※高校3年のキョン
※捏造





 まったく、どういうことだ。
 恐怖の期末テストを終え、解放感溢れる素敵な夏の到来! と思いきや、流石は受験生である。塾の夏期講習の予定を勝手に母親に詰め込まれ、明日から夏休みだというのに気持ちはちっとも晴れやしない。蝉の鳴き声が五月蝿くて仕方がなかった。それにしても、「蝉の声が五月蝿い」ってなんか文章にしてみると面白いな。うん。蝉なのに五月で、尚且つ蝿だなんてさ。どうでもいいって? そりゃあ悪かった。
 俺も大学に行くために必死なんだよ、とハルヒに溢せば、あらアンタ進学するつもりあったの、なんて口を尖らせて。そりゃあな、俺だってこの就職難のご時世に普通科高校を卒業してぽんと就職ができるなんて思っちゃいねぇよ。とりあえず適当な大学に行って、適当に猶予期間をゲットして、適当に就職活動しようとか思ってはいるんだ。だから今年の夏は流石に勘弁してくれ、埋め合わせは大学に合格してからだ、なんて上手いことハルヒを言いくるめた俺は、たった一人でSOS団の部室……まあ文芸部部室だが……に足を運んでいた。

 朝比奈さんが卒業してもう四ヶ月は経つというのに、未だに部室に入る時にはノックをしてしまう。こんこん、と固い音が響いて、それに続いて「どうぞ〜」と、可愛らしいあの人の声が聞こえる気がして。
 まあ結局返事などあるわけがなく、そのままがちゃりと部室の扉を開いた。誰もいない。掃除をしてくれる可愛らしいメイドさんも、部屋の隅で無表情にページを捲る少女も、胡散臭い笑顔の男も。

 こうして部室に足を運ぶことも、めっきり減ってしまった。……俺たちが二年生の時、ハルヒの能力とやらは不安定になり、朝比奈さんの卒業を控えた頃に暴発した。朝比奈さん(大)や情報統合思念体やら機関やらが色々と手を尽くして何とかその暴発による世界崩壊のレベルを最小限にまで抑えたのだが、それでも失ったものは大きかった。ハルヒは能力を失い、未来人も宇宙人も超能力者も、『神様』を監視する理由を無くした。
 朝比奈さんは未来に帰り、もうこちらに戻って来ることはないだろう。連絡をつけることもできないし、彼女を引き留めることも、もちろんできなかった。
 長門は長門で、情報統合思念体の親玉とやらによって連れ戻された。ハルヒには家族の都合で海外に引っ越したなんて言っているが、それもいつまで通用するかわからん。『必ず、戻ってくる』そんなアイツのセリフを、俺は忘れないようにたまにこの部室に来るのだ。
 そして、古泉は、。

 その時、コンコン、と無機質なノックの音が響いて、思わず扉の方に顔を向ける。何も言わないままでいると、がちゃりと扉が開いた。

「あれ、早かったですね」
「ああ、こっちはホームルームが終わるのが早くてな」

 古泉は。
 古泉は、超能力を無くして、普通の高校生になった。それは、俺が望んでいたことでもあった。コイツが、もう不用意に傷付かないように。普通の高校生の古泉一樹だった。

「ええと、こんな所に呼び出して、何かご用でも……?」

 ああ、本当に、普通の高校生になっちまった。古泉には、SOS団として活動した頃の記憶が、何一つ残ってやしなかった。これは古泉だけじゃない、ハルヒも……とにかく俺以外の人間は、全員だ。俺のことも、長門のことも朝比奈さんのことも、ちゃんと認識している。けれど、SOS団というものを、きれいさっぱり頭の中から消し去ってしまっていた。古泉は、俺のことを「一度も同じクラスになったことがなく、文理も違って共通点もないはずなのに、何故か顔見知り」くらいの認識しか持っていなかった。だから、この部室は俺にとってはSOS団のアジトであるが、他の人からしたらただの文芸部部室なのだ。優しくて愛らしい先輩がお茶を出してくれることもなくて、元気の良いじゃじゃ馬が無茶苦茶なことを言ってくることもなくて、無口な少女が時折楽しそうにパソコンを使っていることも、この目の前の男が、無理に笑いながら弱いカードゲームでポーカーフェイスを気取ろうとすることも、ない。

「七夕、終わっちまったな」
「え……ああ、そうですね、でも今更じゃないですか?」
「夏休みが、始まっちまう」
「まあ受験生ですから、なかなか気楽なものでもありませんがね」
「……今年は、何か企画を立ててくれないのか?」
「?」
「孤島だったり山だったり海だったりに招待してくれてさ、ハルヒの奴を満足させるために変な小芝居したりさ」
「ええと、何の話でしょう」
「花火大会の予定も、市民プールも、バイトも虫取もカラオケもボーリングも、何の予定もないんだ、今年の夏は」
「……受験生がそんな遊んでばかりいるというのも……」
「皆で、宿題を、したりも、何で、しないんだよ……!」
「……あの、皆って、」

 この古泉に言ったって、無駄なのに。開けっ放しの部室の窓からは暑い空気が流れ込んでいて、五月蝿い蝉の声が耳に障る。

「なあ、なんで、」

 お前、超能力者だろ。長門と朝比奈さんを早く連れてきてくれよ。そんでもってハルヒを引っ張ってきて、早く遊びに行くぞ、高校最後の夏なんだぞって、言ってやってくれよ、超能力者なんだからそれくらい、できるだろ。頼むから。

「ええと……あの、」
「……すまない、いきなり変なことを言って」
「いや、その……用事はそれだけですか?」
「……、ああ、すまないな。呼び出しておいてこれだけで」

 いえ構いませんよ、あなたも疲れてるみたいですしゆっくり休んだ方がいいかもしれません、と。少し困ったように笑う古泉の表情は、あの頃と変わっていなくて、俺は胸の辺りが苦しくなる。
 それじゃあ僕はここで失礼しますね、と部室を出ていこうとする古泉が、ふと足を止めた。どうかしたのかと問いかければ、そういえばですね、最近不思議なことがあるんです、と古泉は口にする。

「夢を見るんですよ」
「……夢?」
「貴方と、どこかマンションの屋上で、天体観測をしているんです。ああ、去年卒業された……えっと確か朝比奈先輩? と、貴方のクラスの涼宮さんと、それから春に転校していった長門さんですっけ、彼女たちもいたんですけど」

 夢の中では貴方としか喋っていないんですけどね、と苦笑する古泉に、俺は手のひらを固く握りしめる。じわりと、汗をかいているのがわかった。

「何を話しているのかは目が覚めると忘れてしまっているんですが、なんだか酷く懐かしい気がして」

 まるで何度も同じ経験をしているみたいな気分なんですよ、と笑う古泉に、つい視界が滲んでくる。ああ古泉、お前は覚えてないかもしれないがな、俺たちは同じことを何度も、気が遠くなるくらい何度も何度も繰り返したんだよ。

「夏の間に、一度くらい天体観測でもしませんか?」

 それとも、受験勉強でお忙しいでしょうか。
 古泉が、こちらを伺いながら口を開く。


 なあ古泉。
 お前は、やっぱり超能力者なのかもしれん。

 あの夏を、輝くような夏の日を、思い出すような。
 そんな期待を、俺に持たせてくれるなんて、な。






夏日





 蝉の声が五月蝿くて、俺は不覚にも、泣いた。





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