あおいのひ
※輝政と藤右衛門、後半利隆
小牧長久手のあと。シリアスです。


出てくるはずの言葉は、気付かない内に、ただの吐息となっていました。

あおいのひ

この時、一言でも「それはちがう」と言えていれば、また変わったのでしょうか。しかし、私の口からは何も出ず仕舞いでありました。

暫く、私の事をじっと見詰めていた彼は、諦めたように口元を緩めました。
ああ、言葉が通じなくとも分かってくだすった。そう思った矢先の事です。

「良い、言わずとも僕には分かる。…僕はあの時、死ぬべきではなかったのだ。
もっともっと前に、いなくなるべきであった。もう遅い。父上や兄上が居なくなってしまった今では。遅い。僕が死んでいれば良かったのに。」

何故気付かなかったのか。
ずっとずっと、彼が、血が流れ続けていた片手を、全く庇わなかった事を。
「血を流し続けていれば、死ねると思ったのに。先に僕が死んでいたら、また戦局は変わったのかもしれぬのに。死ねなかった」

主君は、何故僕では無かったのだ、と溢しました。父や兄でなく、何故自分が生きているのか、と溢しました。何故死ななかった。死ななかったのか。
まるで自分に向かって呪詛でも唱えているかのようで、私には見ていられませんでした。

思わず目を背けた私を見て、彼の方は手を振りました。下がれと言うのでしょう。
この時、あなたは必要であるのだ、そう、言えればまた、変わったはずであります。
しかし、私にはそれが出来なかった。

それから、彼の方は変わられた。
まるで、己が池田の御家自身であるかのように振る舞われなさる。
言葉も、行動も、まるで重い重い、錠をはめられたかのように振る舞われなさるのです。
時折彼は、「これが正しい」「これで良い」と呟かれておいでであったと聞いたのは、随分と後ほどの事でございました。




「もう、遅いですよ。」
「………申し訳ございません。」

時は前に進んでゆく。

今目の前で、困ったように笑われるのは、彼の方のご子息様で有らせられます。目元が、彼の方に良く似てらっしゃる。

…暫く闘病なされた彼の方が、まるで何かに解放されたかのように、その目蓋を永遠に閉じなさった。その少し後の話です。

ご子息様は眉尻をさげながら、手の内の扇子をいじっておいででした。

…おそい、遅すぎました。と。

「しかし、それも。私の尊敬する父の生き方でしたから、きっとそれで良かったのです。
あのね、藤右衛門。そもそも、今となっては、私たちに、あのお方の生き方を否定する権利など、ないのですよ。」

そう笑まれた姿は、何処と無く彼の方に似ておられました。

「…藤右衛門、一つ聞きましょう。」
「……はい」

思わず身を固くした私を見て、華やかな笑い声をあげられたご子息様は、固くならないで、とおっしゃってから、こう続けられました。

「あなたは、父が…この家でなく、あなた自身にとって、必要だったと思いますか?」
「…!はい。」

深く頷いて申します。
ご子息様は、ふふふと笑い乍ら、扇子をぱちんと鳴らしました。

「それが答えですね。
……ありがとう、藤右衛門。僕は、その言葉を待っていたのだ。」

それから、ご子息様に、下がりなさいとの御令を頂きました。
頭を下げ、すっと体を引きます。その際に、何となしにご子息様の方を伺い、私は思わず息を止めました。

ご子息様と、彼の方が二重に重なって見えたのです。
後ほど倅に話せば、きっと見間違いだろうと申しました。しかしそうとは思えなんだ。
彼の方も、ご子息様のように微笑んでいらした。

「ありがとう、藤右衛門。僕は、その言葉を待っていたのだ。」

その声が、今でも耳から離れない。ご子息様の言葉ですのに、彼の方の御声にしか聞こえなかった。

もう手遅れでしょう。
しかし今なら、私は、声を大にして、彼の方へ申せる。「あなたは必要である」と。

ほんに遅くなりました。もうじき、私もそちらへ参りましょう。その暁には、前のごとく頭を蹴り飛ばして下さいませなあ…私の唯一の主君。




番藤右衛門は、輝政の小牧長久手の退却の際の馬廻衆だったとか。嫌がる輝政を馬に乗せて、頭を具足で蹴られつつも輝政の退却のために尽力しましたが、輝政はそれに感謝しなかったそうです。
利隆が、輝政の死後、やっと藤右衛門を認めた、という逸話から。



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