「頼むから、あと少しくらいは楽しい話をさせてくれよ」

 扉の向こうで彼がそう言う。ぐずぐずになった鼻をすすって、小さく頷いた。それから、ずっと僕らは扉越しに話をした。互いに扉に背中を押し当てて。そうすると、扉の向こうから彼の温もりが伝わって心地好かった。僕らが出会ってからの10年間の話を、ずっとずっとしていた。彼が喋って、僕も話して。
 まさか10年でお前に背を抜かれるなんて思わなかった。僕は貴方を抜かせて嬉しかったですけどね。一度お前が作ったシチューを持ってきてくれたことがあっただろ、あれは凄く不味かった。失礼ですね……まぁでも確かにあれは不味かったです。
 そんなとりとめもない話を、どうでもいいような話を、ずっとずっと僕らはしていた。彼が眠ってしまったら、僕が一方的に話す。僕が眠ったら、彼もそうしていたようだった。
 そうして一日が過ぎて二日が過ぎて、三日、四日と過ぎた。予想より長いな、と彼は笑う。実は太陽の光を浴びても死なないんじゃないかって。そんな強がりに、僕らは気付かない振りをする。

「ああ古泉、俺ちょっと寝るわ……」
「わかりました。お休みなさい、良い夢を」
「古泉、」
「なんですか」
「愛してる」

 そう言って、扉の向こうからすうと寝息が聞こえた。僕は、彼が寝ている間はずっと決まって同じことを話すことにしていた。


「すきです、貴方のことが」

「貴方がすきです」

「愛してます」

「貴方は僕にできた唯一の友人だと思ってました。だからこんなに大切なんだって」

「これが人を愛するってことだって、初めて知りました」

「すきです」

「貴方がすきです」

「すき」

「愛してる」

「だいすきです」


 ずっと、ずっと、彼が起きるまで、同じことを。彼の目が覚めたときに、「お前の告白は恥ずかしい」と毎回笑われたけれど、それでも繰り返した。彼の目が、覚めるまで。扉に触れた背中の温もりが、段々消えていくのに気付かない振りをした。


「すきです」

「ねぇ、馬鹿みたいに僕は貴方がすきです」

「そろそろ起きて、また恥ずかしいって笑ってくださいよ」

「ねぇ」

「すきですってば」

「愛してるんです」

「一人は嫌です」

「ねぇ」


 背中が冷たい。泣かないでおこうって決めたのに、楽しい話をしようって決めたはずなのに、涙が止まらない。


「すき、すきです」

「貴方はバカだ」

「貴方を置いて死んだ、その人もバカだ」

「死なせたくない、なんて格好つけて」

「バカです。どうしようもないバカです」

「すき」

「愛してます」


 これからこんなにも一人で生きていかなきゃいけないのだろうか。彼はこんな寂しい世界を生きていたのだろうか。300年だって。酷い。狡い。貴方は、バカだ。


「でも、どうしようもないくらいに、貴方がすきなんです」









 柱の下まで降りて、まず100年間僕は泣いた。彼が過ごした300年を思って。そうして次の100年間は彼を憎んだ。何故、僕を死なせてくれなかったんだ。寂しい、辛い、でも死ねない。彼が僕に飲ませた薬は、その作り方が丁寧に書き記してあった。使うことなどないとわかっていても、誰も来ないその柱の中で、薬を作り続けた。あの頃の僕のような馬鹿が、ここに来ないとも限らないからだ。でも結局、300年間、誰も来なかった。
 この傘がある限り、この世界は終わらない。人々は傘のある世界を疑いもしない。皆、あの美しい空を知らないのだ。僕も、たった一度しか見たことはないけれど。あの絵本は、見ているだけで辛くて、下に降りてきて直ぐに捨てた。燃やすことも出来たのだけど、それだけは出来なくて。
 そうしてまた、ぼんやりと空のことを考える。まったくあの頃と変わらない姿のままで、僕は生き続ける。
 すると、がちゃりと入口から聞こえてきたのがわかった。誰だ、こんな所に近付く馬鹿は。

「お兄さん、だれ?」

 それはこっちの台詞です。あぁ、馬鹿が来た。泣きそうになるのを必死に堪える。

「ここに近付いてはいけないって、お父さんかお母さんに教わらなかったんですか」
「……おれにはそんなやついねえもん」

 ああ、本当に馬鹿だ。あの時の彼は、こんな風に僕のことを罵っていたに違いない。

「おれ、空が見たいんだ……」

 そんな、絵本をぎゅっと握り締めて。そんなことを言うなんて、馬鹿だ。なんで……本当に、馬鹿だ。信じられない。


 僕は、これからの日々を思った。これから10年くらい、きっとこの少年に身長を抜かされないか悩んだり、不味いシチューを食べたりするのだ。そうして。




(ようやく、僕はまたあの空を見れる)




 美しい空を眺めて、ゆっくりと眠れるのだ。背中に、優しくて泣きたくなるような温もりを感じながら。







world end umbrella





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