※野良猫な古泉の話
※本当にただの猫です










 夕日がオレンジ色、雨上がりの今日は、水溜まりさえも綺麗にオレンジに染まる。夕食の匂いが通りに満ちていて、僕は大きく伸びをした。そろそろだ。そろそろ、彼がここを通りかかるだろう。

「おお、コイズミ」

 僕の名前は特に決まってない。だけど彼は僕をコイズミと呼ぶ。だから僕は彼の前ではコイズミだった。にゃぁ、と返事をすれば、おいで、と優しい声。今日は猫缶だぞ、なんて、野良猫の僕に餌をくれるいい人だ。
 彼はだいたいいつも一人で、この丘にやってくる。僕は彼が好きだった。肌寒い日には僕を膝に乗せてくれて、白いマフラーを分けてくれる。暖かい、柔らかい。好き、という気持ちは、野良猫の僕にとって初めての感覚だった。

 彼は星が好きみたいで、よく星座の本を読んでいるみたいだった。ああ、僕が猫じゃなくて鳥だったなら、彼を背中に乗せて、空を自由に飛び回るのに。赤い星のある蠍座を指差して、「オリオン座は、蠍座が怖いんだ」なんて話をしてくれるのだろう。ああ、僕は彼が好きだ。優しくて、暖かい、彼が。彼の膝の上で、にゃあと鳴く。どうしたんだコイズミ。貴方が好きです。そう頑張って言ってみても、にゃあにゃあと、いつも通りの鳴き声しか彼には伝わらない。少し悲しくて、僕は彼の膝の上で丸くなった。




 それからしばらく、彼が丘の上にやってこなくなった。近頃見かけないなぁ、と寂しく思っていた、その日の夕方。久しぶりに僕は彼の姿を見た。

 彼は、僕の見たことのない笑顔で、僕の知らない誰かと、歩いていた。彼は僕に気付かず、そのまま通り過ぎていった。

 わかっていたことだけれど、僕は野良猫で、彼は人間だった。彼と話すことも、肩を寄せることも、冬の日に冷え込んでしまった彼の頬を包み込んで暖めることだって、僕には出来やしない。仮に……仮に、僕にそういったことが出来たなら、僕は彼の横を歩いていられたのだろうか。遠い星に向かって、泣いた。それでもやっぱり口から出てくるのは、にゃあ、という鳴き声だった。





 彼のことを思うと、切なくなる。好きだった。本当に。僕は猫で、どんなに頑張っても彼の隣なんて歩けなくって、犬に襲われたりしたら、こんな風に簡単に死にそうになる。死ぬときは誰もいない場所で。それが猫のルールだ。だから僕は、直ぐにこの町を出ていかなくちゃいけない。彼はもう僕のことなんて忘れちゃっただろうけど、それでも死ぬならば彼の知らない所で死ななくちゃ、と思った。

 さよなら、は伝えられない。好きでした、も。コイズミ、と呼んでくれた優しい彼は、今頃どうしているだろう。幸せに笑っていてくれたらいい。

 生まれ変わるなら、今度は彼の横を歩けるような人間に生まれたい。好きです、とか、ありがとう、とか、伝えることができる人間に。

 でも、またこうして猫に生まれたなら……その時は、彼みたいに素敵な人に出会いたい、と思う。

 にゃあ。

 僕は、野良猫。名前などない。だけど彼は名前をくれた。だから僕はコイズミだった。鳥でもない、人間でもない。気まぐれで自由な暮らしをする、そんな野良猫。

 にゃあ、にゃあ。


 夕焼けのオレンジ色が、とても綺麗だった。






Nora





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