だってそうだろう。ただこの薬を飲ませるだけならば、彼が向こう側に残る必要はない。息が荒くなる。胸が苦しい。これが太陽の光の影響なのだろうか。答えて、と扉を叩けば、泣きそうな声で彼は答える。
「……副作用があるんだ……」
「副、作用、」
「まず、年を取らなくなる。食事も必要ない。ちょっとやそっとの怪我じゃ死なない。多分、首を切ったりしても死なないだろうな。不老不死ってやつだ」
「それって……」
「ああ、俺だ。俺も昔、その薬を飲んだ」
「あ、……え、でもそれなら……」
「古泉、薬はもう飲んだか」
「はい、飲みました、けど……でも、それなら何で」
薬が効いてきたのか、先程までの苦しさが薄らいでいく。扉を叩く、その向こう側で、彼が泣いているような気がした。
「……一時的なものなんだ。中和してくれるのは。再び太陽の光を浴びればもう助からない……死んじまうってことだ」
「え……」
「俺は300年間止まってたから、多分あと三日くらいは生きてるだろうけど……まぁどれくらい持つのかはちょっと俺でもわかんないんだ」
「ちょっと、待って下さい……!」
今度は僕の声が震える番だった。嘘だ、そんな、まさか。
「お前、こうして俺が扉を抑えてないとさ、俺が死んだ後にこの扉を開けるだろ?」
「ちょっと、嘘でしょう……」
「死なせたくなくて薬を飲ませたのに、そう易々と死なれてたまるか」
扉の向こうで彼が笑う。扉を痛いくらいに叩くけれど、びくともしない。先程の、空を見たときとは別の涙が後から後から溢れてきて止まらない。
「ねぇ、僕のせいなんでしょう?」
僕が空を見ようとしたから。だからこんな。扉を叩く拳に血が滲んでいるのがわかる。皮膚が擦れたのだろう。
「……昔話をしたいんだ」
「え……」
もうあと何日かで死ぬんだ。それくらい聞いてくれ、と彼が言う。扉を叩くのを止めて、僕は彼の言葉に耳を傾けた。
俺の物心ついた頃には、もうこの傘は空を覆ってた。で、やっぱり誰もこの柱には近付こうとしなかったな。それが当たり前だったし。だが俺は空を見たくて仕方がなかった。これも何かの縁だろうな……古泉、お前が読んでた絵本。あれを描いたの、俺の妹なんだよ。俺達には両親がいなくて、俺は妹と二人で暮らしてたんだ。妹は小さい頃から絵を描くのが上手くて。俺も妹も空なんて見たことがないのに、妹が描いた空の絵は本当に綺麗だった。妹は身体が弱くて、その絵を描いてしばらくして死んじゃったんだけど。俺は妹の描いてたそれを知り合いに頼んで製本してもらった。でもその本を見るのも辛くて知り合いに渡したままだったんだが……まぁそれが巡り巡って、お前のところに辿り着いたんだな。
まぁそれは置いとくとして。俺はとにかく空を見たかった。妹が描いてた空を、偽物じゃなくて本物を見たかったんだ。だから、こっそりこの柱に近付いた。そこで、柱の中で人に出会ったよ。ああ……そいつ、お前に似てたな、見た目とかしゃべり方とか。
俺は空を見たいの一点張りで、そいつは駄目ですって繰り返す。性懲りもなく毎日通ったさ。多分、空を見たいってだけじゃなくて、あいつに会いたくてってのもあったんだろうな。
で、いつだったか……俺はそいつの腹を殴って気絶させたんだ。ああ、笑っちまうだろ? まったくお前と同じようなことをしたんだよ。で、こうやって太陽の光を浴びて、薬を飲まされて。あいつも、今の俺みたく扉を抑えてたよ。
「あの頃はあいつを憎んだけどさ……今になってわかるんだ」
「え……」
「俺、あいつのことが好きだったんだ。あいつも俺のこと、好きだったんだと思う。だから」
「……」
「だから、好きなやつを死なせたくなかったんだ。今の俺は、あの時のあいつと同じ気持ちだ」
それ、どういう意味ですか、と問おうとするより先に、彼が口を開く。
「俺、お前のことが好きなんだ古泉」
「え……」
「最初はさ、馬鹿な子供だなって思ってたんだ。俺と一緒で。いつかはこんな日がくるんじゃないかって思ってた。だからここに近付いてほしくなかった」
「あの、」
「でも、だんだんお前が来てくれるのが楽しみになったんだ。ずっと……300年も誰とも話をしてなかったからかもしれない。お前が来る時間の少し前にはそわそわしてたし、気付けばお前のことを考えてたり」
さっきまで止まっていた涙がまた溢れだす。なんでこんな時にそんな話をするんだ。卑怯だ。貴方は、卑怯です。
「好きだよ、古泉。お前のことが好きだ」
「っ……!」
「だから俺はここを退かない。お前は死なせてやらない」
ああ、彼の声も泣いている。やめてくれ。お願いだから。
「それにしても……300年振りにこの空を見たよ」
やっぱり綺麗だ、俺の妹は天才だな。そう言う彼に、泣きながら笑うなんて器用な真似をしないでください、そう言いたくても口から漏れるのは嗚咽だけで。
「あな、たは……ひきょう、です……」
「お前より300年も長く生きてるしなぁ」
お前が何と言おうと、俺はここを退かないさ、なんて。そんな、優しい声で言わないで。