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揺らいだ視界が落ち着くと、そこは見知った場所。3階女子トイレ。そしていつかのように、手洗い場が開けてぽっかりと開いている。そこにはおぞましくも美しい大蛇の姿。


『フウル、と言ったね』


強弱のない淡々とした声。

あぁ……なんだか、デジャヴだ。



『君の瞳は、愛しい人の命を奪うだろう』



「いずれ私と同じ能力を得るだろう」



父さんの瞳は、ついさっきまでの透き通ったブルーは跡形もなく消え、私とは比べものにはならない程の金色を放っていた。

私の知っている父さんの瞳はつい先ほどまでの学生時代の父さんと同じ透き通ったブルーだ。間違っても金色が混ざってなんかはいない。(小さい頃、眼帯をはめた父さんから青いビー玉を渡されて、自分の目だと言ってからかわれた時に、私はまんまと騙されている)(それくらい透き通った、あお)

もしこれが父さんの記憶なら、この金色の瞳が元に戻っていることになる。もしかしたら、私の瞳もこんな力をなんとかすることができるのかもしれない。一瞬心が軽くなったような気がした。


『その瞳が元に戻ることはない』



相変わらず、淡々としていて感情を感じさせない冷たい声だ。わかっていた。もし治す方法があるのならきっと父さんはすぐにでも教えてくれたはずだ。こんなまどろっこしいことをしない。なんとなく気付いてはいた。だけど、じゃあなぜこんな記憶を見せるんだろう。胸騒ぎがした。喉がやけに乾く。

いつの間にか人型となったバジリスクはまじまじと近くで見るとこの場にそぐわない程穏やかな表情を浮かべている。響く声はあんなにも冷たいのに。なんでか背筋が冷たくなった。バジリスクは父さんに何かを手渡す。


『これを』


視界の端に移るリドルが思い切り顔をしかめた。無理もない。だってバジリスクが手渡したのは、


『それをはめていなさい。片時も離さずに。一時でも瞳の効力を弱めてくれる』


今、私の耳にはめられているものと全く同じ、







また、視界が揺らぐ。







一瞬、父さんの顔が見えた。学生時代のではなく、今の。周りの空気が変に揺らめいていて、また何か液体を注ぎ込んでるんだなってことが分かった。その間に散らついた父さんの表情は、今まで見たことがないほど、悲痛に満ちていた気がする。それが気のせいだったらいいのにと思った。





導くようにリドルが私の手を引く。その手はひどく温かく感じた。

「ナマエ」

リドルの声は相変わらず凛としている。そしてその瞳はいつか見た時のように気持ち悪いくらい真っ赤で、現実味ないこの空間でここが異空間であることを刺激するように、リドルの存在は確固たるもののようだった。


「・・・・・・大丈夫か」

「リドルが心配してくれるなんて槍が降るかも」

「・・・・・・はぁ」

軽口を叩いてみたけれど私の表情は絶対に強張ってる。自覚はあった。それを察してなのかリドルはいつものように憎まれ口は叩かない。そんな配慮がなおさら私の不安を加速させた。わかってる。この後絶対によくないことが起こる。なんなのかわからないけど、さっきから震えが止まらないもの。

「バジリスクは、蛇の王者だ。そして王者たるもの、上に立つものは必然的に孤独になる。だが、」

知識をまくし立てるように喋るいつもの口調ではない。リドルはゆっくりと言葉を選ぶように話す。

「君やフウルさん、言わば同族を求めていたのは確かだと思う」






魔力の強さ故に、思考能力を、感情を持つバジリスク。それが良いか悪いかは分からない。ただ一つだけ言えることは、長い長い時間の中でただ自分という存在だけで生きてきたということ。唯一の理解者であるサラザールの面影も時間の流れの中に消えようとしている。そんなときに現れたのがフウルだった。最後に意思の疎通をしたのはいつだったか、それも同じ血を流すものと。それがどんなにバジリスクの胸を打ったか。

けれど、バジリスクは気づいてしまった。フウルの瞳が、自然の摂理に則っていれば生まれるはずのない色を浮かべていることに。そしてそれが決して彼にとって喜ばしいことではないということを。

絶望だった。

同時にバジリスクの頭に呼びかける言葉。

"これで、これからは彼と私の二人だ"


分かっていた。フウルにとってそれは決して望ましくないということを。それでも本当に瞳を直す術はない。それは紛れもない事実だった。ならば、私と一緒に、


『バジリスク』


凜とした声が耳に届いた。憂いの篩に液体が注がれてからしばらく揺れ続けていた視界がようやく落ち着いたと思えば相変わらずの秘密の部屋。さっきと同じようにバジリスクと父さんが向かい合っている。ただ違うのは父さんの瞳がまっすぐにバジリスクを見つめているということ。迷いはない。

『僕は今日、君にお別れをしに来たんだ』

バジリスクは黙って父さんが話すのを促す。私と向き合っていたときとは随分違って表情がまるでない。記憶の中でさえ空気がひどく緊迫していた。


『君は僕に多くのことを教えてくれた。この瞳を治すことができないということも含めてね。でもこのままでいるわけにはいかない』

父さんがやけに落ち着いているのはなんでだろう。その落ち着いた様子とは裏腹に私の緊張は高まるばかり。もう喉は張り付いてしまうくらい乾いているし体が震えるのを隠しきれない。気分が悪くていっそ意識を飛ばしてしまいたいくらい。

『愛する人がいるんだ』

『カレン、だね?』


母さんの、名前。

親の告白劇を聞かされるとは思ってなかったから、思わず私の集中力は途切れてしまった。その瞬間、シャンと金属質な音がした。


『フウルッ!』

『さよならだ、バジリスク』

手に握られたのは短いナイフ。それは私たちの目の前で確実に持ち上げられて、


『あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛−−−−−ッッ!』

「いやぁぁぁぁぁっ!」




父さんの目に、突き刺さった。






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Things base and vile, holding no quantity,
Love can transpose to form and dignity.
Love looks not with the eyes but with the mind,
And therefore is wing'd Cupid painted blind.
(A Midsummer Night's Dream / William Shakespeare)