけた。
「私と一緒に逃げませんか」
「…は」
「言葉通りの意味です。探偵だとか、殺人鬼だとか、全部投げ出して、一緒にどこか知らない場所へ逃げませんか。そう言ったんです」
夜神はその言葉に目を見開き竜崎を見た。相変わらず竜崎の目は死んだ魚のようで、真っ黒に光っている。
「…嘘、なんだろう?」
「さぁどうでしょうか」
夜神くんが嘘だと思うなら嘘なんでしょうね。竜崎は自らの爪を噛みながら言う。
かちゃり、夜神がカップを置く音が響く。夜神はふっと目を瞑った。そうだ、これはいつもの駆け引きだ。本気を見せた方が負けなのだ。そうして夜神は目を開く。
「そうだな、竜崎…一緒に逃げたいよ」
「本当かどうだか」
「だって竜崎のも嘘なんだろう?嘘には嘘で返さなきゃね」
「そうですか」
そう言う竜崎は笑っていない。無表情だ。夜神は自らの駒を動かした後に相手の駒を動かした。竜崎の前に置かれたカップに注がれたミルクティーは全く減っていない。
当たり前だ、ここには自分しかいないのだから。
夜神が思い返すのは、竜崎が死ぬ少し前のことばかりだ。このやり取りも、今では懐かしいとしか言い様がない。あの時、そして今も、僕は竜崎の言葉を嘘だと笑って受け流した。
けれどもあの時、そう、あの時に竜崎の言葉を嘘だと言わなければ、何か違った終わりもあったのかもしれない。それこそ、二人で全てを捨てるような終わりが。だけど、そんなことを考えたって仕方がない。もう過ぎたことだ。今更、何にもならない、竜崎も戻ってこない。
夜神は竜崎の分として準備したカップに手を伸ばした。一口含むと、口内に甘ったるい香りが広がる。やはりこの甘さは苦手だ、と夜神は顔をしかめた。
うそつきのうた