生きねばならぬと友は言った
※清正+正則
大阪の陣の少し前くらい。


目を閉じる。
息を吸う。
胸が広がるのが分かった。
目をゆっくり開けば、降り注ぐ柔らかな日の光。
杯を目の高さに上げた。
きらりと猪口の中の液体が光って、福島正則は軽く目を細めた。
手に目を落とせば、それは節ふくれ立ち、しわが見える。いつの間にか、しみだって出来ていた。

「もう、いいだろう?清正」

しゃがれきった声。声がかすれる。
声を張り上げて戦場を駆け回ったのも、遠い遠い昔のはなし。
ワシも年を取ったんじゃなあ、と嘲笑をしてみた。

……友に会いたい。


「清正、虎之助…とら」

つい最近まで自分と同じように年を取ってきたはずなのに、奴は突然死んだ。死に目に会えたわけでもない。いつの間にか死んでいた。

死んだ途端、彼は正則の胸の中で、青年の姿を取り戻した。三成や吉継、行長も、若いころの姿で正則の胸の中に残っていて、自分だけが取り残されたような気がした。
少しさびしくて、あの憎かった三成に会いたいとさえ思える。

「もう、疲れたなぁ」

正則は目を落としたまま、うっすらと微笑んだ。
疲れたよ、と繰り返す。
生きるのも、生かされるのも、今じゃもう疲れたの一言だ。

「何を言ってるんだ」
「!」

不意に声が聞こえて、正則は持った猪口を取りこぼした。酒がこぼれた。畳に染み込んでゆく酒を追って、思わず猪口はそのままに、畳の目を指でなぞった。

「もったいねえなあ」

その猪口を、青年の手が伸びて拾う。
傷だらけの、いままで何度も何度も見てきた手。二度と見ることのないはずの手だった。
……どういうことだ?

顔が、あげられない。

「いちまつ」

頭が混乱していまいち状況がわからなかった。正則はうつむいたまま、深呼吸をニ、三回する。それでも顔はあげられなかったが、自分の体験が嘘ではないと、あまりにも鮮明な自分と相手の存在感が教えてくれた。

懐かしい声。
なんで、お前がいるんじゃ?

…会いたかった。
会いたくて会いたくて、また酒を飲み交わしたり馬鹿な話をしたりしたかった。

「と、ら?」
「久しぶりだな」

お前か?お前なのか、とら。なんでワシの前におるんじゃ?今まで現れなかったくせに。なんで今更。
ぽたぽた、と正則の目から涙がこぼれた。
綺麗な空色の涙が落ちた。緑の畳に吸い込まれていった。

「疲れただなんて、何いってるんだよ、市松」

次々と涙のしみが出来ては消えてゆく。
上から、彼の声が降ってくる。懐かしい、昔の彼の声だ。低くて、でも柔らかくて心地よい。

「…まだ、死ぬなよ」

頭をがしがしとやられた。久しぶりに触れた手に、涙が止まらない。

「まだ、お前は生きなきゃなんねえんだ」

おれは一足先に行ったけど、やっぱりお前は危なっかしくて。
年をとっても、おれがいなくなっても、お前は変わんねえな。
まだやれるだろう?市松。

「…ワシは、まだ生きなきゃなんねえのか?なあとら、ワシはもう疲れたんじゃよ!」

目の前にいるはずの親友に、目を向けることが出来ない。
夢現の境も分からず、正則は叫んだ。声を荒げた。
それでも返答するその声は相変わらず真っ直ぐで、揺らぐことはない。

「生きなきゃなんねえよ。それに、市松は今でも市松だ」

目を上げた。今まで頭を押さえつけていた何かがふと消えた気がした。正則の心の何かが、彼をそうさせたのかもしれない。

目の前にいるのは、若かりしころの友の姿。
この世にはもういない?
…いや、ここにいるじゃないか。

「とら………」
「今はまだ、生きろ。時がくれば、きっとまた分かるから」

返答する間もなく、一陣の風が吹く。その突風に正則は思わず目を閉じた。それを伝えにきただけのように、あっけなく、清正の存在感がなくなる。
けれどその風から、かすかに友のにおいがした、のはきっと勘違いではないはずだ。

再び、目を開ける。

「……とら。ワシは、まだあと少しだけ生きようと思うよ」

辛いけど。しんどいけど。
そっか、ワシはまだ生きなきゃなんねぇんだ。そうだそうだ。
正則は誰もいない空間に向かって、にっこりと笑いかけた。
まるで、まだそこに彼がいるかのように。



再録です。
友情が書きたかったのに暗すぎ‥‥‥‥


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