信行が亡くなって、善應院が恒興に嫁いだ直後。
特殊設定有りです。
もしも、元助が信行と善應院の子だったら。
私は、目の前のこの男が大嫌いである。
痛いくらい、殺してしまいたいくらい大嫌いだ。
そして、その妻と言う立場にいる己は、もっと嫌い。
「善姫さま」
「汚い手で私に触らないでくださいませ」
私の一言で、奴は私に逆らう事もせずに、伸ばした手を下ろした。
眉を下げて目を伏せ、悲しくてたまらぬような表情を見せる、そんなところも大嫌いだ。
信行さまのように高潔でもないし、顔かたちが特別美しい訳でもない。
そもそも元から、私と奴の間に恋慕の情などない。むしろあるはずがなく、身勝手な義兄の手管でこのように成り下がってしまっただけ。
「……善姫さま」
「なんですか」
「…腹の子の様子は、どうでございますか?」
そして、こうして思ってもいない事を言うところも憎い。どうせ流れてしまえば良いと思っているくせに。
「あなたさまには関係のないことでしょう?」
そう告げれば、奴は傷ついたような顔をした。その表情までも疎ましい。
腹の子は信行さまと私の、大切な大切な子だ。
それをお前なぞに盗られてはたまるか。
信行さまを殺した、お前なぞに。
奴に私は、もはや憎しみしか湧かない。
「善姫さま、」
「願わぬ婚姻を、主がためにするとは…あなたさまも大概お人好しなのですね」
ああ、いらいらする。
睨み付けながら奴に告げれば、奴は表情を変えることなく私を真っ正面から見つめてきた。
しかし、私は知っているのだ。
「なあ、勝三郎よ」
「はい…どうされましたか?」
「勝三郎。死んだ信行の妻を、お前の正室とせよ」
あの無慈悲な人から告げられた言葉に、お前は。
「主君の命として、至上の幸せにございます。ですが…」
「お前は日々言っておったではないか」
「それとこれとは別にございますれば」
「…ふむ。では仕方ないな…殺すか」
「っそれはっ!」
何故。
何故私を死なせてくれなかったのか。
何故腹の子と共に、信行さまの元へと行かせてくれなかったのか。
何故、願わぬ者から、手放しの愛を受けなければならない?
それは私にとって、あまりにも美しすぎる。
それは私にとって、辛くて苦しくてたまらないものだというのに。
「善姫さま」
聞きたくないと耳をふさいだ。
呼ぶな、もう呼んでくれるな!
それなのに、奴は思いもしない力で私の手首を掴んで引き離した。
「聞いてください、善姫さまっ!」
「!」
滅多な事では声を荒げない奴が、必死な表情で私を見ている。
そして驚くことに、私に抱き着いてきた。
「や、やめろ汚らわし…っ」
「聞いてください善姫さま」
耳元に口を寄せ、小さな声で囁く。
「……」
「腹の子を…おれとあなたの子だと言うことにさせてください」
思わず掴みかかろうとした。何を言っているのか、この馬鹿者は?
唖然として、声も出ない。
「信長さまは…その子がもし信行さまとあなたの子だと知れば、恐らくその子を殺すでしょう。この城で、信長さまの完全な支配下にあるおれといる以上、もう御坊丸さまのようにはなれませぬ」
「……しかし」
「善姫さま」
もう引けないのです。
奴は泣きそうな顔をして続けた。
「あなたはまだ、信行さまの事を好いておられますか?」
「もちろんです」
愚問だ。
いとおしくないはずがない。
信行さまを今も私は愛している。
今すぐに会いに、あちらに行きたいくらいに。
「…それで良いのです…あなたはそのままでいてください」
「……」
「申し訳ございません…本当に…好きになって、ごめんなさい」
ぎゅ、と。
私より少し大きいだけの、小柄な体に抱きしめられる。じんわりと暖かく、微かに…信行さまとはまた違った良い香りがした。
「……腹の子の名前は、之助(ゆきすけ)といたしましょう」
きっとこの事を忘れぬように、と。
奴はそう言うと、私の唇に、触れたのかどうかも分からないほどの接吻をした。まるで掠めるような。
意外にも、己に先ほどのような嫌悪はないことに驚いた。
「おれの事は、あなたに一方的に想いを寄せるだけの愚かな男であると思ってやってください」
あなたが幸せであれば、それ以上の事は無いのだと、奴は相変わらず泣きそうな顔で言う。
それから見たことのないような、穏やかなのに悲しそうな表情をして、部屋を出ていった。
奴の表情は信行さまの様に艶やかでも美しくもない。
しかし、素のままの柔らかな表情に何故か、胸の奥がきしんだ。
声も何も出せない。
けれど訳もなく涙が出てくる。
奴が去った後、じんわりと暖かな残り香が残る己の体を、私は無意識に抱き締めていた。
陸奥(みちのく)の
しのぶもぢずり
たれゆゑに
乱れそめにし
我ならなくに
しのぶもぢずり
たれゆゑに
乱れそめにし
我ならなくに
★
信長と恒興のくだりは池田家の資料に載ってたやつを少し解釈したやつ。流石に恒興もはじめは断ったんだなぁ‥‥
本当は之助(後の元助)は恒興とお善(善應院)の子供なんですが、元助の誕生年が信行の死後の二年後で近かったので、うちでは信澄と元助が信行と善應院の息子、輝政から下が恒興と善應院の子、という設定になっています。
善應院は恒興の手放しの愛がまぶしい。少しずつ受け入れようとしていきます。
最終的には目指せ幸せ夫婦!
私の心が乱れるのは、
すべてあなたのせいです。