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真っ暗な世界だった。それでもなんとなくその”空間”というものが存在していることは分かって、そこにただ一人だけいる、ということだけを感じる。何もない。広がる闇の中にただ一人きり。


気分のいいものではないと思った。


一歩一歩、ゆっくりと踏み出してみる。足音がまるで闇に吸いこまれていくように遠くで聞こえた気がする。その音同様に意識がどこかぼんやりしている。


あぁ、すごく、不快だ。
纏わりつくような暗闇のせいなのかな、空気まで重たく感じる。


なぜだか私には”この状態”が続かないという確信があった。ここは本来私のいる場所ではない、と。だからこうも客観的でいられたのだ。闇に包みこまれる不安も恐怖も、どこか遠くに感じていた。

踏み出した足を止める。暗闇の中にぼんやりと光るものが見えたから。例えるならば蛍に似たようなぼんやりとした、それでも暗闇の中でははっきり映えるそんな光が二つ。なんだろう、とその場で目を凝らす。闇が支配するこの空間でそんな動作が意味をなすのか分からないけれど。そして私は息をのんだ。

あれは…バジリスク、だろうか?

分からない。けれど私の目に映ったのは確かに蛇としか言いようのない形、そして金色の瞳なのだ。バジリスクにしてはその体が幾分小さい気もする。私の知ってるバジリスクは、確かに蛇の王様と言われるような大きな体をしていた。それに比べると私の目の前にいるものはなんだか頼りない。私が涙を流してしまうほど懐かしさを覚える美しい金色の瞳も、なんだかくすんでいる。どうかしたの?どうしてそんな…なんて言うんだろう…儚い存在になってしまっているの?

「バジ…リスク?」

意外にも声が出た。掠れた声で、それでもはっきりと名前を口にする。それに反応するかのようにその蛇は頭を持ち上げこちらを見た。シューシューと何か口にする。確か、リドルは蛇語が話せるとか言ってたな…。私は、分からない。しばらくそのままシューシューという音を漏らし続けていたけど諦めたようにピタリとその音は止んだ。



『さようなら』




バジリスクとは違う消え入りそうな声が頭に響いて、何かが額に当たるのを感じた。






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Things base and vile, holding no quantity,
Love can transpose to form and dignity.
Love looks not with the eyes but with the mind,
And therefore is wing'd Cupid painted blind.
(A Midsummer Night's Dream / William Shakespeare)