あたしは走っていた。
お昼ご飯に食べるつもりだった、先輩に譲ってもらったかぼちゃパンも放り投げて。
マキに頼まれていた、白牛乳を買うのも忘れて。


「実は…さ。バレちゃったんだよね、幸村くんに。あんたに…嫌がらせ、してたこと」


きっと部活のときよりも、ひたすら速く。


「あんたのこと、すごい大切だったんだろうなぁ。…幸村くん、すっごい怒ってさ」


あたしは走っていた。


「次あんたに何かしたら、ぶっ殺すって言われちゃった」


あの人の、元へ。


「告白されたんだよね?あんたも、好きなんでしょ?幸村くんのこと。私は幸村くんに気持ちを伝えられなかったけどさ。…あんたはちゃんと、伝えなよ」






全力疾走。
部活のときだって、体育の授業だって、こんなに走ったことない。
気づけば、購買から3年の教室まで来ていた。
あたしは少しだけ3年C組の教室の前で息を整えると、一度大きく深呼吸をし、思い切り目の前の教室の扉を開けた。
あまりにも勢いよく扉を開けてしまったせいか、C組の生徒が一瞬こちらを向く。


「っゆ、…幸村先輩」


その中に、幸村先輩もいた。


「香奈…どうしたんだい、何か」
「やっぱり」


あんまり急いで来たものだから、何事かと先輩は飛んできた。あたしは先輩の言葉を遮るように続ける。


「やっぱり、先輩だったんですね、あたしへの嫌がらせをやめるように言ってくれたの」
「……」


そして、あたしの言葉を聞くと、何の話か理解してくれたのか、少し困った顔をした。


「まぁ、ね」
「えと…ありがとうございました」


お礼を言えば、先輩はさらに困った顔をして、ゆるゆると首を振った。


「元はと言えば俺が原因だしさ。それに…お礼を言われるほど、良い終わらせ方じゃなかったから」
「え、」
「……大切、だったから」


先輩はゆっくりあたしの手を掴んで握る。たぶん今、3年C組のほとんどの生徒がこっちを見ていると思う。
恥ずかしいけど、だけど、そんなことどうでもいい。


「香奈が大切だったから、守るのに必死で。彼女に、とてもひどいことを言ってしまった」


あたしの手を握る力が、強まる。
やっぱり、先輩は気づいていたんだ。あの先輩が、自分に好意があることを。
そして「ぶっ殺す」なんてひどいことを言って傷つけたことを、後悔してたんだ。

やっぱり。


「先輩、実はあたしついさっきその、嫌がらせしていた先輩に会ったんです。購買で」
「え?」
「あの人、謝ってくれました。嫌がらせして、ごめんって」
「…そうか。うん、あの子は…チカは、本当は悪い子じゃないから」


そうだと思う。
きっとあの人、本当は悪い人じゃなかったんだと思う。
今日、ちゃんと話してみて、分かった。

ううん。本当は、幸村先輩への気持ちに涙を流したあの人が、悪い人だとは思ってなかった。
きっと恋のせいで、好きの気持ちのせいで、少し間違ってしまったんだ。
あたしのために、本当は優しいのにひどい言葉を言ってしまった、幸村先輩と同じで。

好きの気持ちの向け方を間違ってはダメだけど、あの人はちゃんと気づいて謝ってくれた。
だったら…


「その…チカ先輩なんですけど。実は、まだ購買で待ってもらってるんです」
「え」
「行きましょう、先輩」


今度は、先輩の番ですよ。





花言葉 12





幸村先輩と購買に戻ると、チカ先輩はちゃんと待っていてくれた。
足音を聞いてこっちを振り向いた彼女は、私の隣の人を見て驚いた顔をした。


「…ゆき、むらく」
「ごめん」


チカ先輩が何かを言う前に、幸村先輩は彼女の前に行き、頭を下げた。
それにとても驚いたらしく彼女はオロオロして幸村先輩に顔を上げさせた。


「ちょっと幸村くん!」
「あのとき、…君が香奈に嫌がらせをしていると知った時。俺は、ひどいことを言ってしまった。ほんとに悪かった」
「…そんな、私も悪かったから。幸村くんに、告白する勇気もなかったくせに、あの子に嫌がらせなんかして」
「チカ」
「幸村くんに怒られて、ほんと、私は自分が最低だって気づいて」
「ねぇ、チカ」
「……」
「…他に、俺に話したいことは?」




先輩の一歩後ろで様子を見ていた私にも、チカ先輩の頬を涙が伝ったのが分かった。


「…幸村くん」
「ん?」
「………好き、です」
「…ありがとう、チカ。でも俺は好きな子がいるから、チカの気持ちには、応えられない」
「………うん」
「でも、気持ちは嬉しかった。ありがとう」



「私の方こそ、」
「………もう、私なんかと話してくれないと思ってた」
「ありがとう幸村くん」



「好きって言わせてくれて、ありがとう」




一歩さがって立っていた私には、はっきりと会話は聞こえてこなかった。
だけど、チカ先輩と幸村先輩が笑ってるって、それだけは分かった。

一通り話し終えたらしい先輩たちは、こちらを振り向く。
チカ先輩だけわたしに近づいてきて、小さく耳打ちした。


「ありがとね、太田香奈。…次は、あんただね」


それだけ言って泣いて赤くした目でニッコリ笑うと、彼女は教室に戻って行った。

次はあたし、か。

チカ先輩の言葉を反芻し、ゆくっくり幸村先輩に近づく。


「香奈、ありがとう」
「え」
「香奈が好きだと確信してから、ずっと彼女に謝りたかったんだ。だけど、タイミングが掴めなくて…困ってた」


先輩は少し俯きながら、首に手を当ててちょっと照れくさそうに呟いた。


「花の花壇も、全国決勝も、そして今日も」
「なんか俺、いつも香奈に救われてる気がするな」





違いますよ。
ぜんぜん違います。

花に惹かれた時も、倒れた時も、嫌がらせをされた時も、いつだって。

救われてるのは、私も同じなんですよ、先輩。








「…先輩」
「ん?」
「好きです」
「はは、ありがと………へ?」


あまりに突然に。
しかも、昼休み過ぎて閉まっている購買の前、という色気もない場所での告白に。
ガラにもなく間の抜けた声を出す先輩。

私はちょっと笑いながら、言いなおす。

次は、私の気持ちを伝える番だ。


「たぶん…初めて会った時から。先輩のことが好きです」













そろそろマリーゴールドは枯れて種を落とす。

そしたらそれをまた植えて、来年の夏にはまた花壇一面に花を咲かせたい。

あの、立海ユニフォームと同じオレンジ色の花を。

あの、逞しい"生きる"という花言葉の花を。



そして、その花を植える私の隣に幸村先輩が居れば、それはすごく幸せなことだと思う。


fin





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