甘い罠にはまった君は


試合の予定もない雨の日だった。少し肌寒さも感じていてリッパーが紅茶をいれるからついでにどうかと言うのでお言葉に甘えることにした。春摘みのダージリンだろうか、渋味の少ない爽やかな味が気分を明るくしてくれるような気がする。

「私、あなたの、誰にでも優しくして、でもそれも気まぐれで、紳士を装ってるところ、結構好き」

「それって褒めてるんです?」

「もちろん」

からかうつもりも、ましてや恋慕の気持ちがあったわけでもない。ただ本当に話のタネにしようと思っただけだった。リッパーのことだから、本当にたんなる気まぐれでそんなことをしてそうだけれど、もしかしてなにかきっかけでもあるものなのかしらって気になりこそしたけど。

特に続けるでもなくリッパーは紅茶のカップに口をつけるので私もそのまま続けた。

「たまに、まだ試合も初盤なのにダウンとった後に敬礼することあるでしょう?あれされた時ちょっとときめいちゃった」

「そんなことありましたっけね」

あくまでもすっとぼけるつもりらしい。薔薇杖をもって、最初から遊ぶつもりで試合に来ることさえあるリッパーは、さっき言ったこと以外にもいわゆる「女子受け」しやすそうな立ち振舞いはたくさんする。まぁ、例にも漏れずされたらされたで悪い気はしないのだけれど、それを煽られているって受け取ってヤキモキするサバイバーも少なくはない。リッパーがそれもわかっていてやってるってことは、ありそうだけど。

「いろんなサバイバーにやってるから1つ1つなんて覚えてないんでしょうね」

「おや、嫉妬ですか?」

「そういうことにしておいて」

慌てて否定すると、それは図星のようにとられてまた揚げ足をとられそうだからそう返事をしただけだった。リッパー相手に真正面からぶつかってはいけない。ナワーブやマーサあたりは、いつもリッパーの口車にのってしまいイライラしているのを見るけど、リッパーの手のひらで踊らされているみたいで正直少し面白い。もちろん助け船は出してあげるんだけど。
そういうわけでハンターとサバイバーではあるけれど、誘われればお茶する程度にリッパーのことは嫌いではなかった。




「さぁ、あなたが最後ですよ」

「......」

赤い花弁を散らしながら、ギギと音を立てて開いたハッチへと落とされる。他のサバイバーはとっくに飛ばされてしまった。3人目の救助に行く途中でリッパーと鉢合わせてそのままダウンをとられた。見事に4吊か、と肩を落としながらリッパーにされるがままになっていると、いつまで経っても椅子に座らせる様子はない。そうこうしているうちに3人目が悲鳴をあげながら飛んでいくのが聞こえたところで、ちょうどハッチにたどり着いたというわけだ。もちろん、こうして逃がしてくれるのなら逃げた方がいい。結果として負けは負けだけど。でも、

「リッパー、最近私に甘いんじゃない?」

「やっとお気づきですか」

「そういうの止めてくれない?ほかのサバイバーから反感を買いそう」

「赤い薔薇はお気に召しませんでした?」

「話をそらそうとしないで」

次は青にしましょうか、なんてまるで聞く耳を持たない様子なのでさっさとハッチに逃げ込んだ。



あんなに言ったのに、リッパーは私の前で手を抜いている。攻撃をしてこない、なんてことはないんだけど、試合開始で私と会うと素通りして次のターゲットを探しに行ったり、風船で吊りながら椅子を目前にしてくるっと一回転してみせたりする。まぁそんなことは私が黙っていればほかのサバイバーにはわからないことではあるんだけど。それにしたって煽りに勘違いされてもおかしくないのに飽きもせずよくやるなぁ、なんて半分諦めと、どうせ手を抜いてくれてるならそれを利用して有利に動いてしまおうなんて開き直りが半分だった。


それからしばらくたまたまリッパーとの試合には当たらなかった。だけど今さっき、待機中にわざわざ訪問してきて、よろしくお願いします、なんて挨拶までしたくらいだから今回はリッパーなんだろう。違うハンターがわざとやってくることもあるけど、リッパーは、今はしない気がする。なんでかわからないけど、とそんなことを考えていたらその通り、この試合のハンターはリッパーだった。見事にファーストチェイスを引いてしまった。優鬼でもするつもりなのか、少し遠くでじっと立ち止まってこちらを見ている。声を掛けようか、このまま逃げてしまおうか迷ったところですっと腰が落とされる。敬礼だ。そのままこちらに近づいてくる。やっぱり今日は優鬼なのかな。


「気づいていないかもしれませんが」

「?」

「あなた私のこと結構好きですよね?」

「え?」

開口一番これってどういうこと。リッパーの表情は読めない。当たり前だ、仮面なんだから。それでも、リッパーは声音に感情をのせるのがうまい。ご機嫌に歌うように喋り、地を這うような声音で怯えさせもする。でも今はまるでわからない。それこそ声にまで仮面がつけられているよう。少し、怖いと思った。

「元々吊られている時の抵抗も弱いですし、形だけだったんでしょうか。今では、こうしてすぐに私に近づいてきてしまいますもんね」

「いっ」

話終わらないうちに、鋭い爪が体に当たる。

「どうです?今日は本気で行きませんか?最初は別のサバイバーを追いますから」

そう言ってリッパーは本当に踵を返して他のサバイバーを探しに行ってしまった。

どうしよう、どうすればいい?まだ暗号機は5個。とりあえず治療してもらった方がいいだろうか。でもリッパーと話していて、誰がどこにいるのかちゃんと見ていなかった。それにすら苛立ちを覚える。完全に油断しきっていたってことだ。ファーストチェイスが私になりそうな時、リッパーが優鬼してくれることが多かったから。

結局、試合展開上私は治療をもらうことなく解読に専念した。箱を探してみても注射器は出てこない。そうこうしてる間にまた私一人がマップに取り残されてしまった。暗号機はまだ残り3台。ハッチは見ていない。デジャブだった。数えきれないほど試合を繰り返していればある状況だ。ハッチを探してひたすら走り回ることもあれば、ハンターの前に出ていってさっさと投降することもある。もしくは、ハンターの勝利が確定しているからハッチまで誘導してくれるハンターも、いる。

ドクン、

心音と共に背後に霧の刃が迫っているのを感じた。当たらない距離からということは加速用だ。まずい、もう無理だ。

もしかしたらハッチに案内してくれるかも、と考えた。何度繰り返そうが、傷つくのは痛い。このままダメージをもらわずに逃げられるのなら逃げたい。そう思って、走るスピードを緩めて振り返ろうとした。

ドクンドクンドクン、

心音はもうひどく近い。そんなのはわかっていた。わかっていたのに、背後から迫りくる寒気が、おかしい。いつもと全然違う。明らかに感じる殺気と、愉快そうな鼻歌。忘れていた。この迫り来る恐怖を。いつの間にか甘えていた。違う、「甘えさせられていた」

「リッパー……、待っ」
「ふふ、いいですねぇ、その表情。私は好きですよ、あなたのこと。良い声で泣いてくれますからね」
「ひっ、」

大きく振りかぶった左手がまっすぐに私目掛けて降りてきた。







「お疲れ様でした。」
「……………」
「久しぶりに楽しめましたよ」
「……………」

試合後のリッパーは随分ご機嫌だった。それもそうだろう、手塩に掛けて彼女が堕ちるように仕向けていたのだから。油断しきっていた出会い頭、一縷の希望をもって足を緩めた後ろ姿、振り下ろされる刃に絶望する表情。完璧だった。愉快にもなるだろう。1つだけ大きな、いや嬉しい誤算があるとすれば、

「ふふ、あなたも困った人ですねぇ」

振り下ろされた左手が、彼女の体を切り裂く時、その目に欲が孕んでいるのを確かに見た。痛みへの悲鳴と、恍惚とした表情は予想以上に官能的で、これまで何度も行ってきた試合を全て忘れるくらい興奮した。

「とんだ性癖をお持ちで」

歌うような声がそっと耳元で囁かれる。あんな弄ばれるようなことされたのに、それさえもリッパーという殺人鬼らしくて、私を見下ろす姿に恐怖すべきなのに、よくわからない昂りを覚えたのも確かだった。こんなのイカれてる。わかってるのに。